最近引っ越したアパートは中々住み心地が良い。
陽当たりも申し分ないしキッチンの使い勝手も悪くない。バスルームだって狭苦しくないし壁紙を変えたばかりだと言う内装は新居のように明るく、私はお気に入りの時計やレコードを飾った。
新しい食器と新しい部屋。私の事を知る者は誰もいない。そんな自由を噛み締め浸っていられたのもたったの一週間だった。
行きつけになりかけている近所のバールから帰宅し、鍵が開いている事に気付いて背筋がサッと凍りつく。
恐る恐る部屋の中に入れば、ホルマジオがソファに座ってテレビを観ていた。

「Ciao,gattina.思ってたよりも早かったな」

「ホルマジオ……なんでここに……」

「その質問はちょっと間が抜けてるぜェ。平和ボケするにはまだ早いだろ?」

ホルマジオは片眉を上げて笑うと、グッと睨む私に隣へ座れと目線で促す。彼が笑っている内に従っておかねば、後が怖い事は十分身に染み付いていた。おとなしく隣に座ると、ホルマジオは満足気に笑う。

「そんな怖い顔するなよ。土産もあるんだぜ?ホラ」

そう言って差し出されたのは見知らぬ人の指が入った瓶などではなくて、ミモザの花束だった。意外と普通のプレゼントに少々面食らいながらもお礼を言う。

「Grazie.」

「構わねぇよ。それはお前を迎えに来たついでの花だ」

「私はもうあそこへは戻らない」

「お前はもうあそこでしか生きられねぇのに?」

「そんな事ない」

「この一週間で何人殺した?5人か?10人か?」

「止めて!私はもう誰も殺さないの!殺したくないの!普通に穏やかに暮らしたいのよ」

もううんざりだった。誰かを殺すのも誰かに狙われるのも。
安心して寝られる夜が欲しかった。贅沢はしなくても人並みの生活が恋しかった。
だから、私は逃げた。組織から、チームから、彼から。
街を離れ、名前を変え、髪型を変え、やっと手に入ったと思ったのに、易々と見つかってしまった。
ホルマジオは殺してでも私を連れ帰るだろう。

「今更そんな暮らしがお前に出来る訳ねぇだろーが。今まで散々他人の平和な暮らしを奪ってきたヤツが、普通の暮らしを手に入れるだなんて虫が良すぎるんじゃあねぇの?」

ホルマジオが私の手首を掴んでソファへ押し倒す。
見上げると、クリソプレーズのような彼のアップルグリーンの目がギラギラと輝いていた。

「逃げられるもんなら逃げてみな。どこへでも追いかけて見つけ出してやるよ。たとえ地獄だろうとな」

重ねられた口唇はいささか乱暴で、慣れている筈のホルマジオにしては珍しく荒々しい。
舌を絡めながら、彼とはこんな事をする関係ではないのにと思った。ホルマジオと私は同じチームのメンバーだというだけで、恋人でもないしそう言う意味のオトモダチでもない。
逃げた私を迎えに来たのが彼だったのは、その能力ゆえの人選なのだと思っていた。

「……なんで」

「好きな女には傍にいて欲しいだろ」

「私の気持ちはどうでもいいの」

「今に俺の事が好きで好きでたまらなくなるぜ」

「随分な自信ね」

「当たるか外れるか、試してみりゃあいい」

ホルマジオは既に勝ったかのように笑った。
私が言う通りにチームに戻り彼に溺れるかどうかは、ミモザの花束だけが知っている。



花束だけが知っている

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