4−2.


「ハァ!? 女の子と二人暮らしィ!?」

 高校時代に苦手だったミドルレンジより広い範囲からのシュートを克服した学生時代の後輩──宮城リョータが放ったボールは、惜しくもゴールポストに当たって落下した。
 それを取りに行く素振りも見せず、もっと言えばボールの行方すら追わずにオレの方へ首ごと視線を向け、あんぐりと口をあけている宮城に「なんだよ」と返せば、そんなオレの言葉が届くのと同時にヤツは整えられた細い眉の根をギュン、と寄せた。

「なんスかそれ!? 女の子と二人暮らして!」
「なんで二回言うんだよ、つか声デケーよ!」
「そういう三井さんのが声デケーけどな!」

 高校を卒業して少し経ってから渡米し、四苦八苦しながら本場のバスケットボールに揉まれた宮城は、あの頃より遥かに鍛えられた体でずんずんとオレに迫り、どん! と勢いの良い体当たりを伴って声を張った。
 いてーよ! と、どつき返しても動じない宮城が「いや待って、純粋になんで?」と目の前にいるオレに向けている視線は不躾極まりない。

「確認だけど、アンタいま彼女いたっけ?」
「いねーけど」
「うわあ、爛れた関係ってこと? オレそういうの無理なんだけど……許せねーよ」
「勝手に想像膨らましてんじゃねえよ! まずは聞け! オレの話を!」

 あいつ──もとい、現在ルームシェアをしている相手である苗字名前とオレが出会ったのは、今住んでいる部屋の近くにある公園だった。
 シーズンオフ中ではあるが、次の日にはファン感謝祭を控えたあの日。
 新しく住むことになるマンションの住所まで最寄りとなる駅から歩いてみたのち、その近辺をなんとなく散策していた。マンションと駅の間にはコンビニやスーパーがあり、駅前もそこそこに賑わっている。そして、ホームとしているアリーナと練習場まで三十分かからない好立地。いい場所だな、と思った。まあ、一年しか住まねーんだけど。
 そんなことを考えながら歩いていると、視界の先に公園の入り口が見えた。どうやらその公園はなかなか広大な敷地を誇っているらしく、オレはなにかに惹かれるようにその中へと歩みを進めることにした。
 入ってすぐ、遊具のあるエリアでは色付きの帽子を被った園児たちが駆けずり回っている。それを眺めながら、つい自分の口角が上がってしまうのを感じつつ「平日の午前中だもんな」とボトムスのポケットに手を突っ込んでその先へ進んでいく。
 降り注ぐ陽光を遮る心地良い木陰をしばらく進めば、拓けた場所に現れたのはバスケットボールコートだった。

「……そうか、オレはこれがあるっつーのを嗅ぎつけちまったってわけだな」

 そんなひとりごとを漏らしながら、目の前に現れたバスケットボールコートをまじまじと眺める。そのままその場で背負っていたリュックを下ろし、ぐっと腕を伸ばして軽いストレッチを始めた。
 地元にもこういう場所がいくつもあって、小・中学生の頃は変わるがわる様々なコートを訪れ、友人らとの軽いゲームに昂じたものだ。今は閑散としているこの場所も、夕方にはたくさんの学生たちで賑やかになるのだろう。
 静かなバスケットボールコートはとても広く感じて、そんな場所にたった一人という解放感にうれしくなったオレは「よォし」と呟き、リュックの中からバスケットボールを取り出していた。
 軽くドリブルをしながら、なぞるようにスリーポイントラインを辿る。ゴールの方へ向き直り、ほとんど予備動作なしに放ったボールは自分でも高まってしまうほど滑らかな弧を描き、ポストに触れることなくゴールを抜けた。
 てんてんてん、と転がるボールをゆっくり歩いて迎えに行きながら、引っ越して落ち着いたら夕方にでも顔を出して学生に混ぜてもらうかな、なんて計画を立ててみる。
 そんなことをしばらく続けていた頃、突然耳に届いたパシャリ、という聞き覚えのある音に、オレは「ん?」と首を傾げた。
 それはカメラのシャッター音に違いなかったが、そのレンズがこちらに向けられていることに、更に言うならば閑散としたこの場所に、いつの間にか自分以外の人間が居たことに気づけなかった。集中しすぎて、自分の世界にのめり込んでいたようだ。
 一瞬だけ動きを止めたオレは、ゴールを抜けて転がるボールを取りに行ってから、こちらにカメラのレンズを向けているその人物へと体ごと向き直る。そのままズンズンと近寄れば、はっとした様子でカメラから目を離した彼女は見るからに狼狽しながら「うわ!」と上擦った声を上げた。
 べつに嫌な気分になったわけではない。ただ、彼女がオレの何をそのカメラにおさめたのか、純粋に興味があったのだ。
 そして、手渡された重量感のある一眼レフの中に映るオレの姿は、写真のあれそれに詳しくない自分でも彼女の腕がいいことを感じられるものだった。
 だから、感謝祭でオレのサイン待機列に彼女が並んでいたことには驚きを隠せなかった。
 あのコートでボールを放っていた瞬間を切り抜かれたことには微塵も不快な気持ちは無かったが、サインの対応をしようとして「私はいいです、ファンじゃないし」と断られたのは、そりゃあもうめちゃくちゃ癪に触った。

「おら、そのスマホ寄越せ!」

 そう言って、彼女が手に持っていたスマートフォンを引ったくったオレは、呆気にとられて硬直している彼女の目の前でその裏に書き慣れたサインを施してやった。
 ほとぼりが冷めて冷静になって考えれば、彼女が「ああああ! 私のスマホケース!」と衝撃と動揺と怒りの混ざったような表情で声を荒げるのは当たり前だったのだが、その時のオレは何故か勝ち誇ったような調子で「ご利益あるぜ!」なんて胸を張って言い返していた。まあぶっちゃけて言えば、今でもわるいことをしたという意識はない。
 なぜならば、あいつはあれだけ騒いでいたくせに未だにそのケースを使い続けているからだ。ただ、新しいものを買い直すのが面倒なだけかもしれないが。
 そう、つまるところオレが今現在ルームシェアをしている相手は、あの公園のバスケットコートで出会い、ファン感謝祭で意図せぬ再会を果たしたその人物なのである。
 ファン感謝祭の次の日。一年限りの期限付きルームシェアをする部屋を訪れ、その部屋のインターホンを押して出てきたのが彼女だった時、声を発するということを忘れてしまっていた。
 たぶんそれは、オレの人生においてもベストスリーに入るほどの衝撃に違いなかった。人間は驚くと「わあ!」とか「ぎゃあ!」と声を上げるより、むしろ声が出なくなるものなのだな、というどうでもいい経験と気づきを得た。
 もちろん、最初はそういう関係でもない男女がほとんど初対面のような状態で、ルームシェアとはいえ一緒に住むということに不健全さを感じ、この話は流してしまうべきだと踵を返そうとした。

「っていうか、私はそれだと困るんです!」

 しかし、そんなオレの服を引っ張り引き留めてきたのは、あろうことか彼女本人だった。
 彼女はこの一年限りのルームシェアを終えれば家賃が半額になること、そして気に入ったこの場所を離れたくないことを辿々しくも必死に伝えてきた。だからってこんなのがまかり通るものか、と思ったのだが、その必死さに絆されてしまったのも事実で。
 そう、これはあくまで一年限りの期限付き。来シーズンが始まって、それが終わって落ち着いたら、オレは建て替えられた独身寮に戻る。そう自分に言い聞かせて、喉に詰まる何かをぐっと飲み込んだのち、彼女の懇願に頷いた。
 じいちゃんのいらないお節介には無視を決め込むことにして、あっけらかんとした彼女との共同生活が始まった。
 そしてそれからもう、あっという間に一ヶ月が経過している。
 ことのあらましを大まかに、そして話が伝わる程度に掻い摘み、差し障りのない部分だけを伝えれば、腕を組みながら顎をしゃくらせ、静かにオレの話を聞いていた宮城が「そんで、どんな子?」と短い言葉で問うてきた。
 その言葉に「あ?」と短く返事をすれば、返ってきたのは「だから、その同棲相手のことっスよ」というセリフだったわけで。

「ど、同棲じゃねえよ! ルームシェアだっつーの!」
「たいして変わんねーよ」

 あいつ──もとい名前は、なんていうか不思議なヤツだと思う。
 そもそも知り合いでもない、顔見知りにも至らない関係の男といきなり一緒に住めと言われて、動揺しつつも「そうしましょう」と言えてしまうのは普通におかしいと思う。
 あれはこう、それはそれ、と口うるさくしていたかと思えば「そこは普通に怒るとこだろ?」みたいな場面で怒らなかったり、やっぱり変なところで声を荒げたりする。例えるならば、予想の出来ないウォークスルーアトラクションのような人間なのだ。
 今朝、いつも通り早朝に目覚めたオレは、敷きっぱなしの布団から体を起こし、グッと腕を伸ばしてから自室を出た。冷蔵庫にあるペットボトルの水をコップに移し、それをグイッと飲んでから家を出る。
 ジョギングから戻っても彼女が目覚めた様子はなく、作ったプロテインを飲み干してからシャワーを浴びた。汗を流し終え、ぼーっとソファーに座りながら練習場へ行くまでの時間を過ごしていたオレの耳に、ガチャリと扉の音が開く音が届いたのは九時過ぎのことだった。

「おはよぉ……」

 その声に「おう、おはよう」と言って振り返れば、重力に逆らって上に向かっている前髪を携えた彼女が、寝巻きのTシャツに短パン姿で目を擦りながら立っていた。

「って……ハハハ! すげー寝癖だぜ! 眉毛もどっかに置いてきちまったのか?」

 そう言うと、まだ寝ぼけた様子で開ききっていない目を極限まで細めた彼女は「私の眉毛はお母さんのおなかのなかに置いてきたの」とムスっとしながら言った。
 こういう切り返しをしてくるところが面白くて、そしてオレがこいつのことを不思議なヤツだと思う所以なのである。 

「んー、なんつーか……変なヤツ?」
「それ、確実にアンタが言えたことじゃないってのはわかるよ」
「おめーというヤツは、いつまで経っても口の利き方がなってねーな」

 その減らず口をつまんでやろうかと手を伸ばせば、それを察したらしい宮城にひょい、と軽く躱されてしまった。チッ、と短く舌打ちをするオレにニヤリとした視線を向けた宮城は、その背後を振り返った。

「ねえ深津さん、聞いてました? ヤバくないスかこれ」
「素行不良をスッパ抜かれてチームに迷惑かけたりしなければ別にいいピョン」

 デフォルトのような無表情なツラを一切変えずにボールを抱え、こちらにその首を向けた男──チームメイトの深津一成が平坦な調子でそう言った。

「しねーよ! なんだよ素行不良って」
「そりゃアンタが高校ン時にしてたやつだよ」
「あ……! あ、アレはべつに女関係じゃねーだろ!」
「女みたいな頭はしてたピョン」
「は!? ……おい、なんで知ってんだ!? 宮城! おめーなんか見せやがったな!」

 さあ、なんのことスか? とわかりやすくシラを切っている宮城に対して咎めるような視線を向けても、ヤツが動じる様子は全くない。そうだった、学生の頃からいつだってコイツはオレが凄もうが威圧しようが、その余裕そうな表情を崩すことは無いのだ。

「でもさあ、実際どうなの? 一緒に住み始めて一ヶ月とかっしょ」

 そういう気になったりとかしねーの?
 そう問われ、オレは無意識のうちに口を真一文字に結びながら顎に手を当てていた。片眉を上げてオレの言葉を待っている宮城と、こちらに向けられている深津の静かな、それでいて興味深げな視線を感じながら「どうだろうな……」と漏らして思考を巡らせる。
 知り合って一ヶ月とすこし、同じ部屋で暮らし始めてまだ一ヶ月。それでも、シーズンオフで毎日家に帰っているお陰で、彼女の人となりは大まかに理解出来たと思う。
 オレのことを「みっちゃん」と呼びはじめたときは、頭の中に徳男たちの顔が浮かんでしまいしばらく納得がいかなかったが、今ではあいつにそう呼ばれることにも慣れた。
 実家を出て長いからか、彼女はそのマイペースな性格の割に生活力があって、料理も上手く、出されるメシはなんでも美味い。
 オレが何か口を滑らせ、不快に思われるような発言をしてしまっても、今までそういう付き合い方をしてきた女達のようにカッカして女々しくネチネチ指摘してくるようなことはせず「みっちゃん、それはアウトだよ」と静かに嗜めてくれる。
 まるで姉や妹のようで、時々母親のようにも感じる時がある。女のキョウダイがいたなら、こんな感じだったのかもしれねーな、という安心感に似た何かを覚える。
 もちろん悪いヤツではないし、自分の仕事にめちゃくちゃプライドもってやってんのとかも尊敬できるし、ついでに言えばいい女であるとは思う。ツラもわるくねーし。まあ、そんなことは本人にも、そして目の前にいるこいつらにも言うつもりはねーけど。
 ──と、ここまで考えてから、先週ラッキーなことに拝んでしまった彼女の体と白い肌を思い出してしまい、ほんの少しだけ脳が熱くなるのを感じた。
 おいコラ三井寿、あいつをそういう目で見んじゃねえ!
 勝手に再生されたあの時の映像を振り払うように、その場でぶんぶんと首を振る。

「え、いまなんか一瞬すげえキモい感じの顔してたけど」
「……っだぁ!? テメーコラ! 先輩に向かってキモいとはなんだ!」
「ワオ、すげーや、発言のレベルが高校ン時と変わんねえ」
「いつだってチーム内に一人はこういう騒がしい奴がいるピョン」

 徒党でも組んだかのように畳み掛けられるチームメイトたちの辛辣な言葉。それに対し、先ほどと同じく短い舌打ちをしてその場を濁した。
 彼女のことは嫌いではないし、どちらかといえば寧ろ好きの方に分類される。けれど宮城が言うような恋愛的なそれではないし、そうなる気も、そのつもりもない。
 どうやらうちのじいちゃんは彼女のことを大層気に入っているようで、そんな展開に期待をしてオレとあいつのこの状況をセッティングしたようだが、その通りに誘導されてしまうのはなんというか、とにかく気に食わないのだ。
 自分のことは自分で決めるし、身内に押し付けられてそうなるものではないと、それだけはハッキリわかっている。

「やっぱあいつは……名前はそういうんじゃねーよ」

 たぶん、と付け足すと、深津が「名前さん」と復唱するように彼女の名前を唱え、宮城が「名前さんって言うんスね、同棲相手」と調子良く眉を上げた。

「う、うっせえんだよ、いつまでも! もういいだろが! つーか同棲じゃねえっつってんだろ! この自主練サボり野郎どもが!」
「サボってないピョン。三井が騒がしいから集中出来なくて困ってただけピョン」
「そうそう。つーかそれを言うなら三井さん、アンタも同罪だからね」

 ここで言葉が出てこなくなってしまったのが悔しくて、そんな気持ちをやり過ごそうと、抱えこんでいたボールをガムシャラな勢いでゴールに向かって放つ。
 もちろんそのボールはゴールポスト弾かれてゴールを抜けることはなく。何とも気持ちのわるいモヤモヤした感情を孕みながら、始まった本日の練習に於いてオレはびっくりするほどに不調だった。



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