揺らげ、揺らげ、 [ 8/9 ]



「あの眠たそうな目、あの身のこなし、あの時折見せる晴れやかな笑顔……! 信繁様こそまさに日の本一の武将、唯一の至宝! ああなんて素晴らしいんだ……このオレよりも秀でた人間がいただなんて!」

「うるさいよ。黙れば」

「耳障りだ」

「ほんまうっとーしいねんけど」

「み、みんな駄目だよ……。佐助くんだって、ぼくらと同じで源二郎様が大好きなだけなんだよ!」

「……とか言いつつ、六は爆弾持ってんねんから侮られへんよなぁ」

 恍惚の笑みで彼らの主――真田源二郎信繁を絶賛していた忍、猿飛佐助に浴びせられた視線はひどく冷たいものだった。
 しかしそれを本人が気にした様子はなく、反対に彼は周囲に集う仲間を一瞥して鼻であしらうように笑う。馬鹿にしたような笑みに、殺気を放ったのは由利鎌之助だった。
 両脇に残された長い前髪がひらりと揺れ、鋭い眼光がさらに鋭く猛禽類のように光を宿す。腰に装備している鎖鎌に手を伸ばしたとき、彼の手を小さなそれがきゅうと握った。

「駄目だよ、由利くん。ね? 落ち着こうよ……」

「邪魔をするな、望月」

「そうだぞ、オレと信繁様の愛の語らいに邪魔をするな」

 きらきらと光を弾く金茶の髪を携えた少年は、小柄な体躯をしていた。まるで小姓のような身なりだが、鼻のよいものならばほんの僅かに鼻腔に届く火薬の香を感じ取っただろう。
 真田忍隊においてもっても爆薬の扱いに長けている者――それがこの、羽虫一匹でさえ殺せないような顔をした望月六郎なのである。
 見当違いの発言をして周囲をさらに煽る佐助をちらと見やり、柱にもたれて書物を広げていた才蔵が大儀そうに息をついた。肩を過ぎるまで伸ばされた髪をさらりと後ろに払い、大きく丸い瞳をすっと細めて佐助に向ける。

「愛の語らい? 君の一方的な押し付けなんだから、黙ってなよ。源二郎様だって迷惑してるよ」

「はっ、迷惑? それを言うならお前の方だろ、才蔵。信繁様はオレと一緒にいたいのに、いつもいつもお前が邪魔をして……!」

「なにそれ、意味分かんない。君が僕と源二郎様の邪魔するんでしょ」

 両者一歩も引かぬ睨み合いを開始したが、二人とも忍であるがゆえにその眼力は凄まじいものだ。室内の気温が急激に冷えたような錯覚さえ与えるが、その場にいる者は誰も止めようとはしなかった。
 むしろ同じような視線を佐助に向かって投げつけているのである。残念なことに、この場に佐助を全面的に味方する者はいなかった。
 おどおどとした様子を見せつつも、望月六郎が懐から小型の爆弾を取り出した頃、廊下から鴬張りの床を渡る足音が聞こえてきた。優秀な忍の耳はその些細な音を聞き分け、この部屋に向かってきている人物が源二郎の兄、源三郎であることを悟る。
 
 源三郎はとても穏やかな青年だ。
 いつもふわりと優しい笑みを浮かべていて、人当たりもいい。そして聡明で、戦術にも長けている。声を荒げることはあまりなく、落ち着き払った様子は源二郎と一つ違いだとは思えぬほど大人びていた。
 源二郎との仲の良さは誰もが知っており、皆の理想の兄弟でもある。

 そんな源三郎が、たった一人で忍達に与えられたこの離れへやってくることは珍しい。
 家信がぱちくりと目をしばたたかせ、その横で六郎が首を傾げた。未だ睨み合う才蔵と佐助を横目で見てから、鎌之助が眉間にしわを寄せる。
 ――新たな任務だろうか。
 そう思ったつかの間、すぱんと襖が開け放たれた。

「おや、相変わらず仲がいいな、お前達」

「え、源三郎サマ。失礼ですけど、この二人の状態見てよぉそんなこと言えますねぇ……」

「喧嘩するほど仲がいいと言うだろう? いいことだ。まあ、どういった理由なのかは気になるけどね」

 くすくすと笑いながら室内に足を踏み入れた源三郎は、家信から差し出された円座を受け取って腰を下ろし、六郎が淹れた茶を大事そうに受け取って喉に流し込む。一息ついたところで彼はぐるりと室内を見渡し、いつのまにか隅に移動していた鎌之助を手招きした。
 大人しくそれに従って彼の前へ腰を下ろせば、源三郎はうっすらと口端を吊り上げる。
 口を開こうとした鎌之助に静止をかけ、源三郎はさらに家信と六郎にも黙っているように合図した。その視線はお互い牽制を緩めない佐助と才蔵に注がれている。
 どうやら、このまま観戦しようということらしい。

「――大体、信繁様はこのオレを一番に信用しているから、遠征を頼むんだ」

「は? それは君なんかを傍に置いておきたくないからだよ。自分のことも分からない人間が、よく忍なんてやってられるよね」

「お前に信繁様のなにが分かるって言うんだか。信繁様が唯一心を許しておられるのはこのオレだ!」

「だったら君、源二郎様の満面の笑み見たことあるわけ? 眠そうな目ってさっき言ってたけど、ぱっちりした目の源二郎様見たことないの? 所詮その程度ってことだよ」

 つんと顔を背け、冷たく言い放つ才蔵を前に佐助のこめかみがぴくりと引きつった動きを見せた。わなわなと肩が震え、俯いたかと思ったら途端にぐわりと牙を剥く。

「ならお前は信繁様と寝所を共にしたことがあるのか!?」

「なっ……なにそれ! そんな誤解を招くような言い方しないでよ、源二郎様が穢れる! それだったら僕だって一緒に温泉行ったりしたよ!」

「たかだか風呂だろ!? オレは――」

「僕は――」

 以下、延々と源二郎に関する自慢話が続くことになるのだが、あまりにも長く、そしてくだらないので割愛させていただく。
 互いに一歩も譲らぬ勢いで捲くし立て、顔に朱を散らせて舌戦を繰り広げるのだが、勝敗はつかぬようだった。
 鎌之助が呆れたように眺め、六郎が困ったような顔をしているが、家信と源三郎はその二人の様子を楽しんでいるようである。特に家信にいたっては、普段はあまり感情的に動かない才蔵が熱くなっているのを見るのがおもしろいようだった。
 それまで傍観を決め込んでいた源三郎が、突然膝を打って立ち上がった。ぽかんとその背を見送る三人の忍を振り返ることもなく次期当主
はつかつかと両者に歩み寄り、彼らの肩にぽんっと手を置いた。
 険悪な雰囲気だった二人がはたと源三郎に視線を向ければ、そこには爽やかな笑顔をそのかんばせに載せた源三郎が立っている。

「私は源二郎に接吻してもらったことがあるぞ」

 ――と、春先に吹く風のように爽やかに言うものだから、一瞬なにを言われたのかが忍達には理解できなかった。
 そして一拍遅れて家信が、「まあ兄弟やもんなぁ」と納得したように一人で頷く。――そう、一人で。

「……せ」

「接吻……?」

「源二郎と、だと……?」

「そんな……源二郎様が?」

「………………え、ちょ、みんな? なんでそんなびっくりしてるん? ていうか目の色変わって――えええ!?」

 家信を除く他の忍――つまり四人の真田十勇士達は皆が皆、驚愕の色を宿していた。
 佐助は「せ」と呟いて硬直し、才蔵は訝った表情で天井の片隅を眺めている。鎌之助に至っては何故か佐助に鎖鎌を向けようとしており、六郎はふるふると華奢な体を震わせて火薬を調合していた。
 ――何故だ。
 彼らの反応に驚いた家信が助けを求めるように源三郎を見るが、彼はほけほけと笑って過去を思い出すように口元に手を当て、好青年といった雰囲気を醸し出す声音で追い討ちをかけていく。

「そのとき源二郎は『源三あにうえ、大好き!』などと言いながら、ちゅうとしてくれたよ。いやはや、あのときは非常に愛らしかった」

「ちょおタンマタンマ! 源三郎サマ、それいつの話!? だからなんでみんなそんなマジな顔してんのーーーー!?」

「あれは今でも兄上、兄上と言って慕ってくれるな。かつては鳴雷(なるかみ)が怖いから、一緒に寝てくれとべそをかきながら私の寝所にやってきて――」

「源三郎サマ本気で待ってーー! それ以上煽ったらやばいって、な? 由利ちゃん? おーい、由利ちゃーん! あんたら自分らの性別覚えてる? なんでみんなノーマルやのにそんなショック受けてんの……」

 彼らには到底理解できない単語をぽつりぽつりと言葉の端に乗せ、家信ががっくりと肩を落とした。
 家信の言う通り、彼らは源二郎を恋愛対象として見ているわけではなく、彼ら自身が男色家だというわけでもない。
 それなのにも関わらず、彼らは源二郎のこととなれば何事も過剰反応してしまうのである。最早病気の域だと家信は思うのだが、そこには誰も口を挟もうとはしない。
 完全に忍で遊んでいる源三郎を半ば引き離すようにして――それでも失礼のないように――、家信は彼に部屋からお引取り願った。背後に驚愕のあまり言葉を失った忍を残し、異端に分類される忍は青年に問う。

「源三郎サマ、ちなみに本日の御用事は……?」

「可愛い可愛い弟の自慢でも、と思ってね」

「…………」

 ひらひらと手を振って去っていく源三郎の後姿を見つめ、家信はがくりと膝をついた。
 あの兄がいて、あの弟あり。
 この城の裏にある山に住む天狗は、源二郎のこちらでの姿を知らないだろう。また、家信達も天狗の知っている源二郎の姿を知らない。
 そしておそらく、天狗の前で見せる姿が本来の源二郎なのだと、漠然と彼らは知っていた。
 だからこそ、余計に過剰反応してしまうのだろうか。

 ふうと肺に溜まった空気をすべて吐き出し、家信は気を取り直して立ち上がった。
 再び部屋へ視線を戻し、そしてすぐに後悔する。

「なあ、みんなお願いやから帰ってきてや…………」

 そんな家信の悲痛な叫びが、小さく木霊としたとかそうでないとか――。
 それからもう一つ。その日、廊下を渡る源三郎はとても上機嫌で、源二郎と顔を合わせた途端破顔して「愛されてるなぁ」と言ったのだとか。



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