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「……ソウヤ一尉、これ」
「お姫さんのだ。寮監が預かってた手紙の中に入ってた」
マミヤは軍人の証でもある徽章を外し、なにを思ったのだろう。
「ここから出ていくなら考えてやるとは言ったが、まさか本当に腹括っちまうとはなぁ」
ナガトの手に収まった徽章を見つめる瞳が思いのほか優しい。その優しさが、今は少し恐ろしい。
この人は、そんな無茶をするのか。
そんな無茶をしなければいけないくらい、あの国は無慈悲なのか。
歪んでいるのは彼と国、どちらなのだろう。
「いくら俺の心が神様もケツまくって逃げ出すほど優しかろうと、お姫さん個人の頼みなら聞かねぇよ。けどな、テールベルト緑姫(りょくき)と緑王陛下に頭下げられちゃ、どうしようもねぇだろ? ま、再雇用先は王家の警備隊にでも入れるようなんとかしてもらうわ。今より給料いいだろうしなー」
「とかなんとか言っちゃってー。おれ達助けにきたとき、見張りの連中張り倒しながらすっごいカッコイイこと言ってたくせに〜」
「よしスズヤ、全部終わったらお前泣かす。期待しとけ」
ソウヤがなにを思って翼を広げたのか、今のナガトには分からない。テールベルトのために飛び続けた人が、そのテールベルトに逆らって翼を失おうとしている。
説明されればされるほど、訳が分からなくなっていく。まるで曇天の中を飛んでいるようだ。雲に遮られてなにも見えない。降りるべき道が、どこにあるのか分からない。このまま当てもなく空を飛び続ければ、やがて燃料が底を尽いて墜落してしまうだろうに。
「――っしゃ、感知した! このプレートには存在しえない信号の中で、一定数の信号を送り続けてるものがある。おそらくホンボシだ。……時間はねぇぞ」
「艦長、それってまさか……!」
端末を見て膝を打ったヒュウガが、ちらりと奏を一瞥した。おそらく彼女には聞かせたくない内容なのだろう。それでもヒュウガは、強い口調で言った。
「この島国を丸ごと吹き飛ばせる爆弾様だ。早いとこ解除しねぇと、俺達全員英雄か極悪人へ転職だな」
* * *
いつものようにピルケースに手を伸ばし、グラスの水を口に含んだところで思い出した。「あ、」と思ったがもう遅い。慣れた手つきで片手で蓋を開けたピルケースの中には、なにも入ってなどいなかった。
薬がなくなったのは三日も前の話だというのに、習慣というものは恐ろしい。なにも含むことなくそのまま水を飲み下し、ムサシは空のピルケースをゴミ箱に放り入れた。これで明日から馬鹿らしい真似をしなくて済むだろう。あれば分けておくのに便利なピルケースだったが、中身を提供してくれる者がいなければ意味がない。入れ物なんぞはまた買えば済む話だ。惜しむほどのものではない。
まあそれも、中身を提供する者が帰ってくればの話だが。
ふっと息を吐き、ムサシは姿見に映る己の姿をまじまじと見つめた。少しばかり整った中性的な――どちらかといえば女性寄りの――顔立ちは、二十代に達するかどうかという頃合いだろう。これはもう何年も変わらない。毛先を緑に染めた白い髪は、つやつやと輝き光を反射させている。
上着を脱ぎ捨て、無造作に椅子の背に掛けた。自室なので誰に遠慮する必要もない。ネクタイを緩めて床に落とすと、それはまるで蛇のようにとぐろを巻いた。
シャツに手をかけたところで、ふいに鏡の中の自分と目が合って苦笑する。いつまでも若々しいその顔には、ほんの少し疲労が滲んでいるようにも見えた。
「色にこだわりすぎるのは、こんな世界だからですかねぇ」
緑にこだわるのも。白にこだわるのも。
こんな世界だからか。
「こんな髪にしてる私が言えたことでもないですけど」
白を塗り替えようとする緑。
全体的に染めなかったのは、別段この色が嫌いではないからだ。この髪を持って生まれたことに、今は不満など抱いていない。
とはいえ、今日のようなことを引き起こす原因となっているのは間違いないので、その点に関しては多少思うところもある。薄い身体に走り回る好奇の視線を思い出し、シャツを脱ぐ手を止めた。枯れた指先が先を争うようになぞっていった肌の表面には、遥か昔に刻まれた傷跡が今も醜く残っている。
面倒くさい。誘われるようにベッドに顔から飛び込み、全身の力を抜く。
この身体に生まれたことを悔いてはいない。悔いたところでどうしようもないのだから、そんな無駄なことはしない。色を持たない、そして男でも女でもない特殊な身体だからこそ、今の自分はここにいる。普通の人間として生まれていたら、いったいどうなっていただろう。つまらない人生を送っていたとすれば、今の方がよほど幸せだ。
「今」が楽しい。心の底からそう思う。
たとえ世界が白に呑まれようとも、空軍の立場が誰からも理解されなくとも、白を宿したこの身が衆目に晒された挙句、嘲笑されようとも。
運命などという殊勝な言葉ですべてを受け入れる気はないが、あるべきものを無視して嘆く心は持ち合わせていない。
今日集まっていた緑花院の連中は皆、自分達の勝利を確信して上機嫌だった。緑のゆりかごはもうじき完成する。あのプレートの一国を犠牲にし、この世界には緑を、自分達には揺るぎない地位と巨万の富をもたらす。
形骸化しつつあるとはいえ、この国を牛耳るのは緑王その人であるはずだ。しかし、実際に国を動かすのが王ではないという事実は、義務教育を終えた子どもなら誰もが知っているだろう。それでも王は、王として頂にあり続ける。
それを疎ましいと思う者が出てくるのも、当然の流れだった。
緑王は元より王族は、緑を生む唯一無二の存在だ。彼らがもたらす緑の恩恵があるからこそ、誰も王族を無碍にはできない。
だが、緑を生みだせるのが王族だけではないとしたら?
王族だけが持つ最大の特権を、その血を交えない者でも持つことができたとすれば。今は偽りの緑でもいい。この世界に白ではなく、色鮮やかな緑の植物が溢れるようになれば。
そうなれば、もう彼らは必要ない。彼らがこの国の頂に座る必要も、それを崇めなければならない理由もない。