4 [ 99/184 ]


「落ち着けよ、ナガト。あの女は確かに無茶するが、自分の力は把握してんだろ。本気で無理だと思えば室長に連絡す、」
「分かってる! 分かってんだよ、そんなこと! 分かってるけど、あんな状態でっ――」

 言いかけて、はたと気づいた。
 さっきのコールで、自分はなぜこうも動揺したのか。奏が悲鳴を上げたからだ。感染者に遭遇し、襲われ、恐怖して。
 先日、奏と一緒に行った京都ではどうだったろう。赤く染まった千本鳥居に囲まれ、日の暮れかけたあの山の中で、彼女は小さな薬銃を構えて引き金を引いた。見事に感染者を撃ち抜いたその腕前は、ただの民間人とは思えないほどだったけれど。
 座り込んだ彼女はナガトの服の裾を掴み、迷子の子供のような瞳で見上げてきたのではなかったか。小さなあの頭を、自分はこの手で撫でたのではなかったか。見つめた手のひらに、柔らかな髪の感触がよみがえる。
 では、最初は。初めて出会ったあの夜はどうだったろう。必死で警察を呼ぼうと受話器を手にしていた奏に後ろから近付いたナガトは、その受話器を取り上げて声をかけ――そして、叫ばれた。
 どうして忘れていたのだろう。
 あの子は確かに強い。けれど、初めて会ったときから今までもずっと、あの子は未知の恐怖に怯え、悲鳴を上げて震える「ただの女の子」だった。
 最初から、ずっと。

「……そうだ。強いからって、全部平気なわけじゃない」
「ナガト?」
「怯えてる。あいつ今頃、怖くて震えてる。――助けに行かないと」
「ちょっと待て、落ち着けって。俺達がパニクってどうする。行くったって、どうやって」
「どうやっても行くんだよ!」

 肩を掴んだアカギの腕を振り払い、ナガトは大きく吠えた。脇にいた穂香がびくりと震えるのが見えたが、構っている暇などない。
 感情を殺して兵器になるのは自分の仕事じゃない。兵器には程遠いと言われたことを思い出し、内心でそう吐き捨てた。
 走り寄ってパネルを叩き、順にスイッチを操作していく。「なにする気だ!?」アカギの問いに答えている余裕などない。ただ目の前のことに必死だった。反対側へ走り、赤いレバーを引いたところでアカギの顔色が変わった。ハッチのすぐ近くに備えられていた機銃がグイッと大きく首を動かし、へばりついていた太い蔦を絡め取る。明らかに挙動のおかしい音が響いたが、そんなことに構っていられない。一挺くらい壊れたところでなんとかなるだろう。
 限界まで首を動かし、照準も絞らずに乱射した。振動で蔦が剥がれ、艦が大きく揺れる。ガクンと右に傾いたタイミングで、ナガトはハッチへと駆けた。飛ぶようにタラップを駆け上がって体当たり同然の勢いでハッチを跳ね上げる。あれほど固く塞がれていたそこは嘘のように素直に開き、ナガトを外の世界へと導いた。足先が完全に外へ出た瞬間、アカギの声が掻き消える。
 凄まじい音を立てて閉まったハッチの上には再び太い蔦が這い、アカギと穂香を狭い艦の中へと閉じ込めた。白い蔦がナガトにも迫る。背中に装備していた飛行樹を素早く取り出してスイッチを押し、翼を広げて空へと舞い上がった。
 縋るように伸びてきた蔦を薬銃で撃ち、そのままぐんと急上昇する。冬の凍てついた空気が頬を叩く。吐き出した息は白く、寒さにかじかむ手は高度を増すごとに悲鳴を上げる。
 これからどうなるのか、想像しなかったわけではない。生きて国に帰ることができれば、そのときは厳罰が自分達を待ち受けていることだろう。どうせ今の時点で懲戒ものだ。だったらあと一つ二つ暴走してみせたところで、先に待つ未来はそう変わらない。
 緑防大で叩き込まれ、刷り込まれた考えは、それでいてここぞというときに効力を持たなかったらしい。「お前達は正義の味方じゃない。勘違いするな」何度も言われた。そんな綺麗なものではないと、何度だって実感した。
 困っている誰かを助ける、正義の味方。
 そんなものでいる気も、そんなものになる気も、これっぽっちもなかった。
 ――けれど。

「頼むから無事でいろ、絶対助けるから……!」

 一番最初に目指したものは、「それ」だったのだ。


* * *



「ナガト! 待てっ、オイッ! ――クソッ!!」

 すぐにハッチに向かったが、金属よりも頑丈な木製の重たい扉は無情にもアカギの鼻先で勢いよく閉ざされた。叩きつけるような風圧に目を閉じると同時に、蔦の這う音が間近に聞こえる。どれほど力一杯ハッチを押し上げたところで、それはびくともしなかった。どうやら完全に塞がれてしまったらしい。
 ――どうする。
 もう一度ナガトと同じ手法で蔦を蹴散らし、艦を脱出するか。したところでどうする。穂香一人をここに置いていくわけにはいかない。連れて行って、それでどうする。外は白の植物でいっぱいだ。危険区域に穂香を連れ出し、無事にミーティアのところまで辿り着けるだろうか。
 ありとあらゆる状況を想定し、リスクを計算する。出た結論は、一思いに飲み込むには随分と苦いものだった。如実に躊躇を語る足がタラップを降りる。今にも泣き出しそうな穂香が「あの……」と声をかけてきたが、結局それ以上は言葉が続かなかった。

「あのバカ、また一人で無茶しやがって……!」

 冷静でなんでもそつなくこなすように見えて、その実アカギ以上に感情に流されやすいのがナガトだ。アカギとてそう引けはとらないが、ナガトほどではないと自分では思っている。
 どちらにせよ、規律厳しい軍隊において二人は厄介な性質だった。それも緑防大出の幹部候補生がこれだ。性格・素行に難ありと評価が付けられるのは今に始まったことではなく、卒業後の特殊飛行部への配属も上は相当頭を抱えたと聞いている。
 もともと自分達は問題児として扱われていた。正式に入隊すれば変わるだろうと踏んでいたのだろうが、これでは元も子もない。


[*prev] [next#]
しおりを挟む

back
top

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -