vena amoris【ヴェナアモリス】
ラテン語で「愛の血管」を意味する。
古代ローマでは左手の薬指の血管は心臓にまっすぐ繋がっていると考えられていた。
愛の血管、恋の血管などと呼ばれるもので、この指に終わりのないリングをつけることが永遠の愛を意味する。




ふらりと立ち寄ったジュエリーショップで見付けたリングに一目惚れして即決キャッシュで一括払い。
その場で着けて行くことにして、店を出た。
右手の薬指に輝くゴールドのリングはキラキラと光って、ナマエは何度も自分の指を眺める。
ジッパーという独特なデザインは容易く恋人を連想させた。
付き合って長い二人だが、ナマエはブチャラティからアクセサリーをもらったことがないしナマエもねだるようなことはしなかった。
だが最近所謂倦怠期というものなのか、二人でいてもぼんやりと過ごすことが多くなってきたところに、このリングに出会った。
ブチャラティは気付いてくれるだろうか。
ああ、まだ彼のことがこんなにも好きなのだ。
ナマエは久しぶりに胸をときめかせて、自宅へ帰った。

「ただいま」

「おかえり」

ソファで本を読んでいたブチャラティは一瞬顔を上げて返事をするとまたすぐに本に目を落とす。
浮かれていた気持ちが少し萎んだ気がして、ナマエは思わず自分から右手を見せようとして止めた。
ここで甘えられた頃が懐かしい。
キッチンへ行こうとしたナマエにブチャラティが声を掛ける。

「ナマエ、このカップも持っていってくれ」

今度は本から目も離さないブチャラティがテーブルの上の空になったカップを指差した。
ナマエは黙ってテーブルに近付く。

「……他にご用は?」

耐え兼ねて出てしまった皮肉にナマエはしまったと思った。
ブチャラティが本を閉じて、ナマエを見る。

「何を怒ってるんだ?」

「……気にしないで。八つ当たりよ」

「今月は終わったばかりじゃあないのか?」

ブチャラティの無神経な質問にナマエは遂に溜め息を洩らした。

「そうじゃあないわ」

ナマエは首を横に振って、カップを取ろうと手を伸ばす。
その手をブチャラティが掴んだ。

「これ、どうしたんだ?」

「何?」

「指輪」

ナマエの右手を掴んでいるブチャラティの左手の親指が、彼女の薬指に嵌められたリングを上からなぞる。

「誰から貰った?」

「自分で買ったのよ」

ブチャラティが掴む手に力が込められた。ギリ、と骨が軋む音にナマエは眉をひそめる。

「……本当よ。このデザインはあなたみたいだったから思わず買ったの」

恋人の服にデザインされているモチーフのリングを贈るような悪趣味な男と浮気していると思ったのだろうか。
こんな風に見知らぬ相手を想像して嫉妬するブチャラティはこれまで見たことがなかった。
ナマエの弁明を聞くと、ブチャラティの手の力が緩められる。

「俺みたいだと思ったなら、何故左手じゃなく右手に着けてるんだ?それにジッパーを着けたいなら俺が着けたのに」

「ブチャラティ……?」

「ナマエを飾るのは俺のジッパーだけでいい」

ブチャラティは静かに呟くとナマエの薬指からリングを外すと、今度はナマエの左手を引いて隣に座らせる。

「ナマエのここを俺にくれ」

ナマエが答える前にブチャラティはナマエの左薬指にジッパーを着けた。
コロン、と小さな音と共に着け根から薬指だけがブチャラティの手に落ちる。
切開された断面は紫色に渦巻いていて何処に繋がっているのか解らない。それはまるで今の状況に似ていて、ナマエは感覚を失った左手とブチャラティの手のひらにある自分の薬指だったものを見つめた。

「俺から離れないでくれ。スティッキー・フィンガーズの射程距離から出たら外れちまうからな」

ブチャラティはそう言って、リングを嵌めるようにそっとナマエの薬指を取り付けるとジッパーの上からキスをした。
左手の薬指の血管は心臓にまっすぐ繋がっているらしい。
ふとナマエはそんなことを思い出す。
確かに繋がっているとナマエは思った。
薬指ひとつで死をちらつかせることも、そんなブチャラティにまだ愛されていると感じていることも。
冷たい無機物に過ぎない18Kのリングひとつにここまで嫉妬するブチャラティにナマエは喜びと興奮で身震いした。

「Ti amo.(愛している)」

「ええ、私も愛しているわ」

ブチャラティのキスを受け止めながらナマエはちらりと愛の血管に嵌められた終わりのないジッパーのリングを見る。
愛のケッカン。そう、間違いなく欠陥だ。
でもそれって永遠とどう違うの?


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