おきつねさまと一つ目の竜 [ 6/22 ]

おきつねさまと一つ目の竜


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 暇だ、と、白銀の天狐は呟いた。足元ですーぴーすーぴーと寝息を立てる童女を蹴飛ばしてみるのだが、少し眉間にしわを寄せただけで起きる気配はない。あの小生意気な男も今は出仕しており、屋敷にはいない。
 内裏とやらに押しかけてやってもいいのだが、そうするとあの男は大層機嫌を損ねる。別に人間一人の機嫌などどうでもいいのだが、男の用意する酒は美味い。まさに神酒と呼ぶに相応しいもので、あれを手放すのは少々惜しい。
 どうしたものかと考え、天狐はもう一度童女を蹴飛ばした。ころころと転がっていく小さな子供は、先日彼女が男に『拾わせた』ものだ。

「……暇だ」

 声に出して呟けば、誰も答えないせいかさらにつまらなさが募る。癖のない銀髪を乱暴に掻き毟り、天狐は名案を思いついたのかぽんと手を打った。
 ――そうだ、あの寵姫のもとへ行こう。
 思い立ったらすぐ行動の天狐は、瞬き一つ分の間に時空を歪め、ひょいと誰の許可もなく混沌とした門の向こうへと渡っていった。


+ + +


「それで、なぜ、天狐などが、来て、おるのだっ! あああ、しかも当然のように飯を食うな!」

「いちいち騒ぐなやかましい。一つ目の竜よ、お前は黙るということを知らんのか」

 見事に膳の油揚げだけを避けて箸を進める天狐、月乃女は大仰に息をついて政宗を流し見た。器用に魚の身をむしって口を運ぶ様は、頭に飛び出ている狐の耳と背後にひょんひょんと揺れている四尾さえなければ、見惚れたかもしれないものだった。――あと髪と目の色も、だろうか。
 なんの遠慮もなくこの屋敷にて夕餉を食す月乃女に、『異常』なことに慣れている城の者達はまったく動じなかった。城主である政宗が心底不安に思うほど彼らは平然として普段通りに振る舞い、正室の愛姫にいたっては完全に人ならぬ美貌に心を奪われている。

「なにゆえここに来た、天狐月乃女!」

「暇を持て余しておったのでな。――娘、酒を取れ」

「はい、ただいま」

「天狐ごときに媚を売るな愛(めご)ぉおおおおっ!」

 月乃女に酌をする愛姫に怒号を浴びせてみるのだが、彼女はつんと澄ました態度で政宗を一瞥し鼻で笑って無視をした。始終笑顔で月乃女の一挙一動を見ている様子から、相当懐いたのだと窺える。
 ぎり、と唇を噛んだ彼をちらと見た月乃女は、長い爪をくいくいと動かして近寄れという合図を送った。行くものかと心に決めて睨み返してはみたものの、次第に険しくなっていく彼女の顔を見てその決心も鈍る。
 人であれば負ける気はしない――たとえ結果がどうなろうとも、だ。臆する気も毛頭ない。なれど相手は人間ではなかった。
 神に通ずる力を持つ天つ狐なのだ。その気になればこの城ごと破壊されるのは目に見えている。死ぬのならば、戦場で戦って死にたいと思うのが武士の心だ。
 多少の不平を漏らしながらも傍まで寄った政宗は、二呼吸分と置かずにその判断を後悔した。

「っ、なにをするか!」

 ぐっと素早く手首を掴まれて引き寄せられ――むしろ引き倒された――、さほど大柄ではない政宗の体は、いとも容易く月乃女の腕の中へと収まった。足に引っかかった膳の上で器がかちゃんと音を立てたが、彼女は一向に気に留めない。
 月乃女は左側に愛姫を、右側に政宗を抱え、酒盃を片手に満足そうな笑みを浮かべた。両者の額に交互に口付け、勢いよく杯を傾ける。

「なっ……! なっ、あ……!」

 なにをするか、という先ほどと同じ台詞は出てこなかった。代わりに羞恥と怒りで染まった赤い顔が、月乃女の心を刺激する。
 彼女はにいと口の端を持ち上げると、肩に回していた腕に力を入れてさらに強く引き寄せた。軽い動作で顎を持ち上げられ、人外の美貌が鼻先に突きつけられる。

「酒も呑まぬのに酔うたか、一つ目の竜よ。随分と顔が赤い」

「うるさっ――!」

 喉の奥で笑われてかっと血が頭に上った政宗が月乃女を突き飛ばそうとするも、彼女はやや後ろに仰け反っただけで――それも明らかにわざとだと分かる――、腕の力を緩めようとはしない。
 片腕は愛姫の腰に回しているというのに、この力は一体どこから出てくるのだろうか。
 無駄な抵抗は彼女を煽るだけだと判断した政宗は、苦虫を数百匹まとめて噛み潰したような表情のまま、その場にどっしりと胡坐を掻いた。相変わらず肩に回された腕が不愉快だが、腰よりはましだ。無理やりそう思い込ませ、長いため息をつく。

「初めからそうしておればよいものを。我に敵うはずもないことは、その身でよう知っておるだろうに」

 くく、とさもおかしそうに笑った月乃女は、酒が入って上機嫌なのか四尾をゆったりと上下に揺らして畳を叩いている。ふわふわとやわらかそうなそれに目が釘付けになっていた愛姫が、彼女にそっと寄り添いながら小首を傾ぐ。
 この猫かぶりめ、と呟いた政宗をきつく睨んだのち、愛姫は甘えるように言った。

「天狐様、あの……尻尾を、触ってもよろしいでしょうか」

「我が尾を? 無礼な小娘だな。……まあよい、特別に許そう。ほら」

 そう言って月乃女はひょんと四尾を愛姫の方にやり、猫の子でもあやすかのように揺らしてやった。途端に目を輝かせた愛姫がそっと尾に手を伸ばす。
 銀のそれに触れた瞬間、彼女は堪らず歓声を上げた。

「きゃああっ、ふわっふわ〜!」

「気に入ったか? まったく……人とは実に不思議なものよ。特に娘は、皆同じ反応をする」

「天狐、お前他に人間と交流があるのか」

「なんだ、妬いているのか我が一つ目の竜は」

 愛い奴だ、と囁かれて額に再び唇が押し当てられたとき、政宗は熱と寒気が入り混じった状態で悟った。
 ――酔っている。
 傲岸不遜・天上天下・傍若無人と三拍子――いや、おそらくそれ以上だ――が揃った天狐月乃女は、ほとんど顔色を変えていないものの、明らかに酔っている。確かにもうかなりの量を飲んではいるが、まさか天狐が酔うとは予想だにしていなかった。
 だからこそ愛姫が無礼な頼みごとをしても気を害すことなく望みを叶えてやっているのだ。これがもし平常時なら、冷たい眼光をくれただけで終わるだろう。悪いとすぐさま首が飛ぶ。
 ぞっとして恐る恐る月乃女を見た政宗は、ちろりと覗いた赤い舌の意味を解釈するのにしばらく時間を要した。答えが出るよりも先に首筋の太い血管の上――単に首ではなく、『血管の上』だ――を、軽く舐め上げられる。

「いっ!?」

「……美味そうな血の香(か)よ。酒の肴にはちょうどよいかも知れぬな」

 虹彩が縦に裂けた金の双眸は完全に据わっている。慌てて首筋に手のひらを押し当てれば、月乃女はさらに意地悪く笑った。
 に、と吊り上げた口端から、獣特有の鋭い牙が顔を覗かせる。
 背に腹は変えられぬと思い愛姫に目を向けるが、彼女は尾に夢中で、仮にも夫でなおかつ城主の生命の危機ともいえる状況に気づく気配はない。振り切って逃げ出すことも忘れ、硬直していた彼の眼前に刃のような牙が迫りくる。

「かっ、かげつなーーーー!」

 こののち、政宗の悲鳴にも似た絶叫を聞きつけて駆けつけた片倉小十郎景綱は、室内に広がる光景に絶句した。
 主は天狐に襲われ――少なくとも生命の危険は感じられない――、天狐は主の正室を尾で遊んでやっている。正室は尾に夢中で、まるで猫がまたたびを与えられたような状態だ。
 そこで景綱は思案した。どうするべきか、と。
 そして彼は結論を出す。

「失礼致しました、藤次郎様」

「かげつなーーーーーーっ!?」

 かたり、と切ない音を立てて障子が閉められる。
 鋭い牙の先端が首の薄皮を破った熱を感じながら、政宗は再び絶叫した。
 ――教訓。


 触らぬ神に祟りなし。
 酔った天狐に祟りあり。


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