紅の夢を藍は望む [ 3/9 ]

の夢を藍は望む


hi

 どこまでも深い闇の中にいた。
 出口もなければ、入り口もない。
 だって自分は最初からそこにいたのだ。
 闇の中で生まれ、闇の中で育ってきた。
 だから生まれて初めて見た光はとても眩しくて、とても暖かくて、なによりも優しかった。
 闇から救い上げてくれたあの手を、もう二度と離さないと思うほどに。


 ゲルトラウトが末の弟であるルードヴィッヒに手を差し伸べたあの日から、彼は足しげくゲルトラウト母子の暮らす塔に通いだした。特に彼の母が亡くなってからはそれが顕著になり、初めはこっそり隠れながらやってきていた弟は、堂々と入り浸るようになっていった。
 第五妾妃を実の母のように慕い、ゲルトラウトを敬愛した。やせ細った小さな体で必死にゲルトラウトの後ろを追いかけ、兄上兄上と小鳥のようにさえずる姿は微笑ましくも思える。
 現に第五妾妃つきの女官達は、息を切らして駆け込んでくるルードヴィッヒを暖かく迎え入れるのだ。そしてふふふ、と上品な笑みを零しながら「ゲルトラウト様、ルードヴィッヒ様がいらっしゃいましたよ」と言って問答無用で弟を部屋に引き入れてしまう。

 どうにかならないものかと考えながら、珍しく宮城内を歩いていたゲルトラウトは、不穏な物音を耳にして書庫の前で立ち止まった。
 耳を済ませれば、第九公子の怒鳴り声が鼓膜をびりびりと震わせる。
 いくら小さな書庫とはいえ、このように声を荒げていい場所ではない。所詮他人事なので「司書が困ってんだろーなぁ」程度にしか気にしていなかったが、次いで聞こえてきた声に大きく目を見開いた。 

「おやめ下さい、第九公子様。僕がなにかいたしましたか」

 子供特有の高い音域から抜け切れていない声音は、間違いなく末の弟のものだ。
 ゲルトラウトの脳裏に、朝露に星屑を溶かし込んだ白金の髪が浮かぶ。いつもぼさぼさで薄汚れていた髪は、今では艶やかに風になびくほどになっていた。
 顔色も悪く、生傷や打撲傷が絶えない末の弟は、深い藍の双眸に絶望だけを浮かべて膝を抱えていたのだ。
 小さな小さな気弱な弟。
 ここ数年、彼を虐める公子達は父王の命によって各地方へ散り散りになっていた。偶然か必然か、ゲルトラウトとルードヴィッヒだけが王都に留まることを許された。
 ――周りは皆、役立たずだから取り残されたのだと言っている。
 どう言われようとまったく気にすることのなかったゲルトラウトは、日に日に顔色がよくなっていく末の弟の姿を見て穏やかな気持ちを感じていたのだ。胸に優しい灯火が宿る、その感情を。

「あいつ、また……」

 それなのに、またあの子は笑顔をなくすのか。
 理由も分からないまま差し伸べた手を、躊躇いがちにとったあの弟の、優しい笑顔を。
 関係ないと割り切れるほどゲルトラウトは大人ではなく、許せないと喚き散らすほど子供でもない。ただ静かに書庫の前に立ち尽くし、いつも言われている『最善の道』を探すのみ。
 そして自分の中で出てきた答えに、ゲルトラウトはそっと嘆息した。ああ頭が痛くて敵わない。

「――おい、ルーイ」

「あっ、兄上!」

「ゲルトラウト兄上!? やはり貴様が首謀者か!」

 がらりと扉を開けてルードヴィッヒを庇うべく書庫に足を踏み入れたゲルトラウトは、目の前に広がる光景を見てなにも言わずに後退した。間髪入れずにがちゃりと扉を閉め、ゆっくりと深呼吸する。
 これはなにかの間違いだと言い聞かせ、ゲルトラウトはもう一度扉を開いた。

「…………………………」

「兄上が貴方のような下等生物に自ら手を下すとお思いですか? お思いでしょうね、だって単細胞なんですから仕方ないです。あ、心配しなくっても大丈夫ですよ。本で殴って気絶させてる隙に、無理やり口こじ開けて毒薬流し込もうなんて思ってませんから」

「ふざけるな! 穢れた娼婦の子供がっ! こんなことをしてただで済むなんて――」

「…………ルーイ、なにやってんだ?」

 ぎゃんぎゃん喚く第九公子の言葉を遮って、ゲルトラウトは天使のような微笑を浮かべるルードヴィッヒに問うた。すると彼は藍の双眸を輝かせ、手にしていた分厚い本を机の上に置く。
 そしてなぜか椅子に縛り付けられた第九公子を、がすっとひと蹴りしてから言った。

「教育的指導です!」

「あー……なるほどねー。教育的指導、ね」

 あのか弱かった弟は、一体どこへ。
 若干痛むこめかみに手を当て、ゲルトラウトは考えた。そして結論に行き着く。
 ――あの母に育てられたのだ。こうなっても不思議ではない。
 本来の実母ではなく、ゲルトラウトの母に徹底的に教育されたルードヴィッヒの変貌は目を瞠るものの、悲しきかな、頷けるものがあった。
 雁字搦めにされて怒鳴り散らす第九公子に憐憫の眼差しを送り、どうしたものかとため息をつく。

「とりあえず離してやれ。それから、あんまケンカ売るよーなことすんじゃねーぞ」

「はいっ、兄上。兄上がそう仰るのなら」

 なんだその変わり身の速さは、と叫ぶ第九公子をルードヴィッヒは笑顔で殴り、天使も真っ青の笑顔でゲルトラウトに抱きついた。
 ぐりぐりと犬か猫のように頭を擦り付けてくる末の弟をぎこちなく抱き返し、白金の髪を撫でてやる。それだけでとろけるような微笑を浮かべ、弟は満足げな声を漏らした。

「あにうえー、大好きですっ」

「はいはい」


 変化は突然訪れる。
 王位になんて興味がない。誰とも関わらない。
 そう思っていたはずのゲルトラウトが、末の弟との出会いによって王位継承者争いに巻き込まれるはめになるのだが――それはまた、別の話。



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