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 満月の下、穢れなき雪原に佇む大きな狐。
 片方は僅かな光を受けて輝く、銀毛四尾。片方は雪にも負けぬ美しさの、白毛九尾。
 刺さるような神気と妖気が渦を巻き、風を掻き混ぜる。淡雪の髪を、衣を容赦なく攫い、その場には吹雪が発生した。鈴のような声が聞こえたと思ったら、ぴたりと風がやんだ。雪は穏やかに降り積もる。胸一杯に空気を取り込んで、そのとき初めて、淡雪は己が呼吸を止めていたことに気がついた。
 二匹の狐が天狐であることはすぐに分かった。銀毛四尾――それはまさしく、天狐族の象徴だ。固唾を呑んだ淡雪に気がついたのか、天狐は瞬く間に姿を転じた。一瞬で巨大な影がすらりとした人のそれに代わる。

 またしても淡雪は言葉を失った。
 その美しさに。その気高さに。その恐ろしさに。震える身体を抱き締め、ぎゅっと強く目を閉じて彼らの出方を待った。下手をすれば殺されるかもしれない。そんな恐怖に怯える淡雪の耳に届いたのは、予想もしない言葉だったけれど。





「――と、いうわけでございます。お江戸の町は、ユキシロさまのお話で持ちきりのようで」

 夜もとっぷりと更けた頃、淡雪は昼間に聞いた童達の噂をそっくりそのままツキシロに語って聞かせた。ユキシロの双子の兄であり、天狐族の長であるツキシロは、美しい顔を僅かに歪めて低く唸る。彼は神の位を持つ空狐である母によく似ているのだと言う。男の彼でここまで美しいのだ。その母はどれほどのものか――と思案に耽っていると、ツキシロはふるりとかぶりを振った。それに合わせて、頭の高い位置で束ねた銀の髪がひょんと揺れる。

「相も変わらず落ち着きのない……」

「初めてお会いしたときから、ユキシロさまは楽しい方にございました」

 そう言うとツキシロはますます苦い顔をしたが、淡雪はそれが面白くて仕方がなかった。あまり感情を表にすることのない彼の、こういった分かりやすい反応は貴重な気がしたのだ。
 初めて出会ったあの晩、ユキシロは緊張で半分変化の解けた淡雪をまじまじと見つめ、不思議そうに言ったのだ。「おいツキシロ、この娘っ子はなにゆえ狸の真似事をしておるのだ?」それを聞いた瞬間のツキシロの顔が忘れられない。
 「ユキシロ、その娘は狸の真似事をしておるのではない。――人の真似事をしておるのだ」嘆息と共に吐き出されたその言葉に、かぁっと赤く染まっていったユキシロの顔は、それはもう見ものだった。恐怖心など消え失せ、思わず噴き出してしまうほどに。
 この話をユキシロに持ちかければ、彼はたちまち機嫌を悪くしてしまう。むっつりと黙り込んで、子供のように口を聞いてくれなくなるのだ。だから淡雪は、この話はツキシロの前でしかしないことに決めている。友人達にも内緒だ。猫又のお花にも、かわうその七兵衛にも、河童の長次郎にも。

 彼らは話に聞いていた天狐の印象とは随分と違っていた。確かに誇り高く、力も強い。しかし無闇に力を振り回すようなことはなく、下級妖怪達の話も同じ目線で聞いてくれた。親しくなるうちに、酒に酔ったユキシロがぽろりと漏らしたことがあった。ユキシロはツキシロよりも長身で、がっしりとした体躯だった。真っ赤な顔で淡雪の肩に顎を乗せ、彼は酔った勢いに任せて語った。
 ツキシロとユキシロは時を同じくして生まれたが、ツキシロは生まれながらにして九尾の狐、ユキシロは母の力を持たない月落とし。憎かった。短い髪から覗く耳を真っ赤にさせて、ユキシロは言った。「俺はツキシロが憎かった。なにゆえあいつばかりが母上の傍におれるのかと、ずっとそう思っていた」淡雪からすればユキシロもかなりの力を持った高位の狐であるのに、彼はそんなことを言う。
 なにを言うべきか迷っているうちに、ユキシロは酔いつぶれてしまった。迎えにきたツキシロは、今と同じように難しい顔をしていた。



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