▼38
「ぎもぢわるい……」
(翼宿、大丈夫? こればっかりは、私の力でなんとかできるものじゃないわ……)
朱雀の巫女と七星士、そして華を乗せた船は北甲国へ向けて出立した。
動き出してそうそう、翼宿は甲板のふちに身体を預けて青い顔をしている。華はただ、泳げないだけの事であり、翼宿程弱ってはいなかった。
ただ、怖くはあったが。
(井宿、大丈夫?)
「……だ」
翼宿の元から離れ、一人甲板で気を探り続けている井宿の隣へと腰を下ろす。いつもの狐面をつけたままの井宿ではあるがその顔には少しばかり疲労がうかがえる。
(少しでも負担が軽くなるならば……)
そう考えて、華は静かに気を探り続ける井宿の元から離れた。目指すは厨房である。
華が厨房に入ると、そこには色とりどりの食事が並んでいた。
「あら、華じゃない。いいところに来たわ。ちょっとこれを刻んでくれない?」
腕を振るっていたのは柳宿。その柳宿から小さな包丁と細長いネギのようなものを受け取る。
華は小さく頷くと手際よく机の上に置いてあったまな板の上で刻み始めた。
(食事もついでに持って行こうかな……)
井宿の事だ。気の探りに集中してお腹の減りなど気にはしていないだろう。
簡単に刻み終えると、柳宿にまな板ごと手渡す。
「へー、華意外とやるじゃない」
それを中華鍋にごっそりと投入した柳宿が、これまた手際よくそれを振る。
中華鍋の中でご飯らしきものがパラパラと舞う。もしやこれは、炒飯というやつではないだろうか。
(ねぇ、柳宿。井宿にご飯を持っていきたいのだけれど……少しばかり分けて貰えるかしら?)
「当たり前でしょ! ついでに華も食べちゃいなさい。アンタの身体細っこいから、折れそうだし」
(折れないわよ。……じゃあこれ、貰っていくわね。柳宿、ありがとう)
井宿の分を簡単にお皿に盛ってそのまま厨房を出て行く。
柳宿には食べろと言われたが、華はお腹など空いてはいなかった。
持っていく最中、海風によって乾燥しカサついた唇の皮を歯で噛み、思いっきり引っ張る。
皮がぺりぺりっとめくれその下から血が滲み出た。
(井宿)
そのまま井宿の元へ戻ると再びとなりに腰掛ける。
先程は気の探りに集中していた井宿も、今度はこちらを向いてくれた。
(ご飯、食べない?)
「ちょうどお腹が空いていたのだ〜」
皿から饅頭のようなものを取り、井宿が口にする。
それを眺めながら、再び唇の皮を歯で剥く。
井宿はあっという間にお皿の上にあったものを平らげた。
「華は食べないのだ?」
(……さっき食べてきちゃったの)
空になったお皿を膝の上にのせ、空いた手で自らの唇を拭った。
人差し指に己の血が付着する。
赤かったそれが、わずかに黄金色になったのを確認して、その指で井宿の唇に触れた。
「だ……っ?」
困惑する井宿。そのまま、華は指を滑らせる。
(……ついてた)
あたかも、そこに食べかすが付いていたかのように、拭うふりをして井宿の唇に血を刷り込んだ。
「だー……」
困ったように首を振る井宿が、ぺろりと唇を舐める。
無意識だったようで、己の行動に自ら驚いて固まる井宿。華は小さく微笑むと、その場から立ち上がった。
(……うん。疲労取れてる。やっぱり願うより、こちらの方が効きがいいわね……)
幾分か顔色の良くなった井宿を眺め、唇を舐める。
鉄臭い味が口いっぱいに広がった。
途端、つきんっと鋭い針が刺さったような痛みを腕に覚え、思わず眉を寄せる。
痛みが走った腕を触ってみるが、特に血も出ていなければなにかが刺さったような跡さえない。
華は気のせいか、とため息をつくと空を見上げた。
(……井宿、嫌な気を感じるわ……)
「だ?」
あれだけ晴れていた空から、急に雨雲がもくもくと出現する。
井宿が急に立ち上がった。
「まずいのだ!!」
途端、轟音。
激しい音と共に船が揺れる。
「なにっ? どうしたの!?」
ただ事ではない様子に、慌てて朱雀七星士たちが集まってくる。
華は空の雨雲から青い気を見つけると、首を振った。
(皆さん……これは、青龍七星士の仕業です……おそらく、房宿の仕業……かと)
「もっと他に情報はないのか?」
(ごめんなさい、鬼宿さん。私はこれ以上詳しいことはわからない。わかるのは……っ、全員船にしがみついてほしいという事だけ)
揺れがひどくなり、海水が甲板へ上がってきた。
吹き上げた海水をもろに浴びて、華が体勢を崩してたたらを踏む。
「全員、華のいう通りにするのだ!! オイラは結界を張るっ!」
それぞれがしがみつくのを視界の端で確認して、華は井宿の服の裾を掴んだ。
(お願い……井宿を、朱雀七星士を守る力を……っ)
「ぎょえああいああーー!!」
カエルが潰れたような謎の声に思わず、顔を向ける。
「翼宿!!」
「くそっ」
どうやら、翼宿が波に連れていかれて海へ落下したらしい。泳げないのを知っている鬼宿が即座に飛び込んで翼宿の救出に向かう。その後を追おうとした美朱に、華は顔を青くし、思わず激しい念を飛ばした。
(美朱、ダメ!!!!)
しかし、次の激しい揺れと波に美朱が連れていかれてしまう。
(だめ……だめ!!! いま、いま落ちたら……っ)
全員、感電してしまう。
死んでしまう。
(いや…っ、いやよ嫌!!!!)
井宿は房宿からの攻撃を守る結界で手が離せない。幼い張宿は幼いながらに懸命に船にしがみついている。その背を軫宿が守っていた。
七星士それぞれに華が祈って作った、結界らしきものがはられてはいるが、非常に脆く伺える。
華は掴んでいた船の柱から手を離すと、海に乗り出さんばかりに身を投げ出し、海面を覗き込んだ。
(鬼宿、美朱、翼宿! いま助けるわ!!)
「華! そんなに乗り出したらアンタも落ちるわよ!」
柳宿に腰を抱え上げられ、甲板へと身体の3分の2が戻る。その手にはロープが握られていた。
「アタシに任せなさい」
それを勢いよく海へと放り投げ、それを翼宿が掴む。
「引っ張り上げるわ! しっかり捕まるのよ!」
勢いよく雨が打ち付け、それぞれの服がまとわりつき行動を制限させる。
華は、何もできない腹立たしさに唇をかんだ。
「きゃ!!」
(わぁっ!!)
再び波が襲いかかり、海面へと引きずり込もうとする。先程まで穏やかだった海は見る影もない。
「柳宿!」
(え……? ぬ、柳宿!!)
美朱の声に驚いて顔を上げれば、隣にいた柳宿が海へと落ちてしまっている。
そのまま、三人が流されていく。
(し、四神の神……彼らを……彼らに守護を!!!)
荒波はまだやまない。





「だめなのだ……っ、敵の結界の中に入ってしまったようで、三人の気が掴めないのだ……っ」
嵐が続く。雷が鳴る。落ちる。もうどれぐらいそうしているのだろうか。
30分か、1時間か。
途方もなく長い時間船にしがみついている気がしている。
華は、息を切らせながら井宿の腕を掴んだ。
(井宿……っ、私の力で、この結界を破るから……少し、手伝って欲しいの……っ)
「な、何をしたらいいのだ!?」
(気を、集中させて……!)
心の中で願う。房宿を止めろ。と。
すると、眩しい程の黄色の光があたりを包み込んだ。
瞬間、風の揺れと雨がおさまる。
(井宿……っ、今よ!!)
「だ!!」
井宿が素早く海へと落ちてしまった三人の気を探る。幸いそれほど遠くには流されていなかったようで、三人はすぐに見つけることができた。




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