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「アカギ。核を破壊する最も確実な方法は、宿主ごと片付けることだ」
「あんたっ……!」

 スコープから目を離して声を荒げたアカギの胸倉をきつく掴み上げたハルナが、鼻先が触れ合わんばかりの近さで唸るように言った。

「見誤るな! 己が本分を忘れるな。俺達は軍人だ。最優先事項を弁えろ! お前ができんなら俺がやる。それが嫌なら知恵を絞れ、身体を動かせ! それでもテールベルトの軍人か!」

 掠れた声に叱咤され、指先から力が抜けた。取り落としそうになった小銃を慌てて持ち直し、穂香に向き直る。歩いた軌跡に白い花びらを散らしながら、彼女はゆっくりと近づいてきていた。一定の距離を保つため、アカギとハルナもじりじりと後退する。
 背後には白い植物の壁がある。ここで方向を間違えば、追い詰められてそれで終わりだ。

「アカギさん、行かないで。どうしてこっちに来てくれないの? ねえ、一人にしないで」

 冷たい雪のように白く変わった唇から、今にも泣きそうな声が漏れる。それはどう聞いても穂香のものでしかない。
 あの声で、何度も名を呼ばれた。「アカギさんはどうするの!」蚊の鳴くような声しか出せないと思っていたあの声で、そんな風に怒鳴られた。
 折れそうなほど細い腕を掴んだこともある。あの小さな頭を撫でたこともある。
 白に侵されたあの身体を、この腕に抱いたこともある。

「たすけて、アカギさん。こわいの、苦しいの」

 どうして他の感染者のように、汚く吠えない。これでは穂香そのままだ。
 きつく唇を噛み締めたアカギの傍らで拳銃を構えながら、ハルナが言った。

「高度な知能を有した寄生体は、宿主の記憶に則って行動する。だが、なにを言われてもアレはお前の知る彼女ではない。油断するな」

 穂香の姿のまま、あの化物はアカギを呼ぶ。助けてと、そう嘆く。分かっていても、心が揺れる。
 ちらと腕時計を確認したハルナが、「あと十分だ」と苦く吐き出した。――あと十分。その意味が分からないほど、アカギは子どもではない。
 核を有してなお、穂香が穂香でいられるタイムリミットが、もうすぐそこまで迫っている。
 穂香が指先をぱちんと打ち鳴らせば、アカギ達のすぐ真横に棘を持つ枝が顔を出した。それを避ければ茨の鞭が舞う。白い壁から伸びた蔦が、アカギ達を絡め取ろうと手を伸ばす。

「アカギ、やれ!」

 ハルナの叫びを聞きたくないとばかりに、穂香が耳を塞いで首を振った。はらりと落ちる雫は透明で、何度も見た彼女の涙に、苦いものが広がっていく。
 「いやぁっ」穂香が嘆いた瞬間、壁から突き出された鋭い枝の先がハルナの頬を抉った。

「アカギさん、おねがい、たすけて。こわい、もう嫌なの。おねがい、聞いて、おねがい。私ね、わたし、アカギさんが好き、大好きなの、好き」

 震える声が、そんなことを言う。怯えているくせに熱に浮かされた声で、彼女は白い頬に僅かな血の色を浮かべながら、俯いた。
 心が凍る。今すぐに耳を削ぎ落とし、頭の中を丸洗いしたくなった。呼吸が乱れる。
 甘い毒は絶え間なく紡がれる。繰り返し繰り返し、アカギの奥底にまで刷り込むように穂香は甘美な呪詛を唱える。
 それを遮るように、ハルナが撃鉄を起こした。色を失くしたその唇は、アカギと同様に苦しげに歪んでいる。

「あのね、アカギさん、好き、だいすきなの。ずっとすきだったの。私のことだけを見て、おねがい。ひどいことしないで。私ね、初めてなの、こんなに誰かをすきになったの、はじめてなの。好き、愛して、アカギさん、お願い、ひとりにしないで」
「……やめろ」
「たすけて、一人はいやなの。ひとりにしないで。こわいの、怖い、こわいの。助けて、おねがい、好きなの、あいして、ねえアカギさん、ねえ、」
「惑わされるな!」

 腕が震える。時間がない。早く終わらせなければ、もう彼女は戻ってこない。
 あれはただの化物だ。穂香じゃない。穂香であるはずがない。
 分かっているのに、分かっているはずなのに。

「たすけて、たすけておねがい、助けて、約束したじゃない」

 真っ白な手が、伸ばされた。

「――だってあなたは、私のヒーローでしょう?」

 足元に、小銃が墜ちた。
 重たいはずのそれは音も立てずに白に呑まれる。這い伸びてきた蔦に絡め取られ、一瞬で針金のようにぐにゃりと曲げられた。
 撃てない。撃てるはずがない。
 あの子の胸を撃ち抜くことなど、できるはずがない。この手で放った弾丸があの子を貫く姿など、見たくない。
 ハルナの舌打ちが聞こえる。
 彼は、迷わなかった。

「アカギさん、大好き」

 ――その瞬間、一発の銃声が希望の種を割った。


* * *



 ただでさえ冷え切った空気が肌を刺す中、風を切って飛んでいれば身体はより一層冷えていく。晴れ渡っていた冬空は薄雲に覆われて陽光を遮り、地上に僅かなぬくもりも与えてくれなかった。
 そんな中、奏はただ、カガにしがみついていることしかできなかった。感染者はなにもしなくても奏めがけて走り寄り、上空からは白い怪鳥が迫ってくる。それを地面すれすれの低空飛行をしながら巧みな飛行樹さばきで避け、別の隊員が怪鳥を打ち落として奏を守る。
 自分が役に立っている自信などなかったが、穂香の周りから感染者達が消えたことは事実のようだった。

 あの子にそっくりな悲鳴が聞こえるたびに、身体が竦んだ。違うと分かっていても耐えられない。泣きそうになるたび、カガが「でぇじょーぶだってー」とわざと軽く笑って慰めてくれた。
 一際大きな悲鳴が聞こえたと思ったら、続々と地面から飛び出してきた蔦や根にナガト達が弾き飛ばされるのが見えた。「ナガト!」叫んだ喉が痛い。
 気がついたときには、身を捩ってカガの腕から抜け出していた。

「おいっ、嬢ちゃん!」

 受け身もとれずに地面に転がり、また新たに膝を擦り剥いた。顎も打った気がするが、全身が痛むせいで特に気にならない。もつれる足で必死に走った。
 ぐったりと横たわるナガトは無事なのか。今考えられるのはそれだけで、自分に訪れる恐怖などすっかり抜け落ちていた。


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