ふと目が醒めてカーテンの隙間から朝陽が差し込んでいないことからまだ夜明け前なのだと思って目を瞑った。
だが何故か意識は再び眠りへと落ちていってはくれずにベッドの中で何度も寝返りをうった後、結局諦めてベッドから出てカーテンを開ければすっかり空は白んでいる。
肩にガウンを引っ掛けてキッチンでコーヒーを淹れるためにポットを火にかけていると、玄関でコトリと音がした。
気のせいかと思った矢先に今度は今から使おうとしていたコーヒーカップの取っ手が取れる。私はさあっと血の気が引いていくのを感じた。
慌てて火を止めて先程音の鳴った玄関に行ってみれば、お気に入りのフェラガモのヒールが根元からポキリと折れている。
ああ、まさか。
折れたヒールを持ち、譫言のように呟きながらふらふらと寝室に戻ってドレッサーの引き出しを開けた。
ネックレスのチェーンが切れ、母の形見のカメオブローチも半分に割れている。
ああ、待って。こんなのってないわ。
這いながらリビングにいけば、ソファーの脚が一本折れて傾いていて、サイドボードの上の腕時計のベルトがバラバラになっていた。
歪んでしまったカーテンレールのせいで登ってきた朝陽が部屋を照らす。たなびく雲が朝陽を浴びて黄金に輝いていた。
その隙間に彼を見て、私は涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま窓を開ける。

「ブローノ……ッ!!」

私の声が届いたのか、雲の中に浮かぶブローノは少しだけ悲しげに私を見つめた。

「待って、逝くなら私も連れてって、」

窓から身を乗り出して伸ばした私の手をブローノは首を横に振って取らなかった。
一度だって私が差し出した手を拒否したことなどなかったのに、最期の最期に願いを聞いてくれない。

「……ナマエ、お前を愛したまま死んでいく俺の我儘を許してくれ」

「ブローノ……、いや、駄目よ、いや、待って、逝かないで、」

こんな別れ方ってないわ。
思い出が沢山詰まった部屋でひとりきりよ。
思い出は全て欠片になってしまった。
家で使うものだからいいでしょう?って我儘言って、ペアでコーヒーカップを買ったわね。すぐに落として取っ手が取れてしまって泣いた私にあなたは優しく慰めてくれた。「すぐに直せるんだ」って取っ手をつけてくれたわ。
初めてのデートが嬉しくて気合いを入れて履いたヒールが合わなくて折れた時、咄嗟に抱き締められて私がドキドキしたこと。あなた、知らないでしょう?「応急処置だ」って言ってたけど、あの時のトキメキを忘れたくなくてずっとこのヒールばかり履いてたらいつの間にか私の足に馴染んでた。
母のカメオが壊れてしまった時も私はすぐにあなたを頼ったわね。辛い時はよく母の形見を眺めるの、と私の秘密を打ち明けたら「俺だってナマエのことを慰めてやれるぜ」なんて変な対抗心出してきて可笑しかった。
初めて喧嘩した時は部屋中ぐちゃぐちゃ。お互いに冷静になって見たらカーテンレールは外れてるしソファーの脚は折れてるし散々で、その様子に互いに顔を見合わせて笑っちゃったわね。酷すぎて、喧嘩の原因すら思い出せないのよ。
私が無茶した時、あなたは真剣に怒ってくれたわね。自分が不甲斐なくて落ち込んでいた私に、任務中壊れた腕時計を直してくれたのあなたでしょう。あなたは「知らねぇ」って言ってたけど、バレバレよ。
一度は壊れてしまったけれど、全部あなたが直してくれたのよ。
新しいものを買ってくれようとしたけれど、あなたが直してくれたから私はいっそう大切になってずっと使っていたのよ。
俺が死んだらまた元通り壊れるんだぜ、なんて冗談で言って私を怒らせたことを今頃鮮明に思い出すわ。あなたが死ぬわけないのよ。だからこのままでいいの。あの時私はそう言ったわね。
ブローノ、あなたが死ぬわけないわ。
ねぇ?そうでしょう?

「ナマエ……」

困らせていることは解っている。それでもこのまま逝かせたくなかった。
ブローノの姿が雲に消えていく。

「元に戻るだけだ、ナマエ」

「ブローノ……ッ!」

最期までブローノは私に手を伸ばさなかった。
黄金色した雲はいつしか消え、神々しいまでの朝陽が私を照らす。

「……いいえ、ブローノ。ひとつだけ元に戻らないものがあるわ。私の恋心よ」

壊れてしまった思い出の中で、私は声をあげて泣いた。





あなたは愛しいままで逝く

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