カラン、とドアのベルが鳴り、続いてテーブルに近付いてくるコツコツというヒールの音にアバッキオは読んでいた雑誌から目を上げた。
いつもと違う装いでやって来たのは同じチームのメンバーであるナマエで、苛立った様子が華やかな服装とミスマッチだ。アバッキオは面倒事の気配をすぐに察知して、ワゴンに置かれている逆さまのカップをひとつ取り彼女の為に紅茶を注いでやった。
「聞いて」
「なんだよ」
ナマエが椅子に座るやいなや挨拶もなく、アバッキオの方に身を乗り出して強い口調で切り出す。ナマエの為に注いだ紅茶もソーサーごと横にサッと退かされた。よほど頭にきているらしい。
「今日の私、どう?」
「いつもとメイクが違う。リップ変えたな」
「当たり!可愛いでしょ?」
「まァな。ブチャラティとデートなんだろ?男と逢う前に他の男と逢うんじゃあねぇよ」
「いいの!ブチャラティだって、私と逢う前に他の女と逢ってるんだもん!」
「あー……何か見たのか?」
「さっき待ち合わせ場所に行く途中で、ブチャラティが女の子といるところ見た」
「……そんな事言ってたらキリねぇぞ」
「違うの!だってハグしてたし、バーチだってしてたもん!」
「……口に?」
「ほっぺただけど、そんなのどっちでもいいよ!してた事が問題なんだから」
「そりゃあ、まァ……ナマエからしたらそうだわな」
頬杖をつき、唇を尖らせるナマエを見て、アバッキオはやれやれと言うように紅茶を飲む。老若男女モテにモテるブチャラティという男を恋人に持つ気苦労さは察しがつくだけあって、ナマエの言い分も分からなくはなかった。
「ブロンドの、長い髪の毛の女の子だった。華奢で、透きとおるほど白くて、オルゴールの中で踊る人形みたいに可愛い子だったの」
「へぇ」
「私がいくらメイクを変えたってあの子にはなれない」
「ブチャラティが好きなのはアンタなんだから、その女にならなくったっていいだろ」
「……アバッキオって優しいよね。私、アバッキオを好きになれば良かった」
「──冗談でもそんな事言うもんじゃあねぇぞ」
アバッキオがナマエの後ろを指差す。振り向けばブチャラティがムスッとした顔で立っていた。
それが先程レストランにやって来たナマエと同じ表情をしていたので、アバッキオは可笑しくなった。
「アバッキオ、何笑ってんだ」
「オレに当たるなよ」
「何しに来たの」
「君の誤解を解きたくて。それから謝らせてほしい」
ブチャラティがナマエの前に片膝をつくと持っていた白いチューリップを差し出す。
「さっき君が見た彼女は恋人から暴力を受けていて、オレは二人を別れさせる手助けをしていたんだ。無事に別れさせる事が出来て、彼女から新しい家を借りる事も出来たからとお礼を言われてただけなんだ」
「……バーチしてた」
「ああ……そうだな。その事については謝らなくっちゃあな。ナマエを悲しませて悪かった。オレの誠意が足りないばかりにキミを傷つけてしまった事を許してほしい」
「……本当に誤解なのね?」
「父に誓って、キミを裏切るような真似はしていない」
「……なら、許してあげる」
ナマエは頷いて、ブチャラティが差し出していた白いチューリップを受け取った。
ブチャラティに手を引かれてナマエは立ち上がり、腕を組む。
「じゃあな、アバッキオ」
「話聞いてくれてありがとう」
「ああ、じゃあな」
アバッキオに別れを告げた二人は微笑みながらレストランを出ていく。
「今日のナマエは一段と可愛いな」
「ふふ、リップを変えたの」
そう話す二人の声の後に小さなリップ音がアバッキオの耳に届いた。
ナマエが紅茶のカップに口をつけなかった理由はそれだったのかと、アバッキオはフッと笑ってカップに残っていた紅茶を飲み干したのだった。
不機嫌なリップブロッサム