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 見舞いに来た郁に立てこもり事件のことを聞いてみたが、犯人は薬物中毒の人間だとしか語らなかった。多くの被害が出たのだ、思い出したくないと彼女は首を振った。
 おかしくなった生徒達のことを訊いても、「そりゃ、あの状況ならおかしなるやろ」と眉を顰められただけだ。
 生徒達が自らバリケードを作ったのも、犯人に脅されたからだとネットの掲示板に書かれていた。

 そうこうしているうちについに矢も楯もたまらなくなって、穂香は病室を抜け出して雑誌コーナーや古新聞の回収箱を覗いた。病室で見るニュースやインターネットは、白の植物のことなど砂粒ほども語らなかったからだ。
 少なくとも二週間前、叶うことなら一ヶ月前の新聞が欲しい。パジャマ姿で古新聞を漁る穂香の姿は、他の患者の目にどう映ったのだろう。それでもなりふり構ってなどいられなかった。
 穂香だけがおかしいのだろうか。やはりあれはすべて夢で、頭を打ったせいで変な妄想に囚われているのだろうか。
 そんなことがよぎったのは一瞬だ。自分の中で、根拠もないのに「違う」と強く否定する声が上がる。
 探し回ってやっと見つけた約一ヶ月前の新聞には、白く変色していく植物の情報が掲載されていた。それとともに、海外の一部の地域ではゾンビ化と呼ばれる病気が流行っているという記事も。
 ――夢じゃない。確かに白の植物は存在した。
 やっぱりこの傷は、事故のものなんかじゃない。
 確信するなり息を切らして病室に戻り、「どこ行ってたん!」と血相を変えた奏に紙面を突きつけた。ひゅうひゅうと喉が鳴る。
 怪訝そうに新聞を受け取った奏が、今度は泣きそうな顔をした。

「ほの、あんたほんまどうしたん?」
「ねえ、それ見て。白の植物のことが書いてあるの。感染者のことも」
「せやな。こういう病気があったってのはニュースでやってた。でも、それがどうしたんよ。あんた、こないだから言ってること滅茶苦茶や」
「ほんとに……、ほんとに、覚えてないの?」

 誰に聞いても、「ああそういえば」と言って、そういった病気があったことは否定されなかった。けれど皆が皆、「それが?」と言う。あれほど騒がれていた白の植物の騒ぎが、まるで大したことでなかったかのような扱いだ。
 あれほど深くかかわった奏ですら、ものの見事にこの反応だ。
 確かにあったのに。夢じゃないのに。
 どうして、誰も思い出せないのだろう。
 穂香だけがたった一人違う世界に投げ出されたかのような感覚に、言い知れない恐怖が這い上がってくる。

「アカギさんとナガトさんが助けてくれたじゃない。この白の植物から、私達を! なんで覚えてないの? なんで!? 私、寄生されて、それでっ、――アカギさん、私のこと庇って撃たれてた!」
「ちょっとほの、落ち着いて。な?」
「アカギさんはどこ!? 大丈夫なの? ナガトさんは!? ねえ、みんなどこにいるの? なんでお姉ちゃん、知らないなんて言うの!!」

 この傷は、守られた証だ。
 事故なんかじゃない。
 アカギがその手で、穂香の胸に寄生した核を貫いたのだ。
 だから穂香は助かった。
 ――あの人は、約束を守ってくれた。

「ほの! 落ち着いてって! なあ、やっぱりもう一回検査受けた方が、」
「私はおかしくなんかないっ!」

 奏の手から古新聞を取り上げ、泣き叫びながら床に叩きつけた。そうでもしなければ、本当におかしくなってしまいそうだった。
 悔しい。涙が止まらない。彼らの存在を証明できない自分が情けない。思い出してくれない奏に、どうしようもなく腹が立つ。くしゃくしゃになった新聞に、ぼたぼたと涙が落ちて文字を滲ませていく。
 伸ばされた腕を払いのけた。奏の手を拒んだのは、きっとこれが初めてだ。ひどく傷ついた顔をされたけれど、今は指一本触られたくなかった。

「ほの……」

 泣きそうなほど歪んだ顔。大好きな姉を、力いっぱい睨みつける。
 酷いのは、そっちの方だ。
 どうして、思い出してくれないの。

「――外まで聞こえてるよ。ケンカなんて珍しいね」

 がらりと引き戸が開くのと同時、苦笑交じりの声が聞こえた。
 ……ああ、ほら。
 驚きと喜びに、息ができなくなった。新たな涙が眦から伝い落ちる。彼の名を叫ぼうとしたのに、声が痞えて音にならない。
 あと、もう一人。いつも二人は一緒だった。それなのに、病室に足を踏み入れたのは彼一人だけだ。
 さっと血の気が引いた。青褪めた穂香を見て、彼はとてもつらそうに顔を歪めた。それがさらに不安を煽る。「アカギさんは、」聞きたいのに声にならない。言葉にしてしまえば、それは情けない嗚咽に変わってしまうことが目に見えていた。

「どちらさまですか?」

 訝る奏に苦笑を一つ返して、彼は「ちょっと待ってて」と言い置いて入って来たばかりの部屋を出た。待ったのは本当にちょっとの間だ。引き摺り込まれるようにもう一人の姿が見えた瞬間、感情はついに声となって爆発した。

「アカギさんっ……!」
「ほのちゃん、ほんとに覚えてるんだね。さっすが、超濃厚接触者は違うね〜」

 アカギだ。彼も無事だったのだ。安堵と喜びに、目の奥がじわりと熱くなった。
 思わず走り寄ろうとした穂香の腕を、奏が強く掴んで阻んだ。そのまま庇うように前に出る。


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