だいじょうぶ、だよ [ 7/29 ]

だいじょうぶ、だよ


hi


「……だいじょうぶ?」

「だ、大丈夫大丈夫……。ただ、ちょっと、ハードだったなと……。茉莉花は平気なワケ?」

「あ、うん。……あ、ちょっとびっくりはしたけど」

「うわ、マジか。なっさけねー……。男がこんなんってちょっとないわ……」

 まだ目眩が収まらないのか、小鳥遊くんは青ざめた顔でうなだれた。
 確かにあのお化け屋敷は人が演じていることもあって、結構リアルで気持ちが悪かった。きゃあ怖い、なんて言って抱きつけたらかわいげがあったんだろうけど、あいにくとあたしはホラーが平気な方なので、むしろ楽しんでいた節がある。
 「苦手じゃなかったはずなんだけど」と小さく言い訳する小鳥遊くんにペットボトルの水を差し出し、日の暮れかけたパーク内をなんとはなしに眺めてみた。
 山を模したコースターが、ゆっくりと赤く染まる。もうすぐパレードの時間だからか、メインストリートには早くも場所取りの人だかりができていた。

「なんつーか、ほんっとごめん。男の方がびびってるって……嫌、だよな?」

「え? あー……別に、平気だよ。……もっと怖がりな男のひと、知ってるから」

「うー、ならいーけど。ん? そういや、茉莉花って兄ちゃんいたっけ?」

 心霊番組のコマーシャルを見ただけでびくりと肩を揺らし、子犬のような目で助けを求めてくるあの人が、自然と脳裏に浮かんだ。思わず口にしてしまったが、小鳥遊くんに訊ねられてはっとする。
 兄、か。確かに、将来的にはそうなるのかもしれないけれど。

「ううん、お姉ちゃんだけだよ」

「じゃあ親父さん?」

「でもなくて。えっと、その……」

 何度も言ってきた台詞が、なぜか喉の奥で絡んで出てこなくなった。別に苦しいわけじゃない。カルピスの原液を飲み込んでしまったような、そんなねっとりとした感覚が残っている。
 言い淀むあたしを不審がることもなく、小鳥遊くんは屈託なく笑った。

「ああ、ハルカさんか。栗子さんとほぼ同棲状態っつってたっけ。あー……でもなんか、確かにあの人怖がりっぽいな」

「――うん。こないだお姉ちゃんが映画借りてきたんだけど、予告編にホラーのがあって、それだけで泣きそうになってた」

「あっはは! 想像できる! あーゆー優しそうな男が見せる弱い一面に、母性本能くすぐられたんだろうなあ、栗子さん」

 ねえリィ、ちょっとどこ行くの、ねえってば!
 うっさいな、トイレよトイレ! 服離しなさいよ!
 え? ちょちょちょちょっと待って! 一人にしないで! 責任取ってよ!
 なんの責任よ鬱陶しい! 女々しいこと言ってんじゃないわよこのドヘタレ! それに茉莉花がいるでしょ、茉莉花が!
 ジャスミンちゃんになにかあったらどうするの!? 俺一人じゃ守りきれないよ!
 なにかってなにがあるっていうのよ!?
 それはほら、て、手がばにゅーんって出てきたりとか……!
 チェーンソーで追い回されたりとか?
 あああああああああああ……!

 ……ちょっとお姉ちゃん、いじめすぎ。

 甘やかさなくていいのよ、茉莉花。こんな情けない男、ちょっとは鍛えないと。
 だからって無理矢理こんな番組見せなくっても……
 悪霊退散祓い給え清め給えオンアビラウンキャンシャラクタンナウマクサンマンダ……
 ――ほら、悠さん壊れた
 あーもう、分かった分かったわよ! 今日はもう三人で寝てあげるから。川の字よ、かーわーのーじ。もちろん、茉莉花が真ん中で。
 はあっ!?

「……茉莉花? またぼーっとしてるけど、眠いのか?」

 目の前を手のひらが二、三度往復し、そこでようやく意識が現実に戻ってくる。ああもう、さっきからこんなのばっかり。これじゃあ、小鳥遊くんに失礼にもほどがある。
 それに、虚しいだけだ。諦めなくちゃ。
 諦めるもなにも、あたしが今好きなのは小鳥遊くんだけなのに。

「ごめん、ちょっとはしゃぎ疲れちゃったみたい。でも大丈夫だから、気にしないで」

 そっか、と小鳥遊くんは笑い、程良く日に焼けた頬をぽりぽりと掻いて、照れくさそうにオレンジの夕日が差し込む方を指差した。

「じゃあ、さ。ベタで悪いけど、次はあれに乗って下さい」

 別に下心とかないから。いやほんと。大丈夫だから、うん。
 誰も文句なんか言ってないのに、わたわたと言い訳して小鳥遊くんは酸欠の金魚のようにせわしなく口を動かす。
 ゆっくりと周り続ける鉄の風車(かざぐるま)は、きらきらと陽光を反射させていた。

「……うん。いいよ。観覧車なんて何年ぶりだろ」

 そう返したときの小鳥遊くんの笑顔は、一生忘れられそうにない。


+ + +



 観覧車はこの時間人気なのか、行列ができていた。やっと乗り口が見えてきた頃には、もう太陽はほとんど沈みかけていて、最後の足掻きと言わんばかりに真っ赤に地平線を染めている。
 もうすぐだね、と言いかけたとき、ショルダーバッグの中で携帯が震えた。長さからして電話だが、一度目は無視する。二度目の着信で小鳥遊くんが気づき、「出ていいよ」と言ってくれたのでその言葉に甘えることにした。
 ディスプレイに表示されていたのは、『お姉ちゃん』の文字。

「……もしもし」

『あっ、もしもし茉莉花!? 今どこにいる!?』

「どこって、遊園地だけど」

『だからっ、遊園地のどこにいるのかって聞いてんのよ! 今、小鳥遊くん横にいんの?』

 ちら、と横目に小鳥遊くんを見て、見えるはずもないのに小さくうなづく。

「うん、一緒に来てるんだから当たり前でしょ。なんの用?」

『あー……先に謝っとくわ。ごめん、茉莉花。特に小鳥遊くん。ほんっとごめん』

「お姉ちゃん……? どういうこと?」

『それからアドバイス。茉莉花、罪悪感で死にたくなるかもしれない。そんときはお姉ちゃんに言いなさい。一発でも二発でも殴ってあげる。望むなら罵ってあげる。……だから、アンタはアンタが望むようにしなさい。アンタまだ高校生なのよ。一回くらいとんでもないワガママ言ったって、十年後には笑い話なんだから』

「……なにそれ、意味わかんない。なんの話?」

 すぐに分かるから、と、姉はそんなことを言う。成人していたって中身はまだまだ子供のくせに、大人ぶって偉そうに。日曜日の朝からやってる、戦隊ヒーローものの番組を、ぼさぼさの頭で毎週欠かさず見ているくせに。
 あたしよりも遥かに幼稚に思えるあの人は、少しだけため息を織り交ぜて、優しく言った。

『覚えておいて。お姉ちゃんはね、アンタが大好きなんだから』

 どういうことかと聞く前に、列を整理する係員の声が思考を無理矢理止まらせる。小鳥遊くんに口パクで「おねえちゃん」と伝えると、彼は不思議そうな顔をしながらも状況を理解してくれたらしい。もうすぐあたし達の番だから、そろそろ切らないと。
 そう思って再び携帯を耳に当て直すと、それはもう不通になってしまっていた。

「切れたの?」

「あ、うん……」

「なんの用だったんだ?」

「分かんない。……なんだったんだろ」

 酔っぱらっていたのだろうか。それくらい意味の分からない電話だった。
 ……意味は分からないけれど、心当たりがないわけではない電話だった。
 罪悪感で死にたくなるかもしれない。だけど、とんでもないワガママ言っても許されるのよ。どういうことか、考えたくもない。なのに、頭の片隅で、砂粒ほどの希望が生まれる。
 ちがう。仮に「そう」だとしても、姉はそれを言っていい立場じゃない。だって、姉はあの人の彼女だ。あの人は、姉のものなのだ。
 あたしがどうやったって、どう思ったって、あの人は、お姉ちゃんしか見ていない。

 あと三組で、観覧車はあたし達の番だ。目の前のカップルが手を繋ぎ、身を寄せあっている。
 なんともいえない気持ちでそれを眺めていたら、ふいに右手にあたたかいものが触れて、反射的に手を引いてしまった。
 そして瞬時に後悔する。

「あっ、ご、ごめん、ちょっとびっくりして……」

「え、あ、いいって、うん。急だったから、ほら、うん。俺の方こそごめん」

 耳を赤くさせた小鳥遊くんが、ばつが悪そうに左手を握ったり開いたりしている。
 手を繋ぎたいとか、思ってくれてるんだ?
 というか、小鳥遊くんでも、こんなにためらうものなんだ?
 あたしと違って、小鳥遊くんは付き合った相手が他に何人かいるはずだ。彼女がいたのは初めてじゃないはずなのに、純情少年そのものの反応だ。
 視線を合わせようとしない小鳥遊くんの左手に、そっと右手を重ねた。びくり。大げさなまでに跳ね上がった彼の肩を見て、背後のカップルがくすりと笑う。

「……もうすぐだよ。行こ?」

 きゅ、と少しだけ力を入れてみれば、ぎゅっと強く握り返された。

「おうっ!」

 大丈夫、ドキドキしてる。
 だいじょうぶ。間違ってない。


 ――だいじょうぶだよ。



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