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「あんたら、誰」
「……ま、こっちはさすがに覚えてないか」

 きつい奏の声に、ナガトが苦く笑って頬を掻く。
 奏の手を振り払ってしまいたいのに、非力な穂香ではそれは敵わない。姉の背中越しに見上げたアカギには、穂香と目が合うなり気まずそうに視線を逸らされた。
 ――どうして。
 せっかく、会えたのに。
 深い穴に落ちていくような、言い知れない絶望感に苛まれる。再会の喜びは、瞬時に痛みとなって穂香の胸を襲った。

「答えて。あんたら誰。ほのとどういう関係?」
「んー……、ヒーローとそれに助けられた軍人ってとこかな?」
「はあ?」

 硬い声音に、ナガトは傷ついたように笑った。柔らかい瞳がどれほど優しく奏を見るか、穂香は知っている。それなのに、奏は伸ばされた手を、先ほどの穂香よりもずっと強い力で振り払った。
 パシンと響く乾いた音にナガトは苦笑したが、穂香には笑えない。

「ひっどいな、ほんとに俺のこと忘れちゃった?」
「あんたみたいな知り合いはおらん。いい加減なことばっか言ってると警察呼ぶで」
「……あは、なっつかしー。あのときもケーサツ呼ぼうとしてたよね、きみ」
「なに言って、」
「――ナガト」

 多くの言葉を含ませたアカギの一声に、ナガトが小さく首を振って応えた。「分かってる」そう言った彼の笑みに、いつもの甘い色は見えてこない。
 ナガトはいつだって微笑んでいて、口が上手くて、会話が苦手な穂香をも楽しませてくれる人だった。
 そんな人が、こんなにも悲しそうに笑うだなんて。

「ほのちゃん、……奏。明後日、もう一度来るよ。それが最後。そのときに全部説明するから。今日は難しそうだしね」
「最後って?」

 強引に奏の前に出た穂香が問うも、ナガトはうっすらと微笑むだけだ。大きな手が無言のまま頭を撫でる。優しい手。記憶にあるものと少しも違わない。
 それなのに、奏の反応だけが違った。

「ほのに触んな! なんやねん、あんたら! さっさと出て行け!」
「……うわ、きっつ」

 「お姉ちゃん!」責めるように吠える穂香を奏は理解できないとばかりに見つめてくるが、理解できないのは穂香の方だ。どうしてここまでされて思い出せないのだろう。どうして覚えていないのだろう。
 なんで、忘れてしまったのだろう。
 出ていこうとする二人を引き止めようとしたが、彼らは首を振って出て行ってしまった。
 アカギは最後まで、穂香を見ようとはしなかった。
 奇妙な静寂が残される。
 「あいつらなんなん……」ぽつりと零した奏に、穂香は拳を叩きつける勢いで詰め寄った。胸の傷跡が引き攣れるように痛んだが、その痛みは穂香を奮い立たせる要因となる。

「本当に思い出せないの!? お姉ちゃん、ナガトさんと京都にも行ったんだよ? すっごく仲が良かった!」
「だからそれなんの話!? ほの、あいつらとどういう関係なんよ! 変なことに巻き込まれてるんとちゃうやろな!?」

 ――届かない。
 どれほど訴えたところで、無駄なのだ。
 そう悟った瞬間、全身から力が抜けた。急に身体が重くなる。その場に座り込んだ穂香を、奏が慌てて抱き起そうとする。その手を拒み、穂香は己をきつく抱き締めるように腕を回した。

「……もういい、帰って」
「でも、」
「いいから帰って! 今はお姉ちゃんの顔見たくない!」

 救われたはずだった。
 白の植物が消えて、穂香も奏も無事で、アカギ達も無事で、――救われたはずだったのに。
 なのにどうして、こんなにも苦しいのだろう。
 怪我はないのか。無事だったのか。助かったのなら、笑い合えるはずだと思っていたのに。また名前を呼んでくれたら、今度こそ笑顔で応えようと思っていたのに。
 声を殺して泣きじゃくる。言葉を失くして立っていた奏が、躊躇いがちに病室をあとにした。
 喜べるはずだったのに。無事でよかった、助かってよかった。そう言って抱き合えるはずだったのに。
 大好きな姉を傷つけるようなことなんか、言うつもりなかったのに。

「なんで……っ」

 目を合わせようとしてくれなかったアカギを思い出し、張り裂けんばかりに胸が痛んだ。
 ナガトは穂香の名を呼び、頭を撫でてくれたのに。あの人は、最後までなにも言ってくれなかった。言葉が多い人ではないと知っているけれど、でも、目も合わせてくれないだなんて。
 全部上手くいったはずだった。
 それなのに、ちっとも救われない。

「お願いっ……一人にしないで……!」


* * *



 穂香の様子がおかしい。
 あんな事件・事故の後だから、それも仕方がないと思っていた。穂香の高校に立てこもった薬物中毒の男は拳銃で何人もの生徒を傷つけたと報道されていたし、穂香もその場に居合わせたと聞いている。どれほど怖い思いをしたのか、想像するだけで身震いするほどだ。
 ようやっと逃げ出したと思えば、昼間にもかかわらず飲酒運転の車に跳ねられて、心臓にガラスの破片が刺さるなんて。それだけの体験をしたのだから、少しくらい心が乱れでも当然だ。
 白の植物だの感染者だのと言い出したときはぎょっとしたが、これもある種の後遺症なのだと思えば納得できた。だが、穂香の話には常にアカギやナガトといった、人名らしきものが挙げられていた。アカギさんはどうしたの、ナガトさんはどうなったの。どちらも心当たりなどなく、架空の人物の登場にさすがに不安になった。



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