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「ツキシロさまとユキシロさまは、仲がよろしゅうございますね」

「――そうさな。我にはユキシロが必要だ」

 弧を描く橋の上で川面に映った月を見つめるツキシロは、ぎょっとするほど美しい。どきりと高鳴る胸を抑え、淡雪は言い知れない感情を誤魔化すように夜空を仰いだ。
 天に浮かぶ満月を見て、どこかで聞いた話を思い出す。

「そういえば、ツキシロさま。知っておいででしょうか。月には兎がおるそうですよ」

 なんでも餅をついておるのだとか。
 そんなことを兎のあやかしに話すと、彼女は「わっちは餅など好かんでありんす」と憤慨していた。人の子は面白いことを言うものだと、あやかし達の間では酒の席でたびたび出てくる話題である。
 なんの気なしに振ったその話題に、ほんの一瞬、ツキシロの瞳から光が失せた。え、と瞠目すると、彼は小さく笑って月を見上げる。その横顔がどこか寂しそうで、淡雪はどうしようもなく落ち着かなくなった。

「……それは異なこと」

「え?」

「月には烏が棲んでおる。太陽から盗んだ烏を、その裏側に隠しておる。――兎が住まうは、人の世よ」

 太陽には烏が、月には兎が。
 昔からそう言い伝えられてきた。だが、月に烏が棲むなど聞いたことがない。
 「兎が住まうは人の世よ」そう言ったツキシロの目は、どこか遠くを見ているようだった。昔を懐かしむような、そんな目をしていた。

「なにゆえ、からすなのでございましょうか」

「――烏兎(うと)。烏と兎は共に人の世を照らしておった。なれど、兎は人の世に降りた。兎はもとは太陽の子であった。天照の血を引く者であった。ゆえに、月には誰もいなくなった。月は自ら輝けぬ。それゆえ、奪ったのだ。生きとし生けるものをすべて焼き尽くす力を持つ太陽から、闇の中に佇むしかできぬ月へと。淡雪、お前は見たことがあるか? 月が欠ける様を」

 ツキシロの話は伝承の類ではなく、もっと別のなにかのように聞こえた。実際に見て聞いたような、そんな語りだった。天照の血を引く兎とは、いったいなんなのだろう。
 疑問に思いつつも、淡雪は頷いた。月が食われていく様は何度か見たことがある。
 すると、ツキシロはどこか嬉しそうに笑った。

「あれは烏が翼を広げておるのだ。漆黒の翼の中で、月はしばし眠りに落ちる。そうしてまた烏を裏に隠し、なに食わぬ顔で空にあり続ける」

「では、兎は人の世でいったいなにを……?」

「……月の兎は、生きた。人と、あやかしと。最期まで、共に生きた。あれは、血になど惑わされぬ強き兎であった」

 やはり、ツキシロは昔を思い出しているようだった。人とあやかしと生きた兎。それはあやかしか、それとも人の子か。どちらだろう。そして、彼はその兎とどういった関係だったのだろう。
 彼の目には一滴の涙も浮かんではいないのに、今にも泣き出しそうに見えて、淡雪は苦しくなる呼吸を無理に続けなければならなかった。胸が痛い。
 ぎゅっとツキシロの衣を握り、月ばかりを見上げる彼の視線をこちらに向けさせる。澄んだ美しい双眸の中に己が映り込んでいた。

「淡雪?」

「あ……、申し訳ございません……っ!」

「構わぬ。気にするな」

 衣の裾を掴んだ手を上から握られ、大きく跳ね上がった心臓に座りが悪くなる。ツキシロの美しさは罪だ。うっかりすると、「化かされて」しまいそうになる。



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