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 モニターには複雑な数字と記号が並んでいた。どうやら解除には少し時間がかかりそうだ。当然ながら、今まで爆弾処理などしたことはない。だが、知識として方法は頭の中に存在している。

「できそう?」

 軽い口調ながらも、緊張した色を宿して問うてきたのはスズヤだ。

「できる、と、思う。……うん、できる。だから、なにか話しててくれる? あ、――話してて、くれますか? その方が、落ち着けるから……」
「それでは、このミーティアがお話し相手を務めますわ。ハインケル博士にお伺いしたいこと、たくさんありますもの」
「なに?」
「いつからこの子を“博士”になさったのかしら」

 微笑んだミーティアが「この子」と呼んだのは、ハインケルの膝で羽を休めるスツーカだ。
 会話しながらキーボードを叩く。後ろでスズヤが「どういう頭してんの」と零しているのが聞こえたが、それでもハインケルの手は休まらない。

「僕が十六歳のとき。新薬を試すときに、記憶障害が一番怖かったから。だから、データはもちろん、“意識”も一部分けて移しておいたんだ。人工知能に脳神経系の信号をコピーして入れておけば、さほど難しくなかったから。だから、スツーカはもう一人の僕なんだよ」

 二重人格かと言われたこともあるが、そう見えるのも仕方のないことだ。なにしろ、意識を分けているのだから。分かれたそれが同調するたびに本来のハインケルになり、離れれば一部が欠けたハインケルになる。もともと研究に没頭すると性格が変わると言われる性質だったから、あまり関係ないのかもしれないけれど。
 暗くなったモニターに、眉が顰められたスズヤの顔が映った。ハインケルが欠片に秘めた真実は、スズヤのような常人には理解できない感覚に違いない。
 文字が流れる。もうすでに必要なステップの一つはクリアしている。

「てことはハインケル博士って、今何歳なんですか?」
「二十二歳、だったと思う、……ます」
「うっそ、アカギの一個下? うーわー……」

 今までは十歳前後の風貌だったのだから、驚かれるのも無理はない。口元を引き攣らせるスズヤとは裏腹に、ミーティアとソウヤは納得したと言わんばかりに頷いていた。
 ――二つ目、クリア。

「でも、この子のおかげで助かりましたわ。もちろん、アナタ方にも感謝しないといけないけれど」
「礼なら結果で払ってくれりゃあいい。俺達はお前に、ハインケル博士から言われたことを伝えただけだ」

 ミーティアに会ったなら、スツーカが放つ微弱電波を解析するように頼んでほしいと告げていた。そうすれば、ハインケルがスツーカに託したすべてが明らかになるからだ。
 ――三つ目、クリア。
 続けて四つ目のステップもクリアする。まだタイマーは止まらない。

「ミーティアさんは、これが終わったらどうするの?」
「難しい質問ですこと。……とりあえずは、違う研究所に移ろうかしら。テールベルトに移住してもいいかもしれませんわね。ハインケル博士はどうなさるおつもりで?」
「僕は……、テールベルトに任せる。まだムサシ司令の様子も見たいから、できる限り離れたくはないけれど……」

 ムサシはとても興味深い存在だ。彼を手放すのは惜しい。
 ピアノでも演奏するような流れる動作でキーボードを叩いていたハインケルの手が、静かにエンターキーを押し込んで止まった。同時に、モニターの端に表示されていたタイマーがぴたりと静止する。

「――終わった」
「はっ? もう!? 嘘でしょ、ほんとに!?」
「ドルニエが仕掛けたものを、僕が解除できないはずがない、……んです」
「……さすが、ハインケル博士ですこと」
「つーことは、また俺達の出番だな。行くぞ、スズヤ。大元叩きにな」

 端末を操作してヒュウガ隊に連絡を取ったのだろうソウヤが、薬銃の調子を確かめつつ立ち上がった。スズヤもそれに倣う。まだ本調子ではないハインケルは、スズヤに背負われて研究所内を脱出することになった。
 廊下にうろつく感染者は、ソウヤが的確に処理していく。
 そうしてヒュウガ隊の乗ってきた王族専用艦の一室に通され、再び艦外に去っていく二人の軍人を見送ったのち、ハインケルはそのまま力なく机に突っ伏した。
 どっと疲労感が身体にのしかかってくる。今になって、ドルニエと対峙していた恐怖が全身を駆け抜けてきた。ぞわりと毛穴の開く感覚に身震いする。

「大丈夫ですか?」
「……ねえ、ミーティアさん。ミーティアさんは、僕が欲しい?」

 俯いたまま問うた。
 ビリジアンにハインケルをと望んだ彼女は、今はなにを思うのだろう。

「ええ、とても」

 即答だった。迷いなど微塵もない声に、思わず噴き出してしまったほどだ。
 湿った髪を、ミーティアの華奢な指が掻き分ける。頭皮を柔く引っ掻く感触が気持ちよくて、そのまま眠ってしまいたくなった。ほんのりと香る薬品の匂いが高まった神経を落ち着ける。

「ありがとう。でも、駄目だよ。あげられない」
「それは残念ですわ。ハインケル博士がおられれば、怖いものなんてありませんのに」
「うん。僕も、ミーティアさんと一緒なら、そうかなって思う、……ます」

 未だに丁寧な言葉は慣れない。「無理しなくて結構ですよ」優しく笑うその声に甘えて、ハインケルは子どものように頷いた。

「あの国に――テールベルトにとって、“ハインケル”は絶対であるべきだ。だから、僕はまだ、誰のものにもなれない」

 死ぬのは怖い。殺されることはもっと怖い。
 不要だと捨てられることも、どうして自分がその評価を受けるのか知ることも、怖い。
 だから、安全が確保できるように動くのだ。
 ミーティアの手が僅かに止まり、何事もなかったかのように髪を梳いていく。シャワーを浴びて煤やら埃やらを落としたいが、まだ当分そんな時間は与えられないだろう。
 このプレートでやるべきことはいくつも残っている。「ハインケル博士、」呼びかけられて視線を投げれば、苦笑が降ってきた。どこか含みを持たせた笑みは、心を不安にさせる。
 持ち上げた頬を、指先でそっとくすぐられた。誘うような手つきに、腹の奥からぞわぞわとしたものが湧き上がる。

「アタシ個人として、心底アナタが欲しくなってきましたわ。どうしましょう?」
「…………ど、どきどきするから、やめて、ください」

 じんわりと熱を持つ頬を隠すように、ハインケルはスツーカに顔を埋めた。


【22話*end】


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