最近のメローネはやたらと上機嫌だ。
鼻歌まじりに真新しい絵本を携えては一、二時間ふらりといなくなる。
元々把握しにくい性格ではあったが、今のような状態は見たことがない。薬でもやっているのかと思えば、盗み見た腕にそれらしき注射痕は見当たらなかった。
メンバーに干渉しないことが暗黙のルールになっていたしギアッチョとて仮に自分が詮索されては面白くないので黙っていた。
その日はたまたまアジトにギアッチョとメローネの他は誰もおらず、二人で雑談をしていると話の切れ目に時計を見たメローネが「もうこんな時間か」と腰を上げたのだった。

「どこか行くんか?」

「ああ。ちょっとな」

何の気なしにした質問をはぐらかされ、ギアッチョは触れてはいけないものに触れたのだとそれ以上追求することをやめる。
ドアに向かったメローネが不意に立ち止まって振り返った。

「あんたを連れていくのも面白いかもな」

エメラルドグリーンがマスクの奥で鈍く光る。
ギアッチョは嫌な予感がした。

「……なんだよ」

「そう警戒するな。無害だよ。但し秘密にしてくれ」

「そりゃあまあ……」

「Bene.じゃあ行こう。時間に遅れると会えないんだ」

メローネが数冊の絵本を片手にする。
いつもはバイクで行くというその場所に「今日はギアッチョがいるから車で行こう」とメローネに言われてギアッチョは車を出した。

「花屋と俺の部屋に寄ってくれ。それから向かう」

ギアッチョは言われるがまま角の花屋に寄り、メローネの自宅アパートの前で一旦彼を下ろした。
数分後に戻ってきたメローネはいつもの半身露出したスーツではなくいかにも好青年な姿をしている。勿論マスクもしていない。

「……なんだァ?その格好はよォ……」

「王子様みたいだろ?」

「ハァ?」

「これが良いんだよ。それじゃあ行こうか」

伝えられた行き先は精神科の隔離病棟で、ギアッチョは益々メローネの上機嫌の理由が解らなくなった。
病院というのはあまり好きではない。
天井も壁も真っ白で、辺り一面消毒液の臭いがして息が詰まる。
花束と絵本を携えたメローネがリノリウムの床をブーツの底で鳴らしながら歩いていく。
誰かの見舞いだろうか。
ギアッチョの記憶の中には思い当たる人間は誰もいない。
面会室に入る手前にある窓口にメローネは声をかけた。

「Buon giorno.面会室使います」

「Buon giorno!ええ、もう中で待ってますよ」

看護師が微笑みながらメローネに返す。
面会者のリストにはMelone Garofanoと書かれていたのを見たギアッチョはその真下にGhiaccio Azzuroと記入した。
ガローファノもアッズーロも名字を名乗らねばならない時に使用する仮称だ。
リーダーの名字に色が入っていることに因んで、それぞれ色からとったものだ。

「なぁ、誰がいるんだよ」

「お姫様」

「principessa?」

「ああ。ナマエっていうんだけど、お姫様って呼ばないと返事しないんだ。気を付けろよ」

メローネはそう忠告して、面会室のドアを開けた。
円形のホールのようなその部屋の真ん中にひとりの少女が座っている。
がちゃり、とドアの開く音に振り向いたナマエの顔の美しさにギアッチョは柄にもなく気を取られた。

「Buon giorno,principessa.健康状態は良好ですか?」

「Buon giorno,おうじさま。はい、りょうこうです」

メローネは椅子に座るナマエに近づいて跪き、彼女の手の甲にキスを落とす。
ナマエはそれをうっとりとした眼差しで受け入れてからギアッチョの方を見た。
見た目よりずっと幼い印象の無垢な目にギアッチョは身構える。

「……おうじさま、おきゃくさま?」

「ええ。彼はギアッチョ。友人ですよ」

「Buon giorno,ギアッチョさん」

「……Buon giorno,principessa.」

微笑むナマエの横でメローネが話を合わせろと目で訴えてくる。ギアッチョは言われた通りにナマエをお姫様と呼んだ。
ギアッチョが恭しく一礼すれば、メローネの雰囲気も少し和らぐ。

「今日はこの絵本を持ってきたよ。この前、読みたがっていただろう?」

「ありがとう、おうじさま。うれしいわ」

メローネが持ってきた絵本をナマエに渡すと、彼女はマイセンの陶器のような白く細い指で本の表紙を撫でて微笑んだ。
ドアがノックされて、僅かに開いたドアから看護師の姿が見える。メローネはナマエの髪を撫でてから立ち上がった。
ギアッチョとすれ違う時に小さな声でメローネが呟く。

「絵本を読んでやっててくれ。──くれぐれもナマエから目を離すなよ」

そう言い残してメローネは看護師と共に部屋を出ていった。
ギアッチョはどうしたものかと頭を掻きながらナマエを見ると、ぱちりと目が合う。
欺瞞も暴力も知らないような目だ。

「えほんをよんでくださる?」

絵本を差し出す両手は折れそうな程に細かった。




「ナマエはね、生き残りなんだよ。ほら、少し前に俺が片付けた仕事あっただろう?勝手に連れ出したなんてバレたら殺されちまうから黙っておいてくれよ」

帰りの車内でギアッチョが問い詰めるとメローネは案外あっさりと事情を話した。

「……何も覚えてねぇのか?」

「ああ。忘れろって俺が言ったからな。……ナマエ、可愛かっただろう?見つけた時はもっとずっと錯乱してて、身震いするほど本当に可愛かった。だからね、俺は言ったんだ」

当時のことを思い出しているのかメローネが恍惚とした表情で語る。メローネの性癖など知りたくもなかったギアッチョは返事をせずにアクセルを踏む。

「助けに来たよ。これからはずっと俺が守ってあげるからね。今日見たことは忘れていいよ。全部忘れちゃっていいんだってね」

まるで呪いのような言葉を連ねるメローネの口元は歪な笑いを浮かべていた。

「全てを忘れたナマエは一番楽しかった頃に戻っている。あんな見た目だが、精神は五歳児だ」

「……それで職業はお姫様かよ」

「ディ・モールト!冴えてるな。さすがギアッチョだ」

「嬉かねぇ」

ギアッチョは大きな舌打ちをした。
メローネが出ていったあの僅かな時間、ナマエに催促されて仕方なく絵本を読んでいた時間のことを思い出す。
読み聞かせなどしたこともされたこともないギアッチョの朗読にナマエは笑って言ったのだ。

「私、全部覚えているのよ。あの人が何をしたのか、私をどうしたいのか全部知っているの」

それは先程まで聞いていた声音とうって変わって、はっきりとした成熟した女性の言葉だった。
ギアッチョが顔を上げると、ナマエは不敵ににこりと笑う。
無垢で純粋なお姫様ではない笑顔に、ギアッチョはどきりとした。

「また来てね、きっとよ」

ナマエの白い指がギアッチョの頬を撫でる。
ギアッチョはナマエに触れられた頬を無意識になぞっていた。
それを知らないメローネが楽しげに誘う。

「ナマエ、ギアッチョのこと気に入ったみたいだ。また一緒に行くかい?」

「誰が行くか」

お前たちの地獄に付き合わされるのは二度と御免だ、という言葉は寸でのところで飲み込んで、ギアッチョはナマエの白い手の感触から逃げるようにアクセルを踏み続けた。



おぞましき楽園

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