運送会社のドライバーとして働くナマエがこの管轄を任されることになったのは約一ヶ月前のことだ。
治安が良くないから荷物が盗まれないようにすることは勿論だが自分の身も守るようにと上司や先輩から言われた通り、この管轄はガラの悪い人が多い。
何度かからかわれたりすることもある中で、頻繁的に荷物を届ける場所が出てきた。
空き家に挟まれたその地下付きの家はいつもひっそりとしている。古びた外観に対して比較的新しいインターホンを押すと、暫くして男性の低い声で一言「はい」とドアの向こう側から聞こえた。
「Buon giorno,リゾット・ネエロ様にお届け物です!」
ナマエがドア越しに答えると、がちゃりと開いたドアから背の高い男性が姿を見せた。荷物の受取人・リゾット・ネエロだ。
ナマエはこの少し変わった風貌の男性に秘かに想いを寄せていた。
「……Buon giorno.」
リゾットの黒と赤の不思議な目がナマエを捉える。
挨拶と共に差し出された手にナマエは持っていた小包を渡した。
「Grazie.」
「ここにサインをお願いします」
「ああ、……」
「?」
「いや、最近ずっと君が届けてくれるだろう」
「ああ!はい!ここのエリアの担当になったんです」
「……こう言ってはなんだが、女性のドライバーをここいらで見るのは珍しくて、つい」
「ああ、目立ちますよね〜!」
「ガラの悪い連中が多い。気をつけて、シニョリーナ」
伝票とボールペンを返しながらリゾットがナマエに言う。寡黙だと思っていた彼からシニョリーナと呼ばれて心臓が跳ね上がる。戸惑いを隠してナマエは伝票とボールペンを受け取ると、帽子のつばを下げて「Grazie.」と立ち去った。
オフィスに戻ったナマエは束になった伝票の中からリゾットのサインが書かれた伝票を取り出して、そのサインを指で上からなぞってみる。
「リ、ゾ、ッ、ト、ネ、エ、ロ……本名なんだ……」
初めて挨拶以外の会話をしちゃった、と頬を緩ませていると背後にいた先輩が話しかけてきた。
「あれ?そこさ、金髪のすっごいいい男がいる家じゃない?」
「え?」
するとそれを聞いた他の社員たちが話に加わってくる。
「坊主頭に剃り込みの入った男でしょ?」
「一回だけ黒髪の男の人を見たことある」
「赤い眼鏡の男の子が紫色の髪の子とその家から出ていくのを見たよ」
「緑色の髪の子じゃなくて?」
「二人組なら黒髪と金髪も仲良さげに入ってくの見たことある」
「え?」
一体あの家には何人住んでるんだ?
全員目撃情報が違うためナマエは首を捻る。
伝票に書かれたサインをもう一度見つめながら、リゾットの不思議な目を思い出していた。
数日後、ナマエは再びリゾットへの荷物を配達しに彼の家の前にいた。
インターホンを押して待っていると、いつもとは違ってがちゃりとドアが開き中から金髪の男が顔を出した。
「Buon giorno,シニョリーナ」
「Buon giorno!リゾット・ネエロさんにお届け物です!」
「生憎リゾットは不在だ。サインは俺でもいいか?」
「お願いします」
ナマエが伝票とボールペンを差し出すと、金髪の男性は伝票だけ受け取ってスーツの胸からボールペンを取り出してサインをする。
「シニョリーナ、名前は?」
「私ですか?ナマエと申します」
「ナマエか、良い名前だ」
男性はサイン済の伝票を返しながらナマエの手をそっと握った。男性の親指がナマエの手の甲を撫で、ナマエは驚いて顔を上げるとふっと微笑む男性と視線がぶつかる。
「荷物だけじゃなくて恋も運んでくるんだな」
「あの、えっと」
「何をやっている、プロシュート」
「よォ、リゾット。野暮な真似すんなよ」
「その手を離せ。彼女は仕事中だ」
帰って来たリゾットに言われて、プロシュートと呼ばれた男性の手が離れた。プロシュートはリゾットに荷物を渡すとナマエの方に向き直ってウィンクをした。
「Ciao,carina!また会おうぜ」
紫煙を吐きながら遠ざかるプロシュートの背中を見ながらリゾットが溜め息をついた。
「……すまない、うちの者が迷惑をかけた」
「いえ!ちょっとびっくりしただけです。あんな綺麗な人に甘い言葉をかけられたのは初めてで」
「あいつのような男が好みか?」
「好みとは違いますけど……」
「そうか。なら、いいんだ。届けてくれてありがとう」
「あっハイ!こちらこそ!いつもありがとうございます!」
ナマエがぺこりと頭を下げると、リゾットは微笑んで家の中に入っていく。
存外優しく笑った顔がいつまでもナマエの頭から離れなかった。
暫くして配達の頻度が上がった。
長方形をした美術品と書かれた荷物を連続して届けていて、既にもう二十個は届けている。
「Buon giorno,リゾット・ネエロ様にお届け物です!」
インターフォンを押して声を掛ければ、ドアからリゾットが姿を見せた。
「Buon giorno.……またそれか」
「そうみたいですね……」
リゾットはサインをしながら、ナマエが運ぶ荷物をちらりと見てうんざりしたような声で言った。
「……あの、何か嫌がらせとかでしたら受け取り拒否も出来ますので……その、良かったら相談してくださいね」
「いや、何でもない」
「あ、……余計なお世話でしたよね」
「……あぁ、すまない。気を遣ってくれてありがとう。……もし良かったら今度、」
リゾットが伝票を返しながら何か言い掛けたところで、中から悲鳴が聞こえてきた。
「えっ!?な、何!?」
「リゾット!ああクソ!また届いたのかそれッ!」
赤い眼鏡をかけた青年がバタバタと駆けてきて、ナマエの運ぶ荷物を見るなり舌打ちをする。
ナマエがビクリと肩を震わせると、リゾットは男性の方に向き直った。
「配達人に八つ当たりするのは止せ。話は中で聞く」
「……チッ!オイ、それ寄越せ」
「あ、でも重いですよ……?」
「だから持つって言ってんだろうがよ!」
ナマエから半ば奪うように荷物を受け取った赤眼鏡の青年はドカドカと戻っていく。
「すまない。さっきの話はまた今度ゆっくり」
「あ、……はい。ありがとうございました!」
ナマエが帽子の鍔を下げて挨拶する。顔を上げたときには既にドアは閉まっていた。
それから何度か配達にリゾットの家を訪れたが、ポストには不在通知伝票が溜まっていった。
リゾットはおろかプロシュートも赤眼鏡の青年も先輩社員が話していた人々も見かけない。
暫くして荷物を届けることもなくなり、ナマエは配達管轄の担当から外れた。
その後、ナマエは休憩室で話していた社員たちの話からリゾットの家が空き家になっていることを聞いて配達の帰りにリゾットの家の前を通ってみるとやはり人の気配はない。
壁には落書きをされ窓も割られ、空き家の張り紙が風でひらひらと揺れる。もうあのドアからリゾットが現れそうな希望も見当たらない。
ナマエは最後に彼は何を言い掛けたのだろうと考えた。
また今度ゆっくり、と言って別れたのにもう二度と会えない。
ただの配達人と顧客という関係性で何もはっきりと約束した訳ではないが、ナマエは次があると信じていた。
”荷物だけじゃなくて恋も運んでくるんだな”
ふとプロシュートの言葉を思い出す。
運んできても受取人がいなければどうしようもない。
宛先不明の恋をどこに届ければ良いのか解らず、ハンドルに突っ伏してナマエはひっそりと泣いた。
宛先不明の恋