ナマエが潜入先からアジトに戻り報告しようとリゾットの部屋の前まで来ると、中からリゾットの叱責する声が聞こえた。
思わずノックしようと上げた手を下げて出直すか迷っていると、目の前のドアが開いてしょんぼりしたペッシが出てくる。
「……あ、ナマエ……おかえり」
「ペッシ、大丈夫?叱られたの?」
「うん……でもオイラが悪いんだ。兄貴にも尻拭いさせちまったし、これからもう一度謝ってくるよ」
「そっか……あんまり落ち込まないでね。あ、これペッシにあげるから元気出して」
「ありがと……」
ナマエが帰り道に買ったチョコレートバーを渡すと少し持ち直したペッシは笑顔を見せて階下へ行く。それを見送ってナマエは改めてリゾットの部屋のドアをノックした。
「入れ」
低い声で短く応えが返ってきたのを確認してからナマエが部屋に入ると、デスクで眉間に皺を寄せて難しい顔をしているリゾットがいた。
「……ナマエか」
ナマエの姿を見たリゾットの顔から厳しさや威圧感が消える。リゾットは立ち上がってナマエに近付いて抱き締めた。
「……ペッシが落ち込んでたわよ」
「帰って来て早々他の男の名前を出さないでくれ」
「甘えん坊ね」
「ナマエにだけだ」
「疲れているなら、甘いものでもどう?」
「……そうだな」
「嫌ね。違うわ」
勘違いしたリゾットが顔を近付けてくるのを、ナマエは手で押し止めて仰け反る。目だけで不愉快さを露にしたリゾットは無言の圧力をかけた。
「今のリゾットにはキスよりもこっちの方が良いわ」
ナマエはクスクスと笑いながら、持っていた袋からガサガサとお菓子を出す。
先程ペッシにあげたチョコレートバーにプレッツェル。朝食用のビスケットもあった。
「……珍しいな、こんなに菓子ばかり買い込んで」
「たまにはね。ミカドが食べたくなって買い始めたらあれもこれもになっちゃった」
ソファに座ったナマエはテーブルに広げた菓子の中から箱に入ったチョコレート菓子を選んで開封する。
ぽんぽんと自分の隣を叩けば、リゾットがナマエの隣に腰を下ろした。
「ミカドか……懐かしいな」
「何か思い入れでもあるの?」
「シチリアの店によく置いてあった」
「ふぅん」
変に憐憫を掛けるでもなく淡々と返事をしたナマエの言葉にリゾットは救われている。
細長いプレッツェルにチョコレートがかかっている菓子をポキポキと食べるナマエがリゾットに菓子を差し出した。
リゾットは黙って一本取って一口食べる。同じようにポキリと音がした。
「美味しいね」
「そうだな」
「ねぇ、これジャッポーネのお菓子だって知ってる?」
「ああ。だからジャッポーネのゲームの名前がついてるって聞いたことあるな」
「それがさ〜違うみたいなのよ。ジャッポーネにはミカド、なんてゲームないんだって」
「そうなのか」
「ねーびっくりだよねー。私も今日初めて聞いてじゃあ何なのよーって聞いたら、ジャッポーネをイメージして作ったゲームらしいのよね。ジャッポーネではこのお菓子の名前もミカドじゃないみたい」
「そうなのか……何て言うんだ?」
「確か、ポッキー?とか?」
「変な名前だな」
「ポキポキ折れる音が楽しそうだからって由来だそうよ。ジャッポーネの考え方って面白い」
ナマエが楽しそうにポキポキと音を立てて菓子を口に入れるのをリゾットは黙って見ていた。
「?なぁに?」
「いや。ジャッポーネの考えが少し解ったような気がしただけだ」
「?解らない」
「解らなくていい」
リゾットが立ち上がって部屋に置いてある簡易ポットでコーヒーを淹れ、ひとつをナマエに差し出した。自分もカップを持って再びナマエの隣へ座る。
「Grazie.……ねぇ、もうひとつ面白いことを聞いたのよ」
「なんだ?」
「やってみせようか?」
不敵に笑ったナマエを訝しむリゾットの口に、ナマエが菓子を一本咥えさせた。
反射的に齧ろうとするリゾットにナマエは楽しげに三日月のように目を細める。
「食べては駄目よ」
リゾットがこの間の抜けた格好で何をするのか見当もつかないでいると、ナマエはリゾットの肩に両手を置いて顔を近づけてきた。
ラメ入りのマスカラなの、と言っていたなと煌めく睫毛が綺麗にカールされているのを見ながらリゾットがぼんやりと思っていると、ナマエはポキポキと菓子を食べ進めてくる。
まるでキスをするような顔に、リゾットの心はドキリとした。
普段キスをするのはリゾットからで、ナマエから迫られる機会は少ない。
あと一口で口唇が触れるというところで、ポキリという音と共にナマエは顔を離した。
「……は?」
期待を裏切られたリゾットは露骨に残念がり、開けた口から短くなったプレッツェルの欠片が服の上に落ちる。
ぽかんとしたリゾットを見て、ナマエが微笑む。
「どう?ドキドキしたでしょ?ポッキーゲームって言うんだって」
「……ドキドキもしたが、どちらかというと残念な気持ちの方がデカイな。キスするゲームじゃあないのか?」
「する場合もあるみたいだけど、このドキドキ感を楽しむみたいよ」
コーヒーを飲みながらナマエは新しいミカドに手を伸ばす。リゾットがその手首を掴んで、ナマエの手から菓子を奪うと先程と同じように口に咥えた。
「ん、」
「ん?」
菓子を咥えたままリゾットに差し出されて、ナマエは首を捻る。両肩を掴まれぐっと更に顔を近付けられてはっとした。
「もう一度ってこと?」
ナマエが尋ねれば、リゾットはじっと黙って見つめてくる。
「しょうがない人」
子供に話しかけるような声でナマエはそう言って差し出された菓子を囓った。
今度は目をリゾットに合わせながら食べ進めていけば、リゾットの赤と黒の目に自分の顔が映る。
やはり口唇に触れる直前にナマエは顔を引くと、リゾットがナマエの首に手を回して引き寄せた。
ナマエがリゾットの名前を呼ぶよりも早く、口唇を塞がれる。
一度焦らされたキスはいつもより性急で噛みつかれるような荒々しさがあった。
口を開けろと舌先でねだられるが、口内にはまだ嚥下していない菓子が入っている。ナマエはリゾットの胸板をそっと押し返すと、不服そうにではあるが口唇を解放してもらえた。
「ちょっと、」
「なんだ」
「食べてる最中にキスしちゃ嫌」
「始めたのはナマエだぞ」
「ここまではやってない」
ナマエは口元を両手で隠しながら口の中の菓子をもごもごと咀嚼して飲み込む。あとはコーヒーで流し込もうとカップを持とうとすると、リゾットに止められた。
「飲んでは駄目だ」
「どうして?」
「甘いほど好いんだ」
そう言ってリゾットがナマエにしたキスは、微かにチョコレートの甘さがした。
主導権は僕にください