■ 05.午後の休日


「いい?私は今日から学校が始まるわけだけど、おとなしく待ってること」

 待ちに待った新学期、今日から半年間私はイギリスの学校に通う。

「はいはい、でも今日はどうせ入学式だけなんでしょ、すぐ帰ってくるじゃないか。大人しくもなにも……」

「すぐに帰ってくるかどうかは分からないわ、だって新しいお友達とショッピングに行ったり、カフェに入ったりするかもしれないし」

 最後に、絶対に変なことしないでよね、と念を押して私は家を出た。
 

 リドルをひとり家に残すのは少し、不安があった。

 どうしてかというと、それはこの前リドルにプレゼントした小説についての出来事が原因だ。


「これなーんだ」

 一通り教科書が本棚に並べたあと、ぼんやりと窓の外を眺めているリドルに向かって私はついさっきリドルのために買ってきたミステリー小説を差し出した。突然声をかけられたことに驚いたのか、リドルにしては珍しく肩をびくっと震わせて振り返った。

「さっきから君は本当にご機嫌だね」
「なによ、ご機嫌じゃ悪い?」
「うん、気持ち悪いよ」
「居候の身で、そんな言い振りはちょっと失礼だと思わないの?」

 私がご機嫌なわけは、先ほど偶然出会った、同じアパートの住人で同じ学校に通うらしい紳士な男の子エリックだ。本屋からここまで、重い荷物をにこやかな笑顔とともに運んでくれた。なんとも爽やかな好青年だった。

「まあ、そんなことより、見てリドル。これ、最近流行りのミステリー小説」

 実のところ、この本が流行りかどうかは知らなかった。ただ、本屋にオススメというポップアップがあったということは、それなりの出来だろうし、リドルは忌み嫌っている非魔法族たちの小説事情など、これっぽっちも気にしていないだろうと思われたので、特に吟味しなかった。

「へえ、君が僕にお土産なんて珍しいね?というか初めてじゃない、一体どういう風の吹きまわし?」

「今朝、あんたがしつこくつまらないつまらないって文句たれるから、気を遣ってあげたのよ。これで私が出掛けても、寂しくないわね?」
「それじゃ、僕が今まで寂しかったみたいじゃないか」
「寂しかったくせに」
「冗談」

 リドルは幽霊のような半透明の体をしているけれど、幽霊ではないらしいので足はちゃんとある。すらっと長いきれいな足だ。窓枠に腰掛けるようにもたれかかっているリドルは、その向こうに見えるロンドンの景色と彼が持ち合わせている雰囲気と合間って、なんとも絵になる。これをもたれていると言って良いのかどうかは分からないが。
 悔しいけれど、彼の顔つきは上品で男前だ。

「僕に見とれてた?」
「……冗談」

 とにかく、まあ読んでみてよ、とその本を近くのテーブルに置いておく。

「ねえ七瀬」
「何?」
「この体じゃ、読めないんだけど」

 見ると、確かにその透けた体じゃ本は持ち上がりそうにも、ページをめくれそうにもない。

「リドルさんお得意の魔法でどうにかしたら?」

「あのね七瀬、魔法を使うにもタダじゃ無理なんだよ。僕がこんなふうにしてるのにも少なからず魔力を使ってるんだし、本にそういう魔法をかけるにしたって……」

「じゃあ何、私がいちいちめくれって言うわけ?」

「ああ、それいいね。お願いしようかな」

「馬鹿なこと言わないでよ」


 とは言ったものの、せっかく買ってきた本が読んでもらえないのはちょっと残念だ。だからといってリドルのためにページをめくってあげるなんてごめんだし、魔法をかければ?と言ったけれど、正直、自動ページ送り機能がついた宙に浮かぶ推理小説なんて不気味なこと極まりない。
 そんなわけの分からないものは、リドルだけで十分だ。

「じゃあどうしろっていうのさ」

「自分で考えれば?首席で卒業したんでしょう。それとも、魔法の学校じゃ、本の読み方は教わらなかった?」

「……、君も口が立つようになったね」

「お互い様」


 ちら、と時計を見る。
 このあとテレーゼと近くの喫茶店に行く約束をしているのだ。何度かテレーゼと出掛けたことがあるが、彼女は約束した時間には来ないで、だいたい20分くらい遅れて集合場所に来た。結局、どうせ向かいに住んでるのだからテレーゼの用意が出来たら部屋のベルを鳴らしてもらう、という形に最近になって落ち着いた。

 本屋から家に帰って来たときは、暑さでかなり汗をかいていたが、今ではすっかりその汗もひいてしまった。出掛けるための用意は中のシャツを取り替えるだけで十分だろう。
 それより、テレーゼが約束を忘れてしまっているといけないので、今日は私が彼女を迎えに行ってあげよう。

 なんて、本当はこの場から早くどこかへ行ってしまいたかったのだ。リドルのために買ってきたのに、当のリドルが読めないんじゃお話にならない。それが、ちょっと恥ずかしかった。


「じゃ、行ってくる」

「どこへ?」

「テレーゼと近所の喫茶店に。遅くはならないから」

「そう、あのマグルと」

「そんな言い方しないでって言ったでしょ」

 財布と家の鍵をかばんに突っ込んで足早に家を出た。


 テレーゼおすすめの喫茶店はさすが今時の女の子が選ぶだけあって、おしゃれで落ち着いた雰囲気だった。この店人気のカフェラテも美味しいのはもちろん、ラテアートも施されていて、リスの絵がかわいらしい。

 テレーゼと話すことは決まっていつも男の子の話だ。
 今、向かいの通りを歩いた子の服のセンスが良かったとか、ウェイターの笑い方がかわいいだとか。中身の無い話をしているのはお互いよくわかってるのだが、こういった話題で盛り上がるのはやっぱり女の子だし楽しい。
 ひとしきり男の子の評価を終えたあとは、テレーゼの故郷の話や日本での暮らしの話をする。
 テレーゼはすっかりシティーガールに見えるが、本当は田舎出身らしく、田舎訛りを直すのに苦労したとか。

 2人が話したいことを全部話してしまって、そろそろ店員さんから嫌な顔をされる頃には、もう夕方になっていた。

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