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* * *



 悪い夢だと思うことにした。
 奏と震えながら過ごした夜が明けたが、庭にはなにも変わった様子はない。なにかが存在していた痕跡も、一つも。足跡一つそこにはなかった。
 両親もいつも通りの時間に目が覚め、朝食を取り、仕事に行った。変わったことはないかと尋ねたが、なんの異常もないと言う。むしろ、普段よりもぐっすり眠れたくらいだと。
 あれは夢だ。疲れていたから、あんな悪い夢を見たのだ。
 奏もなにも言わない。ただじっと庭を見つめているだけだ。
 外に出れば、夏の終わりを惜しむようにはしゃぎ回る子供と、暑さに辟易しながら営業に回るサラリーマン達がいる。変わらない日常の風景だ。
 なにも変わらないはずなのに、――なにかが、変わった。

「ほの、ちょっといい?」

 ちょうど太陽が真上に来た頃、外出用の服装をした奏が部屋を訪ねてきた。

「ああごめん、勉強中やった? ってまあ、受験生やし当然か」
「ううん、平気。……あんまり集中できてなかったから」

 ぼうっとしては一問解き、またぼうっとしては一問解きの繰り返しだった。これでは、やってるのもやってないのも大差ない。
 ベッドに座った奏からは、ムスク系の香りがした。

「なあ、ほの。……昨日のこと、どう思う?」

 朝、二人で庭を確認したときにはなにも言わなかった奏が、重々しく切り出す。その視線は棚に向いていた。
 小さな鉢の観葉植物が並ぶ中、不自然に空いたスペースがある。――昨日までは確かにあった、ホワイトストロベリーの鉢がそこから消えていた。

「ナガトとアカギ。持ってかれた鉢植え。そこはほんまやんな?」

 ホワイトストロベリーがあった場所と、自分自身の首を指さして奏は聞いた。
 その細い首には、うっすらと痣ができている。――あのときのものだと、彼女は言った。
 それすら気のせいだと、夢の一部だと言ってしまいたい。けれど彼女は逃げることを許さない。

「うちらしか感じひんかった地震は、あの潜水艦みたいなんが着陸したときのなんちゃう? 着陸って言うんか知らんけど」
「でっ、でも、あんなマンガみたいなことあるわけ……」
「あたしもそう思う。やから、国が隠してるような機関の連中ちゃうかなって。自衛隊とか、そのへんの特殊部隊とかならありえるかも」

 そんな考えに至ってしまうことができる奏の発想力を、いつもは羨ましいと思っていたが、今回ばかりは疎ましい。だって、この「ありえるかも」は、もうなんの疑いも抱いていない「ありえる」と同意語だったからだ。
 ありえるはずがないと言いつつも、彼女はもうすでに彼らの存在を現実のものとして断定している。そして、彼らが言っていたことの九割を、事実として視野に入れ始めている。

「……で、でも」
「人を凶暴化させる、みたいなこと言ってたやん? あれってさ、最近のニュースでよく見ん? 薬物パーティが行われてたんちゃうかって疑われるくらいの大きい事件、ここんとこ立て続いてるやん」
「だっ、だとしても、もう私達とは関係ない……よね? だってあのホワイトストロベリー、もうないし……」

 どうやらこれは切り札になったらしい。
 事実がどうであれ、もう自分達に直接関わりがないのではどうすることもできない。彼女の言うように、彼らが本当に国の極秘機関の者であるならば、真実はどうやったって蓋をされる。
 「そうやなあ」と奏はぼやくように言った。そうやなあ。どんなに物分かりのいいふりをしていても、奏の視線はしばらく、ありもしないものを見ているようだった。


* * *



 そして二週間後、事態は急変した。
 


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