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欠片が墜ちるその前に *18



 唐突に鳴り響いた電子音に呼ばわれ、イセはぎくりとして足を止めた。これほど過剰に反応してしまったのは、ここ最近何度となくかかってくる上からのコールに、知らず知らずのうちに身構えるようになっていたからだ。勢いよく腕を引かれたように振り返り、サイドテーブルの上に放置していた個人用端末を手に取った。画面には、イセと同じく空渡艦の艦長を務める男の名が表示されていて、どこかほっとする。
 ハンズフリー状態のままコールを受ければ、途端にスピーカーから大音量が津波のごとく流れてきた。耳に押し当てなかった自分の判断の正しさと、そうなることが分かってしまえる付き合いの長さに、なんとも言えない溜息が漏れる。

『おーいっ! イセー? あれ、聞こえてねぇの? イーセー?』

 四十を過ぎ、それでも未だに独身を謳歌するこの男は、相変わらず能天気な声でイセを呼ぶ。一艦長とは思えぬ男は、威厳よりもまず粗暴さが先に出ることで有名だ。左手には無茶を、右手には無謀を鷲掴み、その場を引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、面倒事は部下に押し付けて逃げることでも名が知れている。後片付けをきっちりこなす、有能かつ哀れな部下がいるからこそだという話もだ。
 特殊飛行部カガ隊を率いる艦長のカガ二佐は、緊張感のない声で「あっれ、繋がってねぇのかな」などと独り言を呟いていた。

「……どうした」
『おっ、なんだ、いんじゃねぇか。よーっす、元気にしてたかー?』
「ああ」
『そりゃよかった! ……でもよ、そこはフツー、俺の具合も聞かねぇ?』
「時間の無駄だ。用件を話せ」

 カガの具合など訊くまでもない。殺しても死なないような男だが、万が一にも弱っていれば彼の溺愛する優秀な部下が先にコールしてくるだろう。本人が出てくる以上、息災に違いない。
 けっして柔らかくはないベッドに腰を下ろし、イセは襟を寛げて一息ついた。ベッドサイドに置いた端末は、そのままやかましくカガの声を届けてくれる。昔から用もないのにコールしてくるような男ではあったが、少なくとも全隊出動などという異常事態に馬鹿話をしてくるような真似はすまい。
 用件を。硬い声音で促せば、カガは若干声を潜めた。

『――イセ隊は帰還してんだってな』
「ああ。少し前に戻っている。後続部隊との引き継ぎも済んだ。お前達の方はまだかかりそうか」
『おー、こっちはヤバいぞー。高度感染者が山ほどいっからなー。ヤシマ隊も応援に来たが、ま、追いつかねぇわな。感染速度がいくらなんでも早すぎるわ。テールベルト管轄プレートだからっつって意地張ってっと、そのうちビリジアンやカクタスに泣きつくはめになりそうだなぁ』
「……それは、イセ隊に再出動を要請しているのか?」

 途端にカガが噴き出し、音が割れた。げらげらとひとしきり笑ったあと、「まさか」と、笑いすぎて苦しそうにひっくり返った声で彼は言う。
 分かっていたからこそ、問いかけるのに間が開いた。それでも訊ねずにはいられないことも、カガには分かっていたのだろう。どれほど阿呆に見えたところで、本当に中身のない人間が艦長など務まるはずもない。
 階級も年齢も下の男だが、それでも対等に話し合えるのはそういうことだ。

『ハルナが、えらくナガト達のことを気にかけててなぁ』

 苦笑交じりの声は、カガにしては珍しい。
 イセは端末を引っ掴み、そのままベッドに身体を横たえた。サイドテーブルの上から枕元へと移動した端末がノイズを拾ったらしく、カガが「あ?」と不思議そうな声を上げる。移動しただけだと告げれば、特に興味もなさそうに「あっそう」と返された。
 硬いマットは、疲れの溜まった身体が沈むことを許さない。妻と娘、そしてここよりは柔らかい寝具が待つ自宅には、もう二ヶ月以上帰れていなかった。空渡の間は当然のこと、戻ってきてからも基地内の寮で寝泊まりする生活が続いている。自宅はヴェルデ基地から十分も離れていない距離にあるが、いつ何時緊急招集のかかるか分からない今現在では、ほんの数分も惜しまれるのだった。それが建前だと分かっているから、余計にやるせない。上としては、今ここで特殊飛行部の人間――特に艦長クラスだ――を、外に出すわけにはいかないのだろう。それくらいは嫌でも理解できる。
 疲労の蓄積した身体は、横になっただけで睡魔を連れてやって来た。イセももう五十だ。年齢のわりに老けて見られるのは日頃からいろいろ溜め込むせいだと、妻によく言われてきた。腕で目元を覆い、カガの声に耳を傾ける。休息を求める身体とは裏腹に、頭だけはいつも通りの動きを見せた。

「暴走させるなよ」

 言ってから失言に気づく。カガ相手になんたる失態だ。イセが己に舌打ちするよりも早く、カガが鼻先で笑った。

『ありゃあ大丈夫だ、折れどころを知ってる。どこまでもまっすぐなくせして、な。あいつは忠犬だよ。お前んトコと違って』

 ――そらみろ、油断するからこうなる。
 防御のつもりで構えた盾は、躊躇いなく中心を貫かれていとも容易く砕け散った。砕けた破片が鋭い刃となって突き刺さる。今さら失言を取り返すこともできず、ただただ痛みを甘んじて受け止める。カガに嫌味を言ったつもりはないのだろう。だからこそ余計に深く刺さった。

「……そうだな」
『目ぇ離すととんでもねぇコトになんぞー。気をつけろよ』
「言われるまでもない」
『俺達はなすべきことをなすだけだ。上が決めたことにゃ逆らえねぇ。……あーあ、偉くなったら自由度増すと思ってたのになぁ。息苦しくってやんなるぜ』

 いい加減に年相応の落ち着きを見せたらどうかと言いかけて、イセは言葉を噤んだ。これ以上自分の首を絞める気にはなれない。カガにはカガの、イセにはイセの為すべきことがある。
 傍若無人で好き勝手振る舞っているように見せて――確かにその通りではあるけれど――、艦長としての道を外すことのない男。彼の生き方を羨んだことがないとは言わない。だが、イセは今の自分を微塵も後悔してはいなかった。
 たとえ、優秀な部下を失うことになろうとも。

「お前は、どうする」

 なにをとは言わない。それでも通じたらしく、カガは少しだけ考えるように長い息を吐き、笑った。

『俺は動かねぇよ。命令されるまではなー』

 ――それが兵隊の役目だろ?
 あっけらかんとした物言いは、それでいてとても鋭かった。



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