2.


「オレのありったけを込めるぜ……!」

 そう言って椅子から立ち上がったプロバスケットボール選手は、神妙な面持ちで右肩を回し、そのままクイッと捻るように右手首を動かした。ポカンとしたままその様子を見つめている私を怪訝そうな表情で見遣った彼は「ほら、おまえも立つんだよ」とアゴをしゃくらせながら促してきた。
 めっちゃ強引だし、ちょっとオラついてるし、ついでに行動がいちいち雑なんだよなあ、この人。
 とはいえ、私には初対面の時の自分の行いによる彼への後ろめたさが未だにほんのりと残っているわけで。そして、この人のそんなアバウトさに救われたような部分もあるので、なんとなく逆らうことが出来ずに促されるまま立ち上がってしまっていた。

「じゃんけん如きでこのあとしぬキャラクターみたいな言い方しなくても……」
「うるせえ! オレはいつだって全力なんだよ、一瞬一瞬を全身全霊で生きてんの!」
「……なるほどぉ」

 グッと拳を握りしめ、己が発した言葉の通り「オレのありったけを込めている」らしいその人は二つ名のようなものを持っていると、彼の大ファンである甥っ子の舜斗から聞かされたことをふと思い出す。
 そう、確かその名も「炎の男・三井寿」だったと思う。なるほど、と先ほど口にしたばかりのセリフを心の中でもう一度繰り返しながら、私にとっては心底どうでもいいことで盛り上がっている目の前にいるその人に視線を向ける。

「よォし、じゃあいくぞ。最初はグー! じゃんけん……」

 なぜ私たちがこうしてじゃんけんに講じているのか。まずはそこから順を追って説明をしなければならない。そもそもは、家事の分担についての会話から始まっていた。
 玄関であーだのこうだのしているわけにもいかないし、とにもかくにもルームシェアを始めることは決まったので三井さんに家に上がってもらい、部屋を案内することにした。
 二週間前までは千夜子の部屋だった7帖の洋間。玄関に入ってすぐのそこを好きに使ってください、と伝えると、三井さんは腕を組みながらじーっと部屋を見回して「おう」と力強く頷いた。
 廊下に置きっぱなしだった「405ミツイ」と書かれた段ボールを抱え込み、部屋に運び入れていく男らしい背中をぼーっと眺めていた私は、つい「荷物、少ないんだ」と声を掛けてしまった。

「ん? ああ、今までは寮だったから家具とかは一通りあったんだよ。で、オレは私物もそんなにあるわけじゃねーし」

 いちばん嵩張んのはこの布団とマットレスぐらいだな、と三井さんは既に部屋へと運び入れられていた新品らしい布団と折り畳みのマットレスを指差した。
 確かに、たった一年のためにベッドを買うのは勿体ない。しかし、体が資本のスポーツ選手がそんな普通のマットレスに布団を敷いて寝るだなんて、果たしてそんなに雑で大丈夫なのだろうか。余計なお世話であることを感じつつも、ひっそり勝手に不安になってしまった。でもまあ、私が気にかけるようなことでもないか。
 ガサゴソと荷解きを始めた三井さんとその部屋をあとにして、私は自室のパソコンを立ち上げ、納品しなくてはいけないデータの現像作業を進めることにした。
 そんなこんなしているうちに、あっという間に三時間ほどが経過していた。作業も切りのいいところまで片付いたけれど、集中していると体感時間が早くなる。
 うーん、と唸りながらその場で伸びをすると、背後から突然「おつかれさん」という声を掛けられた。思わず「ギャッ!」と小さな悲鳴を上げた私は、加えて大袈裟に体を揺らしてしまっていた。

「ハハ、おもしれ。尻尾踏まれた猫みてーな声出すじゃねえか」
「な……! ひ、ひとの部屋に入る時はノック!」
「あーそっか、ワリ」

 悪びれる様子もなく、適当な謝罪を口にしたその人は、いったいいつから私の背後に立っていたのだろう。
 現像作業中は「この色じゃない」とか「ダメこれピント合ってない、ボツ」とか「この画角はなんか違う」とかボソボソとひとりごとを言いがちなので、もし聞かれてしまっていたら、とうっすら肝が冷えた。

「つーかメガネしてんだな」
「パソコン向かってるときだけね、ブルーライトカットなの」
「ぶるーらいとかっと」
「パソコンとかスマホとかから出てるなんか変なのを遮るやつです」
「おまえもよくわかってなさそうな説明だな」

 そんな三井さんのセリフを無視し、椅子から立ち上がりながら「コーヒーでも淹れようか?」と声を掛けると、彼はこくんと頷いて「おう、頼むわ」とその口角をキュッと上げ、歯を見せて笑んだ。
 コーヒーを淹れ、それを啜りながら始めたのはルームシェアをする上での家事分担の話だった。とはいえ、話を聞くにシーズンが始まると遠征が月の半分を占めてしまうため、家にいる時間は半月ほどになるらしい。 

「だからよ、オレが居る時はゴミ捨て、トイレ掃除、風呂掃除と……あとなんだ、掃除機とか? 任せろ」
「えっ、いいんですか? 助かりますけど……」
「洗濯とかはその……頼むわ。オレがそっちの触ったりすんのはよくねーと思うし」

 ははあ、なるほど。私の下着のこととかをちゃんと考えてくれているらしい。なんだ、この人めちゃくちゃ雑な人だと思ってたけど意外とちゃんと考えてるじゃん、という失礼な感想はそっと胸の中にしまうとして。
 月の半分しか家に居ないのならば、それはもうほとんど気ままなひとり暮らしみたいなものだ。たぶんおそらく、このルームシェアを伴う一年はお互いが思っているよりもあっという間に駆け抜け、そして未だかつてないスピードで過ぎていくに違いない。

「洗濯と、あとはごはんだよね。そこも私がやろうと思うんだけど、スポーツ選手って高タンパク低糖質を意識してる……んだっけ?」

 まあそんな感じ、と頷く三井さんをみとめてから「私もダイエットしたかったし、ちょうどいいや」と付け足す。
 すると、彼はぱちくりと子どもみたいなまばたきをしたのち、噛み締めるような声音で静かに「おまえ、さてはめちゃくちゃいい女だな?」と思わず噴き出してしまいそうな面白いセリフを吐き出した。
 噴き出すのをなんとか堪えた私は「照れちゃうぜ、やめてくださいよ」と釣られるように冗談めかして返事をする。

「こっちにいる時は三井さんがゴミ捨てとか掃除してくれるならめちゃ助かるので」
「……オレ、思ってたんだけどよ」
「うん?」
「その三井さんての、やめね?」

 じっとこちらを見据えながら、至極真面目な表情で言った三井さんのその言葉の意図を図りかねてしまう。眉根を寄せ、小さく首を傾げながら「やめね、とは……?」とぼそぼそ吐き出すように疑問を口にしたら、彼は「だからよお」と、やれやれとでも言いたげに人差し指でトントン、と机を小突いて鳴らした。

「一緒に住むのに他人行儀すぎねーか? つーわけで、オレはおまえのこと名前って呼ぶから、名前も苗字にさん付け以外にしろよ」
「いや……でも私たち、まだほとんど初対面みたいなものだし」
「なんでもよ、まずは形からって言うだろ? オレはおまえのこと名前で呼ぶんだし、そっちもヒサシって呼べばいいじゃねーか」
「距離感バグってない? 誰にでもそんな感じなの? こわいんだけど」
「呼び方ぐれーでうっせーヤツだな。よし、じゃあここはじゃんけんで決めようぜ!」

 と、いうのがここまでの流れ。些か強引に、そして半ば強制的に始まった三井さん提案の「名前の呼び方決定権じゃんけん」は、こうして執り行われることとなったのである。
 そんなわけで、場面は冒頭に戻る。

「オレが勝ったら名前呼びだぞ? そんで、名前が勝ったら好きにしろ」

 これはガチの勝負だから本気で来いよ、と付け足した三井さんの表情は言葉の通りに真面目かつ本気そのもの。この人の妙なペースに巻き込まれ慣れていない私は「がんばります」と適当な返事をしつつ、じゃんけんに本気ってどういうことよ、と心の中でツッコミを入れた。
 オレのありったけを込める、と再びおもしろセリフを産み出した三井さんをなんとかスルーしていたら、じゃんけんには必要の無さそうな謎の肩回しやら手首回しを終えた彼が「よォし、じゃあいくぞ」と胸を張って宣言した。

「最初はグー! じゃんけん……」

 ポン! という力のこもった三井さんの声のあと、なんとなく私が出したのはパー。対する彼が出しているのはグーだった。

「オイ! なんでオレが負けんだよ! 完全に勝ち確だったろ! 流れ来てただろ!」
「じゃんけんに勝ち確はないと思うよ……。じゃあ呼び方ね、ヒサシ呼びは無しとして」

 無しなのかよ、と不満そうにモゴモゴ言っているグーで負けたその人の言葉には無視を決め込むことにして、私は腕を組みながら「うーん」と目を閉じ考える。
 ヒサシだからひーくん? いや、これじゃバカップルみたいだな。ナシ、絶対にナシ、圧倒的にナシ。ミッチーっていうのははファンからの愛称っぽいし、呼ばれ慣れすぎておもしろくないかも。……って、なんでおもしろいとかおもしろくないとかで呼び方を考えているんだろう。既にもう、思いっきりこの人の影響を受けてしまっている。ダメダメ、自分のペースを保つのよ、私!

「んー、ミツイ、ミツイだから……あ! みっちゃん! とかどう!? いいかんじじゃない!? なんかかわいいし!」
「ダメだ、却下」

 知り合ったばかりなのにいきなりの名前呼びには抵抗を感じていたし、苗字から取ったいい呼び方だと思ったのに。っていうか三井さん、いま「却下」を出すのめちゃくちゃ早かった気がする。
 注文が多いのはどっちよ、と心の中でごちながら、むう、と口を結んで思う。っていうか、そもそも私が勝ったんだから却下もなにもなくない? 目の前のこの人に、選択権なんてものはとっくに無いのだ。

「あのねえ……自分からじゃんけんって言い出して、しかも負けたのはそっちでしょ。てことでみっちゃん呼び決定」
「チッ……」

 目を細め、その凛々しい眉を顰めながら、あからさまに納得のいかない表情で腕を組んでいる三井さん──もといみっちゃん。どう見ても不満げな彼が文句を言ってこないのは、自分から仕掛けてしまった手前、これ以上格好悪く食い下がるわけにはいかない事をわかっているからだろう。
 そして、考えに考え抜いて絞り出した「みっちゃん」呼びを提案してから思った。勝ったんだから「じゃあやっぱ三井さんで」と苗字プラスさん付け呼びを押し通してしまえばよかったのではないか? そんなことに今更気づくなんて、我ながら間抜けすぎる。
 ルームシェアはシーズンオフである現在から、シーズンが始まって終わるまでの一年間だ。リーグ戦は九月末から五月の頭まで行われ、優勝決定トーナメントのチャンピオンシップとやらがその後に開催されるらしい。新しい社宅が出来上がったとしてもシーズン途中に引っ越しなんかをしている暇はないので、ここから出ていくのはこれから始まるシーズンが終わったあとのシーズンオフ、ということになるそうだ。
 そんなこんなしていたら、リビングに掛けてある時計がいつの間にやら十七時を示していた。ここ数日ドタバタしていたのもあって、冷蔵庫はすっからかんだ。初っ端から出前とっちゃうってのもちょっとなあ。そもそも目の前にいるのはスポーツ選手だし。うん、やっぱり今日は自炊にしよう。
「私、ちょっと近くのスーパーまで夜ごはんの買い出し行ってきます。冷蔵庫のなか、なんにも無いの」
 着いた初日で疲れてるだろうしゆっくりしてて、と私が続けようとするよりも早く、みっちゃんは「オレも行く」とそれがさも当然のように、そして迷いなど一切ない様子でハッキリと言い切った。
 この辺りのこと知りたいだけかもしれないけど、慣れない場所でじっとしてられないの、小さい子どもみたいでちょっとだけかわいいかも。なんてを考えてしまったことを、目の前にいる男らしいガタイをしたその人にそのまま伝えることは止めておこう。
 今まで女ふたりで暮らしていたせいか、ルームシェアの相手が男の人になったってだけで部屋がものすごく狭くなったような気がする。さらに、その彼はゴリゴリに体を鍛えているプロのスポーツ選手である。
 このたった数時間足らずの話を、ミッチー選手の大ファンである舜斗に伝えたらとんでもないことになりそうだ。──っていうか言わない方がいいな、絶対。
 そんなことを考えながら、玄関で散歩用のサンダルを引っ掛ける。荷解きした中から引っこ抜いてきたらしいスポーツサンダルを履いたみっちゃんは「そういやここ、近くにコンビニとかあって割と立地いいよな」と話しかけてきた。そうなのだ、そんなところも気に入っていて離れがたくなっている理由のひとつなのである。
 部屋の鍵を閉め、エレベーターがのぼってくるのを待ちながら「あ、そういえばこれ」とキーケースに取り付けていたもうひとつの鍵をみっちゃんに手渡す。

「あー、部屋の鍵な。サンキュ」

 そう言ったみっちゃんは、受け取った部屋の鍵を履いているハーフパンツのポケットに突っ込んだ。
 乗り込んだエレベーターの中でも「歯ブラシとかも買いてえんだよな」と話し続けているみっちゃんに「じゃあ薬局も寄って帰りましょう」と適当に返事をしているうちに、エレベーターは一階に到着していた。

「名前ちゃん、こんにちは」
「あ! おじいちゃん、どうも」

 管理人室から声を掛けてきたのは、このマンションを管理しているオーナーのおじいちゃんだった。優しくて穏やかで、今までも私と千夜子のことを実の孫のようにかわいがってくれたこの人のことを、私はとても好きだ。この人に頼まれたから、こうして見ず知らずの人とのルームシェアをする、という提案を受け入れられたのだ。
 それにしても、今日は日曜日だというのに管理人室に人がいるのは珍しい。管理人さんもオーナーのおじいちゃんも、土日は基本不在な筈だ。
 千夜ちゃんと連絡は取ってる? と問われて「うん、新居での荷解きが大変だったみたい」と返事をしながら世間話をしていたら、私の背後に立っているみっちゃんが「マジかよ」と低い声でボソボソと呟いた気がした。しかし「え?」と振り返ってみても、なんとも言えない表情をした彼がそれに答えることはなく。
 しかし、みっちゃんの発したその言葉がどういう意味だったのか。その答え合わせは、この後すぐに行われた。

「名前ちゃんのところに転がり込んだうちの孫は、粗相をしていないかな」
「私のとこ? 孫……?」
「君の後ろでモゾモゾしてる大きいの、それがうちの孫なんだよ」

 おじいちゃんの示した「君」というのは私のことで、その私の後ろにいるのはみっちゃん。おじいちゃんはそれを自分の孫だと言っていて、ということは……? 

「……えええええ!?」

 些か大きい声が出てしまい、はっとして両手で口を塞ぐ。管理人室でニコニコと微笑んでいるおじいちゃんと、怒っているような困っているような、それでいて気恥ずかしそうに目を逸らしているみっちゃん。二人を交互に見やりながら、私は堪えきれずに口を押さえたまま、もう一度「えええ……!」と声を漏らしてしまっていた。
 視線を逸らし、それを斜め下辺りに泳がせていたみっちゃんは、ようやく狼狽する私に視線を留めて「んだよ、あんま見てんなよ」と小さい声で言いながら目を細める。

「いやあ、言いそびれてたね。ごめんね」

 楽しそうに笑むおじいちゃんを見ながら、怒涛のネタばらしによってキャパシティを大いに超越した私の脳みそは「あとはもう勝手に受け止めてもらっていいっスかね? じゃあそんな感じなんでヨロシク」みたいななげやり状態になっている。

「まさかとは思ってたけど、やっぱじいちゃんのとこじゃねえか!」

 ほんのり耳を赤くしながら管理人室の窓に詰め寄っていくみっちゃん。そんな彼の様子を見るに、このマンションが自分の身内がオーナーをしている物件であることには今の今まで気づいていなかったようだ。
 本人もこんな感じの面白人間だけど、身内もこういう感じってことは血筋かしら、と祖父と孫のやりとりをほとんど他人事のように眺めつつ、とはいえ大事なお孫さんを私のところに預けてもらったということは信頼されてるんだ、とほんのり誇らしくてちょっぴりうれしい気持ちになった。
 本来なら、ここでもうちょっと焦ったり、不信感を抱いたり、目の前で「ちゃんと言っとけよ、そういうことは!」と声を荒げているみっちゃんと並んで「そうです、言っといてくださいよ!」と詰め寄っていくのが正しいリアクションなのだろう。
 だけど、そういうところまで至らずに「私っておじいちゃんに好かれてるんだな、うれしいなあ」とか思ってしまう自分は間違いなくズレているのだと思う。だから、部屋を出ていった千夜子も私のことを心配していたのだろう。

「これから二人は買い物にでも行くんだろう? こんなところで時間を潰してないで、気をつけていっておいで」

 適当にあしらわれてしまい「ぐう……」とか言いながらも身を引いたみっちゃん。ぺこりと頭を下げて「いってきまーす」と小さく手を挙げると、おじいちゃんも「はい、いってらっしゃい」と柔和な笑顔を崩さずに管理人室からひらひらと手を振ってくれた。
 スタスタとエントランスを抜けようとする私の後ろを、みっちゃんが「あっ、おい! おいてくなよ!」とか言いながらバタバタと騒がしく追いかけてくる。
 日が長くなってきたこの頃は、十七時を過ぎても外が明るい。ちょうどマンションに帰ってきた外で遊んでいたらしい小学生に「こんばんはー!」と挨拶をされたので、それに「こんばんは」と返事をする。
 六月の頭、現在は梅雨の真っ只中。昨日今日は雨が降らなかったけれど、この時期特有のジメッとした肌にまとわりつくような不愉快な空気につい眉を顰めてしまう。

「名前はその……なんだそれ! とか思わねーのかよ」

 横を歩きながら心許なさげにその背中を少しだけ丸め、私の様子を窺うように覗き込んできたみっちゃんに「え?」と返す。
 そこで、彼の発した言葉とその表情が「身内が根回ししたことに巻き込まれた私」に対する申し訳なさから来ていることを悟る。

「んー、もちろん驚きはしたよ? けど、みっちゃんと……っていうかこのルームシェア自体、私にはメリットしかないし」

 だからそんなに気にしてないよ、と返すと、みっちゃんはどこか憐れむような表情をしながら「オレはおまえのことが心底心配になったわ……」と言った。

「まあその、さっきのな……オレのじいちゃんなんだよ。母親の方の」

 寮の建て替えがあるから出るって話、母親からじいちゃんに行ったっぽくてそれで、と続けるみっちゃん。そんなタイミングで孫を迎えられるスペースが空いたのなら、そりゃ迎え入れるよなあ、と思う。

「前に持ってた土地にマンション建ててオーナーやってる、っつー話は聞いてたけど、どこにあるとかは知らなくてよ」

 言い訳のように、まるで怒られた子どものようにボソボソと続けるみっちゃんを眺めながら「なんかこれ、ちょっと面白いな」と感じてしまっていることは、もう潔く認めてしまおうと思う。
 声が大きくて大雑把で、迷いなど無くハッキリ物を言うみっちゃんのらしくない表情をじーっと見つめてみる。そんな私の視線を、咎めている意味を含んだものだと勘違いした様子の彼が「だからその、ワリィと思ってんだよ」と付け足した。

「まって、たぶんみっちゃん勘違いしてる。イヤとかはホントに思ってなくて、今はみっちゃんがモゴモゴしてるのが面白いなって思ってただけだから」
「うっせ! ……それはともかく、両親もじいちゃんもオレに女っけっつーの? 無いのを気にしてるっぽくてよ」
「そうなんだ。でもまあ、私たちぐらいの歳になると親もそういうの気にするよね」

 と、軽い気持ちで返事をしてからはたと我に返って考える。いや、だったらやっぱり良くはない。だって、私とみっちゃんがそういう感じになるわけがないし。みっちゃんのおじいちゃんにそういう目論見があるのだとしたら、それは全くもって無駄なものになってしまうのだ。

「ん……? ってことは全然よくないな? なんか申し訳ないです」
「申し訳ない? いや、そりゃこっちのセリフだろ」
「あ、ううん! ちがうの、そういうんじゃなくてこっちの話というか……。うーん、もういいや! なんか上手く伝えにくいし」

 とにかく私は怒っても困ってもいないから安心してね、と付け足すと、みっちゃんは強張らせていた表情を少しだけ緩め、安堵の息を漏らしながら「ん、サンキュな」と言った。
 拝啓、みっちゃんのご両親、そしてオーナーのおじいちゃん、もといみっちゃんのおじいちゃん。申し訳ないですが、息子さんの女っけについてはこのルームシェア生活が終わる一年後以降にまた別のところで見つけてもらうことになると思います。

「そうだ、今晩のメニューだけど、豚しゃぶとかどう?」
「お、いいじゃん! 今日ジメッとしてるもんな」

 なんか色々ありすぎてめちゃくちゃ腹減ったわ、とひとりごとのように呟いたみっちゃんが、私の横で人目を憚らずに大口を開けて欠伸をする。

「あ、荷物はオレが持つからな」
「ホント? 助かります」
「任せろい、こちとら日々鍛えてんだ。……それにその、これから厄介になっからよ」

 そう気恥ずかしそうに言って、アゴにうっすら見える傷跡を人差し指でなぞったみっちゃんは「つーわけで、改めてこれからよろしく頼むわ」と畏まった表情で続けた。
 強引で、そこにいるだけで賑やかなその人を見上げながら、私の中に湧いてきた感情はやっぱり不安よりも、愉快な方を大きく孕んだ気持ちだったわけで。

「うん、こちらこそ」

 もうなんか色々ありすぎてわけわかんないけど、まあなんとかなるでしょう。
 このこと、千夜子とお姉ちゃんになんて話そうかなあ、とぼんやりと考えながら、歩き慣れたいちばん近いスーパーまでの道をゆく。
 そして、隣を歩いている背の高いルームシェア相手について、彼の大ファンである舜斗に伝えることは、やはり止めておいた方が良さそうだ。


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