鬼灯の中の夢見鳥 [ 4/9 ]

 身の内で竜がのたうつ。押さえつけようと思っても、それは己が内腑を食い破るようにして侵食する。
 瞳は何色だろうか。血の赤か、水の青か、はたまた狂気の金か。
 何色でもいい。目の前に広がる光景を見ることができるのならば、その目が何色であろうと構わない。
 一つ、深く息をする。一つ、瞼を下ろす。一つ、相手を見据える。
 喰らえ喰らえ。身の内で竜が言う。耳を塞ごうと直接脳に響くそれからは逃げられない。いいや、逃げようと思わない。伸ばした右手の先が見えぬのは、今に始まったことではない。そこに揺らめく切っ先を、今になって恐れるはずもない。

「――去ね」

 両腕に鈍い衝撃が走る。確かなそれは、相手の身を切りつけた感覚だった。一瞬にして嗅覚が血の匂いによって支配される。視界の隅に飛んだ赤を見て、彼は小さく舌打ちする。
 遠くで声が聞こえたような気がした。それはこの世の終わりを告げる、人々の阿鼻叫喚。
 一つ、刀を振るう。一つ、刀を突き立てる。一つ、厳かに舞う。
 そして数え切れぬほどの屍が足元に転がり、命の音が消えていく。むせ返るような血の香に、酔いしれるかのように彼は舞い続けた。
 身の内で竜が問う。お前は誰だ。なんのためにここにいる。酔うためか。狂うためか。
 それとも、嘆くためか。

「俺は独眼竜、伊達政宗。貴様ら、それを知って刀を向けたのか?」

 ――否、貫くためだ。
 冷え冷えとした笑みに、今ままで刀を向けていた男達の表情が一瞬にして凍りつく。その見開かれた双眸に映し出されたのは、隠し切れない恐怖だった。
 少し離れたところで、馬がいななく。それをちらと見やり、政宗は静かに一歩を踏み出した。踏みしめた草地は血を吸って、ぴちゃりと濡れた足音を奏でる。跳ね返る血に気をとめた風もない彼は、まるで舞うように二刀を振りかざし、すべてを終えた。
 身の内で竜が哂う。おまえはまだ、よわい。



「随分と荒れていたようですね、藤次郎様」

「……景綱か。わざわざどうした」

「貴方様を迎えに参りました。お一人で城下へ降りないで下さいと、何度申し上げれば理解していただけるので?」

 苦笑気味に景綱はそう言うと、懐から取り出した手拭いで顔に跳ね飛んだ返り血を拭き取ってやる。されるがままになっていた政宗の顔を見て、景綱は困ったように眉尻を下げた。
 見上げた先にいる彼を見て、政宗は首を傾ぐ。どうしたのだろうと問おうとすれば、急に視線が同じ高さになった。彼がやや腰を屈めたのだと、瞬時に理解する。

「景綱……?」

「藤次郎様……成実になにか、言われましたか?」

 優しいけれど強い光を宿した双眸が、真っ直ぐに政宗の独眼を射抜く。政宗がまだ幼いときから共に過ごしてきた景綱が、その瞬間の政宗の変化を見逃すはずもない。ほんの僅かに揺れた瞳をじっと覗き込めば、たっぷりと間を空けたのち、彼が静かに首を振る。

「なにも。それよりもさっさと帰るぞ。そうだ、今日は近くの温泉にでも行こう。景綱、お前も来い」

「藤次郎様が仰るのであれば、いくらでもお供致します。……ですが、この景綱に言うことはそれだけですか?」

 見透かすような目。どうしてこの目は、隠そうとしているものを引きずり出すのだろう。
 政宗はかぶりを振って、大きく息をつく。先ほどまで刀を握っていた両の手のひらに視線を落とし、自嘲気味な笑みを浮かべた。
 耳の奥で声がよみがえる。弱いと奴は言った。変わらぬ、だから弱いと。確かにそうだ。確かに、負ける。だがしかし、そのようなことで朽ちるほどの心根を持ったような覚えはない。
 ああ、けれど。
 ほんの少しは、気にしていたのやも知れぬ。

「……お前には、適いそうもない」

「それはそうでしょう、藤次郎様。この景綱、藤次郎様のことを誰よりも存じていると自負しておりますよ」

 貴方様自身よりも、と小さく継ぎ足された言の葉に、政宗は目を丸くさせ、それから弾けたように笑った。独眼を細め、髪を揺らしながら「そうだな」と何度も漏らす。
 ひとしきり笑ったのち、彼はゆっくりと血に濡れた足元を見て、馬の手綱に手を伸ばした。勢いをつけて跨り、手綱を鳴らして前に進む。
 景綱もそれに倣って己の馬に跨ると、政宗の傍らにそっと付き従った。

「景綱、俺は変わったか?」

 馬上から投げかけられた問いに、景綱は優しく微笑した。

「ええ、以前よりも強くなられましたよ。そして今朝よりも、つらそうなお顔をしてらっしゃる」

 なにも知らないはずなのに、まるですべてを知っているかのようなその言葉に今度こそ政宗は面食らった。日の傾きかける空を見上げ、かぽらかぽらと歩む馬の背に揺られながらため息をつく。
 景綱はいつも政宗の右側を歩む。それは政宗が両利きだからという理由もあるが、心臓のある左側ではなく、右側にいるのはすべて政宗の死角を守るためだ。政宗の死角となる右側を己が補うために、彼がいる。
 それはずっと、変わらない立ち位置。

「よし景綱、ならば明日から鍛錬に付き合え。最近は手合わせなど、しておらぬからな。……分かっておるだろうが、手加減は無用だぞ」

 承知致しました、という声音が右の耳から滑り込んでくるのも、今ではすっかり慣れ親しんだものだ。


 変わらねばならぬのか。変わらねば強くなれぬのか。
 身の内に潜む狂気を出さねば、それは強さと呼べぬのか。
 否、この身に宿る力こそ、すべて。
 滾る竜よ、今は眠れ。
 でなくばこの爪、この牙で、すべてを裂いてしまうだろうから。


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