※『王子様は読書家』の続き


彼女を初めて見たのは微睡むような午後の図書館だった。
カウンターにじっと座って手元の本を読む姿は本棚にしまってある本と同じように図書館の一部として存在するかのようで、僕の心になんとなく印象に残った。
おかしな話だが、童話に出てくる塔に閉じ込められたお姫様のようだなと思った。
ギャングである身分で図書館の貸し出しなど出来るわけもなく、かといって調べものをする度に必要な本を買うのも無駄なので、仕事の内容によって下調べをするのに図書館へ専門書を読みに来るのは当然だ。
どんな本も一時間ほど読めばすんなりと理解できる頭脳のお陰で、図書館というものは僕にとって利用価値が高い。
そんな風に週に二、三回ほどのペースで図書館へ通っているうちにあることに気付いた。
カウンターに座る彼女が僕のことを見ている。
ずっと見つめているわけではなく、僕がどの書架にいるかちらりと確認するように見てすぐに視線を手元の本へ戻す。
きっと彼女は僕が見られていることに気付いてないと思っているだろうが、ギャングである僕はとっくに気付いていて、わざとそのままにしている。
敵でないことは明らかだし、彼女とは一言も話したこともない。
あくまでも図書館の司書と利用者にすぎない。
だけど僕は彼女の名前を知っていた。
彼女の胸元にはネームプレートがついているし、同僚からナマエさんと呼ばれているのを聞いたことがある。
純粋に綺麗な名前だな、と思った。
プリンチペッサ、なんて第一印象からのあだ名で呼んでいたのを改めてナマエさんと心の中で呼ぶと、胸の中にぼんやりとあった気持ちがはっきりと形をもってきた。
これは恋だと確信したのは、閉館ギリギリに図書館へ駆け込んだ僕が初めてナマエさんと会話した日だ。
僕の姿を見てナマエさんは「Che!bello」と呟いた。
綺麗だと言われたことがこれほど嬉しかったことはないのに、ナマエさんは真っ赤な顔をして去っていく。
その照れた顔がとても可愛かった。




ミスタにナマエさんのことを話したのは失敗だった。
まさかミスタがナマエさんを誘うだなんて、節操なしのド低脳めと思ったが結果的にナマエさんをデートに誘えたので、良い噛ませ犬になったミスタにはそれなりに感謝している。
そして今日はそのナマエさんとデートの日で、僕は待ち合わせ場所の広場へと向かう。
約束の時間まであと十分はあるのに、ナマエさんはもう来ていてしきりに時計で時間を確認したりバックからコンパクトを取り出して前髪を直したりしている。
ああ、なんていじらしいんだろう。
野暮な真似だと解っていてもそわそわとしながらパンプスの爪先を見つめるナマエさんから目が離せない。
結局五分程見つめた僕は今来ましたというていでナマエさんに声を掛けた。

「Buon giorno、ナマエさん。お待たせしてしまいましたか?」

「……フーゴさん!Buon giorno.い、いえ!私も丁度来たところです……!」

「図書館で会うナマエさんも好きですが、今日のナマエさんは一段と可愛いですね。……僕の為だと自惚れてもいいですか?」

春にぴったりの淡い黄色のワンピースに白いカーディガンがよく似合っている。
フレアに広がる裾はいかにもお姫様らしい。
僕がナマエさんの手を握ってそう尋ねると、ナマエさんはぱっと朱を散らしたように赤面する。
ああ、その顔が堪らなく好きだ。
うつ向いて小さく頷くナマエさんに向かって手を差し出す。

「Mia principessa,お手をどうぞ」

お姫様、と呼ばれた彼女は益々真っ赤になって控えめに僕の手を取った。
誰の手垢もついていない真っ白な手に僕は優越感を感じる。
日がな一日図書館のカウンターに張りついて殆ど他人と口を聞くこともない置物のような彼女だからこそ好きになった。
生まれてから凡そ穢らわしいものとは縁のない純真無垢な乙女だからこそ彼女はお姫様でいられるのだ。
はっきり言うと僕は彼女の処女性に惹かれていた。
僕に色目を使ってきたド腐れの教授や近寄ってくる香水臭い女たちとは違う。
彼女は新雪の野原のように、誰にも踏み荒らされてはいない。
真っ白なナマエさんが唯一色に染まるのは赤面する時だけで、それは全て僕がそうさせているのだと思うと酷く興奮した。
人間が唯一赤面する動物で良かったとさえ思う。

「近くにジェラテリアがあるんです。行きませんか?」

「あ……、はい!」

ジェラテリアの方を指差すとナマエさんはぱっと顔を上げる。
履き慣れないのかエナメルのパンプスばかり見ていることに気付いた。

「大丈夫ですか?靴が合っていないのでは?」

「ごめんなさい。……お恥ずかしながらデートなんて初めてで……。こんなヒールの靴を履くのも姉の結婚式以来なんです。靴擦れはしてませんから大丈夫です。気を遣わせてすみません」

「そうですか。でもそこはありがとうって言ってほしいですね」

初めて、という言葉に僕は自然と笑みを浮かべる。
ナマエさんはまた少し赤面しながら「Grazie」と言った。

「手も繋いでるしゆっくり歩きますから。それとも腕を貸しましょうか?」

「えっ!いいえ!そんな、」

「あなたの為ならいつでも貸しますので疲れたら言ってくださいね」

「……フーゴさんって優しいんですね。本当に王子様みたい……」

「Principe?僕が?」

「あっえっと、……はい。実はずっとそう思ってて……」

驚きを通り越して馬鹿馬鹿しさから思わず声を出して笑ってしまう。
こんな僕が王子様なんて、なんて乙女らしい発想なのだろう。
桃色の空に水色の雲が浮かんでいるような、恋に恋をしているのが滑稽で僕は笑いが止まらない。
穢れも暴力も疑惑も知らない無垢で無知なナマエさんはどこまでも僕の理想だ。

「恥ずかしいですよね、いい歳して」

「あぁそうじゃあないんです。すみません、笑ったりして。でも僕もナマエさんのことをお姫様みたいだと思ってましたよ」

僕の告白にナマエさんの顔が赤に染まる。
ナマエさんの潤んだ瞳に微笑んだ僕が映っていて、なるほどこの笑顔が王子様に見えるんだなと思うと反吐が出そうだった。
僕はそんないいもんじゃあない。
でもナマエさんを僕のものに出来るなら童話の王子様にだってなる。

「この前、きちんと告白させてほしいと話しましたよね」

「あっ!はい……!」

「本当は今日ゆっくり過ごしてから言いたかったのですが、言わせてください。僕はあなたが好きです、ナマエさん。僕だけのお姫様になってもらえませんか?」

我ながらクサイ科白だと思う。
ナマエさんは視線をあちこちに彷徨かせながら、最後には小さく頷いた。勿論真っ赤な顔で。

「嬉しいです。La mia principessa.」

僕だけのお姫様になったナマエさんが照れ臭そうに笑う。
海からの風が彼女の長い髪を揺らした。

「私、幸せです」

そしてお姫様は王子様と一緒にいつまでも幸せに暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。




……童話の中ならそれでおしまいだけれど、ギャングと司書のカップルがこの先どうなるかなんていくら僕でも解りっこないんだけどね。


お姫様は赤面症

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