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悔恨の先の欠片を掴め *23



「ほのっ!」

 姿を見た瞬間、人目も気にせずに奏は駆け出していた。
 今まで保護されていた空渡艦よりも狭い通路を必死に駆け、アカギの隣ではっと顔を上げた薄い身体を、力の限り思い切り抱き締める。擦りむいたりぶつけたりしていた身体のあちこちが痛んだけれど、そんなものはもうどうでもよかった。
 「お姉ちゃん」そう呼ぶ声が震えていた。ぎゅうぎゅうと縋りつくように抱き着いて、無事を確かめる。――大丈夫、ここにいる。
 穂香の高校が感染者に襲われたと聞いたとき、気が気ではなかった。救出されたのもつかの間、彼女のいる空渡艦が白の植物に襲われて、心臓が潰れるかと思った。
 だが、無事だ。目立つ怪我もない。パッと見た限りでは、穂香よりも奏の方が満身創痍の状態だった。
 穂香の泣き腫らした目を覗き込み、いろいろ尋ねようとしたが、結局言葉は出てこなかった。零れそうになる嗚咽を必死で飲み、もう一度強く抱き締める。

「おねえ、ちゃん、……よかった」
「うん……!」

 背に回された腕が、ぎゅっとしがみついてくる。もうそれだけで十分だ。
 背後からナガトの小さな溜息が聞こえた気がしたけれど、擦れ違いざまに頭を撫でていくだけで彼はなにも言わなかった。
 会わなかった時間はたった数時間のはずなのに、もう何年も経っているかのような気がする。穂香も同じなのか、しばらく彼女も離れようとはしなかった。ようやっと身を離して顔を見合わせ、二人して泣きそうな顔で小さく笑う。その笑顔に、今度こそ泣きたくなった。
 奏をこの艦まで連れてきてくれたヒュウガは、アカギの向かいにいた大柄な男性を手招いて奥へと消えていった。服装や徽章が同じだったから、彼もこの艦の艦長なのだろうか。

「よかったね、奏」
「うん、ほんまによかった。……アカギ、ありがとう」
「別に。当然のことをしただけだ」
「うっわ、かっこつけちゃってやだねー。ほのちゃん、こんな奴と二人っきりで、なにか変なことされなかった?」
「ァア!?」

 いつもの調子で牙を剥き合う二人に、こんなときだというのに呆れて笑いそうになる。ふと見れば、穂香がほんのりと顔を赤らめて視線を泳がせていた。
 ――まさか。弾かれるようにアカギを睨みつけると、彼は慌てて首を振った。

「いや、なんもしてねェよ!」
「ほんまに!? どさくさに紛れて変なことしたんちゃうやろな!?」

 焦り具合が怪しい。穂香を背に庇うようにして詰め寄ったところ、ぐっと袖を引かれてつんのめる。顔を真っ赤に染め上げた穂香が、必死に奏を止めたのだ。その眼差しの熱さに、「お、」と思った。
 穂香の濡れた瞳はよく見る。不安だったり、緊張していたり、恐怖していたり。うさぎのように目を赤くさせて、ふよふよと視線を泳がせて。けれど今回は違った。しっかりと奏を見上げてくる瞳は、異なる熱を宿している。

「違うの。アカギさんは、私のこと、すごく……すっごく、守ってくれたの。だから、……違うの」
「ほの……」

 この短い時間の間に、なにがあったのかは知らない。奏が命懸けの経験をしたのと同じように、穂香も己の命を懸けたのだろう。次の瞬間には死んでしまうかもしれないという恐怖の中、彼女はなにを思ったのだろうか。
 そのとき傍で守ってくれたのが、アカギだったのだ。奏にナガトがいたのと、同じように。
 わしゃわしゃと穂香の髪を掻き回し、奏は満たされた気持ちで妹を見た。訳が分からないという風に見上げてくる穂香を前に、ナガトも楽しそうに笑う。
 彼は随分と偉そうに振る舞っているけれど、格好をつけているのはどっちだと言ってやりたい。アカギの無事を知らされ、こちらの艦で合流できると知ったときのナガトの顔といったら、それはもう見ものだった。今だって、その目には安堵の色が覗いて見える。

「ま、お前も無事でよかったよ」
「るっせェ。勝手しでかしたテメェに言われたくねェよ」
「お前もそう変わんないだろ!?」
「俺はあんな状態で無理やり外出ねェっつの、バカが!!」
「はぁあああ!?」

 ぎゃんぎゃんと騒ぐ二人に、艦内の他の隊員達が呆れ眼を向けている。奏もその中の一人だったが、脇を抜けた人影に「あ、」と声が漏れた。
 そして、予想した展開は、すぐさま目の前で再生された。

「お前らどっちもどっちだこのクソガキ共がぁっ!」

 両の拳が鈍い音を立ててナガトとアカギの頭に振り下ろされ、痛烈な打撃を与えた。見ているだけでこちらまで頭を押さえたくなるほどの衝撃だ、相当痛いだろうことが伺える。
 だが、奏の予想通りならばこれでは終わらないだろう。ヒュウガの手が、背中を丸めて呻くアカギに伸びる。奏の父よりずっと逞しいその腕が、勢いよくアカギを捉えた。

「えっ、ちょ、艦長!?」
「うるせぇ、黙れクソガキ」

 にやにやとしたナガトがアカギをからかうように見ているが、彼だって同じようにヒュウガに抱き締められて固まっていた。あとでそう言ってやれば、彼らはどんな反応をするだろうか。
 今のアカギもあのときのナガトと同じように、困惑と気恥ずかしさを隠しきれない様子でうろたえている。その動揺具合はナガトより分かりやすく、見ていてとても面白かった。唖然としていた穂香も、すぐに表情を綻ばせている。
 どれだけ彼らが大事に思われているか、その様子を見ていれば語られずとも伝わってきた。どれほどおぞましい計画の一部として利用されようとも、彼らには仲間がいるのだ。ならきっと、大丈夫。そう思えたからこそ、心から穏やかな笑みを浮かべることができた。

「よし。お前らが無事でなによりだ。じゃねぇと全力で殴れねぇからな」
「無事っちゃ無事ですけど、でも俺、二発目ですよ!?」
「文句あんならもう一発いくか?」
「文句ないです!」


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