13-2. 再び名前の前から逃げ去ってしまった手前、電話を掛ける時はらしくもなく緊張していた。 先ずは仕出かしてしまった衝動的且つ最低な行いを詫びて、対面して謝る機会を設けてほしいことを伝える。何度も頭の中でシミュレーションを行い、意を決して発信したら、数秒の呼び出しのあとで「……みっちゃん?」という名前の声がした。 応答してくれた事にほっとしつつ「おう、元気か?」と努めて自然に振る舞う。その問いに対して、微かに笑いを交えながら「うん、元気だよ」と発した彼女の声は、その返答とは相反してわかりやすく覇気がない。それが自分のやらかした勝手過ぎる行いのせいであることは明白だった。 「明日の試合終わったらそっち帰るから、ちゃんと話する時間もらえねえか?」 フラストレーションを溜めすぎた自分が行ってしまった最低な行動をとにかく謝りたい。そして、自身のなかに生まれ、気付かない内に成長していた「好き」という感情を伝え、それがあるからこれ以上一緒にはいられないということ、期限前だがルームシェアを解消して出ていく旨を伝える。 このまま一緒に暮らしていたら、また何かのキッカケで同じようなことを──寧ろ、それ以上の行動を起こさないという保証は無いし、自信なんてもっと無い。 「……うん、待ってる。みっちゃんのこと、ちゃんと待ってるよ」 その言葉から、彼女はもうオレが何を言おうとしているのか察していることを知った。 心は決まった。踏ん切りはついた。後悔はあれど、もともと最初から最終的にそうなることは決まっていた。単に、それが少し早まっただけだ。 待ってろよ、と全力で普段通りを装う。こうなってしまえば、もうあとは目の前の試合に全力で取り組むだけだった。吹っ切れたかと聞かれたら、決してそんなことは無い。けれど、これ以上グラグラと揺らいでいるわけにもいかない。 「三井選手は今回が代表デビューでしたが、追いつけそうで追いつけない苦しい展開が続く中、試合の流れを完全に変えてくれました!」 向けられているカメラとマイクに視線をやる。インタビュアーの問いかけに答えながらも、試合が終わったばかりのオレの頭の中は興奮しているせいかふわふわしっぱなしだった。 迸るように噴き出るドーパミンがそうさせたのだろうか。勢いのままに発した「待ってろよ」という言葉と、カメラへ突きつけた人差し指の向かう先はどこまでも個人的な方向に違いなく。 それがどこへ向かっているのか気付いたのは、その目的地であり当人でもある名前と、なんやかんやで事情を察していそうなチームメイトのちっこいふわふわ頭と、常時ローテンションでポーカーフェイスなポイントガードコンビぐらいだろう。 勝利の余韻に浸ったまま、テンションの高いミーティングを終え、適当にシャワーを浴びる。地方のチームに所属している選手らはこのまま近くに宿泊をして明日地元に帰るようだが、オレは急いでタクシーに飛び乗っていた。 都内のアリーナから神奈川のマンションへ到着する頃には、おそらく日付が変わっている。しかし、名前はきっと律儀に待ってくれているに違いない。それに対する申し訳なさを感じながら背もたれに体を預け、低い車高の天井を仰ぎながらゆっくりと瞼を閉じる。 ただいまと言って、待たせてわるかった、こないだのことも本当にわるかった、謝って済むことではないとわかっているけれど、とにかく直接謝りたかったと伝えて、それから──。 どうやらオレは、いつの間にかうとうとしてしまっていたらしい。タクシーの運転手から「お客さん、着きましたよ」と声を掛けられ、ナナメ上に飛んでいた意識がスコン! と戻ってくる。慌てて支払いを済ませ、勢いのまま弾かれたように車から降りた。 この間のことを詫びる、好きだと伝える、ルームシェアを解消しようと言う、好きだと伝える、本当はこのまま続けていきたいに決まっている、好きだ、本当は離れたくなどない、一緒にいたい。 エレベーターの中で、脳内をぐるぐると回り続ける相反する思考の群れに目眩すらしてくる。 好きだと、本当はルームシェアを終わらせたくないと正直に白状してしまいたい。けれど、気持ちが伴っていない名前にそれを強要することは出来ない。そんなことはとっくにわかっていたし、理解をしていたし、納得して反省して嚥下しきったつもりだった。 しかし玄関の扉を開けた瞬間、オレの決意はものの見事に吹き飛んでいた。 「みっちゃん……!? おかえり……!」 リビングに続く廊下でしゃがみ込み、小さくなっている名前の姿は何度も見たことのあるものだった。顔を上げた彼女は、床に手をつきながらゆっくり立ち上がると「ちゃんと待ってたよ」とぎこちなくふにゃりと笑んだ。 微かに充血して赤くなっている瞳。掠れた小さな声。きゅっと結ばれた唇。泣いていたのかとか、それはどうしてなのかとか、聞きたいことはたらふくあった。それなのに、とにかく彼女が待っていてくれたという事実がうれしくて、オレの手は勝手にわなわなと震え出していた。 硬直しているオレを控えめに覗き込みながら「あの……?」と発した彼女の腕を、もう次の瞬間には引っ掴み、些か強引に抱き寄せてしまっていた。 「だ、大丈夫!? なんかあった!?」 「いや、全然ダメだわ」 息を吐き出すように、己に呆れ返りながら「これでもちゃんと反省したつもりだったんだぜ」と続ける。 名前の体を抱きしめる力を強めると、微動だにせずされるがままになっていた彼女が探るようにたどたどしく、そっとオレの背中に手を伸ばしてくるのがわかった。まるで子どもをあやしているかのように優しく背中をさすられながら、胸の奥が窮屈そうにぎゅう、と軋む。 こんな最低な男のことなど、思い切り突き飛ばしてくれたらいいのに。全力で罵倒して、完膚なきまでに叩きのめしてほしい。そうでなければ、この気持ちに諦めをつけることなど出来ない。 それをしてこないのは名前の優しさか、それとも気まぐれか。それとも、ここまで来てもひたすらに鈍いだけなのか。まあ、最早そんなことはどちらでもいいのだが。 「もうとっくにおまえのことすげー好きになっちまってんだよ」 先に言うべき言葉はたらふくあった。脳内で何度もシミュレーションをした。タクシーの中でも、直前のエレベーターの中でだって繰り返していたのに、飛び出してきた言葉はどこまでも自己中心的すぎる己の感情。 けれど、ひとつだけ救える点があるとすれば、それは純度100パーセント混じり気なしのまっさらな想いに違いないということだけだ。 名残惜しさを感じながら、胸に抱えていた名前の体をすっと離す。すると彼女は、ぽかんとした間抜けな表情で頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら、ぱちくりと瞬きを繰り返した。 「オレは、名前のことが好きだ」 名前は口を半開きにしたまま、目を見開いて硬直している。彼女の肩に置いている自身の手に、無意識のうちに力が籠る。 衝動的に抱きしめた上、勢いのままに吐き出したのは堪えていた筈の感情。今までの葛藤や我慢はなんだったのかと、全てを無に帰す最悪の行動に違いなかった。けれど、その大きさは最早己の意志で堰き止めておけるレベルのものではなくなっていたらしい。 相も変わらずぽかんとしている名前が、震える声でこぼした「え……?」という声と表情には、紛うことのない動揺がありありと滲んでいた。 「あの、私いま混乱してて、みっちゃん、待ってね……ええと」 名前はカタカタと震える指先を口元へ持っていく。ふよふよと斜め下を漂う視線がこちらに向けられることはなく、なんとも言えない妙な間と雰囲気によって、オレの顔面はじわりじわりと確かな熱を持ち始めていた。 「その、こないだキスしちまったろ? それ謝って、そんでもうこの部屋は出ていくつもりだった。けどよ、やっぱおまえの顔見たらダメだったわ。サイテーだよな。しかも、反省しねーでまた抱きついてんだぜ?」 ペラペラと勝手に動く口からまろび出る情けない言い訳は、再びやらかしてしまった事実であり現実。名前の肩に手を乗せたまま、深く息を吐き出して下を向けば、なんだか可笑しくなってきてしまって腹の底がむずむずとしてくる。 「……もう! だから、私の話も聞いてってば!」 頬に感じたのは、小さな手のひらの感触。今度はオレが驚く番だった。どうやら、オレは名前の両手によって頬を挟まれているらしい。 あんだよ、とモゴモゴしながら名前の顔をじっと見据えれば、彼女はぎゅう、と結んだ唇を震わせ、眉を釣り上げながらその瞳を潤ませていた。 「いまの、ほんと?」 「こんなウソつくかよ。……ホントは出ていきたくねーし、このままおまえと一緒にいたい」 もうどうでもいい、どうせ出ていくしかないのだから。 数週間前に聞いてしまった「ルームシェアがつらい」という名前セリフが勝手に脳内でリプレイされて、いろんな意味で満身創痍なオレの胸をグサリと攻撃してくる。 「おまえがもうルームシェアやめたいって言ってのも知ってんのによ……みっともなさすぎるよな」 「え!? うそ、きいてたの!? ど、どこまで……?」 「どこまでって、そこだけだよ」 「じゃあ、その前とかは」 「その前?」 すると、オレの頬を挟んでいた手のひらの力を緩めた名前は、その手のひらを自分の膝の上に戻すと、脱力するように頭を垂れてしまった。 「違うよ! ルームシェアやめたいっていうのは、これ以上一緒にいたら、その……好きが大きくなってつらいからって意味で」 「好きが大きくなる?」 「──……ッ、もうバカ! 私だってみっちゃんが好きってことだよ!」 その瞳に今にもこぼれそうな涙を浮かべた名前は、顔を真っ赤にしながら眉を釣り上げ、肩をいからせている。彼女の発したセリフの意味を理解できず、その場で腕を組んだオレは大袈裟に首を傾げた。 私だってみっちゃんのことが好き。私だって好き? みっちゃんて誰だ? ああ、オレか。 そんな程度の低い問答を脳内で繰り返していても埒があかない。ひどい喉の渇きを感じながら、自分の眉間に深く深いシワが刻まれていくのを自覚していた。 ようやくその言葉を理解するまでに、オレはどれぐらいの時間を要してしまったのだろう。ぶるぶると震える手を持ち上げると、独り言のように「いや、うそだろ、こんなことありえるわけねえよ」とぶつぶつ言いながら、その指先を彼女の方へ向けて柔らかい頬をつまんでいた。 「い、いひゃい! なに!? はなひて!」 「わかったぜ、こりゃ夢だな! 起きたら夢でしたーって絶望させるオチだろ、なんちゅー悪夢だ、ありえねえ」 「っ、もうバカ! そういうのって、ふつう自分のほっぺたつねるもんでしょうが!」 勢い余ったせいか、本当に痛かったのか、名前の目から溜め込んでいた涙がぼろりとこぼれるのを見た瞬間、動揺で力が緩んだ。慌てて「わりぃ!」と叫んだ次の瞬間、今度はオレの両頬にピリッとした痛みが走っていた。 「おま! おい、い、いへえって! はなへ!」 「私も痛かったもん!」 「ふまん! わるかったって、いっへんだろ! ……っ、はあ」 かたくかたく唇を噛み締めている名前が、ぼろぼろと止めどなく涙を流していることに気がついたオレの顔の横には、マンガであったなら「ぎょっ!」とか「びくっ!」みたいな書き文字が添えられているに違いない。 「な……!? そ、そんな痛かったか!?」 「ちがう、もうわかんないの……! おどろいたのとうれしいのとほっとしたので、たぶん堤防こわれちゃった」 堤防、と名前の発したワードを唱えるように繰り返す。 ぽろぽろと涙をこぼし、喉を震わせ、声をしゃくらせながら小さくなっている彼女の姿は今までに見たことのないもので。この一年近く彼女の様々な表情を見てきたが、ここまでの号泣は見たことがない。 なんかこれもグッときちまうな、なんてバチ当たりな感想は、現在オレの心の内にあるものでいちばん発してはいけないものに違いない。 予想もしていなかった展開と、目の前の状況に動揺したオレの脳内には、新たな混沌と混乱が生まれてしまっていた。 「わ、わるかったって! ……泣くなよ、どうしたらいいかわかんねえ」 「……じゃあ、もっかいぎゅってしてくれたらゆるす」 は? と飛び出してきた言葉は、本当に自分の口から出てきたのかと疑うほどに素っ頓狂な調子だった。 ぎゅう、と口を結んでこちらを見上げている名前の目尻が紅潮し、潤んだ瞳がゆらゆらと不安そうに揺れているのを見留めた瞬間「そりゃ反則だろ……」と精査されずに飛び出した言葉と同時に、オレは彼女のことを抱きしめていた。 勘弁してくれよ、こんなんかわいすぎんだろ。 「……みっちゃん、聞いてもいい?」 「おうよ、なんでも聞け。今のオレはあけすけの極みだぜ、なんでも白状してやるよ」 あけすけの極み、もといヤケクソである。それを言うと、オレの腕の中で名前が小さく笑うのがわかった。 「さっき好きって言ってくれたの、ほんと?」 「この流れでウソなんかつくかよ。……まあ、名前がちゃんと家で待っててくれたのがわかって、安心して勢いあまった感はある」 「みっちゃんはこないだから勢いあまりすぎだよね」 「ぐっ……! だからそれはだな……悪かったって言ってんだろ!」 「いじわる言った、ごめんね」 擦り寄るようにオレの胸に体を預けている名前の頭を撫でながらも、心臓は爆速で鼓動していた。おそらくそれはもう彼女に伝わってしまっているだろうが、最早オレの中に隠していなければならない感情など一切ない。 顔ごと真っ赤になるような赤裸々な想いも、どうしようもないカッコ悪さも、全て吐き出し晒してしまったあとで、恐れるものなどあるだろうか? 「私ね、もうずっとみっちゃんのこと好きだったよ。でも言ったら困らせると思って言えなかった」 そう続けた名前の語尾は震えていた。 一緒にいるのが楽しくてしあわせだから、気持ちを吐露して妙な雰囲気になるのがいやだったのだと、抱きしめた体から発される声を聞きながら、どうしようもなく胸の奥が痺れた理由は明白だった。愛おしくてたまらないというのがどういうことなのか、この瞬間に理解する。 なんだよ、じゃあオレと同じこと考えて、同じように悩んでたってことか? 「みっちゃん、私……」 「ちょっと待て。玄関でこのまま話してんのもアレだろ、あっち移動しようぜ」 「そ、そうだよね」 「でだ。……わりぃけどオレ、手洗ってうがいして荷物部屋に置いて便所行ってくる。ちゃんと面と向かってやり直すから、一旦頭冷やさせてくれ」 ついでに言えば、シンプルに腹の調子が悪い。らしくもなく、二週間以上頭を悩ませ続けていたせいもあるだろう。加えて、日本代表初出場を終えた極度の緊張状態から一気に気が緩んでしまったお陰で、脳みそは活動限界を迎えてぽやぽやしている始末。まあ、それはおそらく、十中八九浮かれているからだ。 「うん、わかった」 「あんがとな、すぐ戻る」 すっと名前の額に手を伸ばし、額にかかっている前髪を手のひらで避けてやる。不思議そうにこちらを見上げている彼女を無視して、そのままそっとその額に口付けた。 「へ……!?」 やられっぱなしは性に合わない。 オレの精一杯の反撃を受けた名前は、大いなる戸惑いを帯びた間抜けな声を上げる。目をぱちくりさせ、己の額に手を当てた彼女が「なにいまの……!」と口をぱくぱくさせながら漏らしたのが背後で聞こえた。 *** こんな展開になるだなんて、微塵も想像していなかった。 みっちゃんにつねられた頬に触れながら思うこと。それは、やはりこれが現実だとは到底思えないし、受け入れられないということだけ。 ソファーの上で膝を抱えながら、見慣れたリビングルームを見回す。 千夜子と一緒に住んでいた頃からずっとある二人用の小さなダイニングテーブル。今日の日付に大きな丸が描かれているカレンダー。電源が入っていない真っ暗なままのテレビ。目の前にあるローテーブル。何度確認してみても、やはりこの場所は間違いなく自分の家だ。 例えばこれが夢ならば、どこかに違和感を感じるはずだ。しかし、それが無いということはやはり現実であるとみて間違いないだろう。 ってことはやっぱり、さっきのやりとりって──……? 瞬く間に頭のてっぺんから爪先までが熱くなって、両手で顔を覆いながら「ううう……!」と堪えきれない呻き声を上げてしまう。 「んだよ、テレビもつけねーでちっこくなってたのか?」 おまえよくそうなってるよな、とぎこちなく笑いながらやってきたみっちゃんは「どっこいせ」とか言いながら私の横に腰掛けた。 前傾姿勢で腿の上に肘を置き、ぎこちなく指を組んだ彼は、わざとらしくゴホン、と咳払いをしてから、意を決した様子でこちらを向いた。 「名前」 その声は、泣きたくなるほどに優しくてあたたかかった。私の肩を掴むみっちゃんの手のひらがすごく熱くてびっくりしたけれど、私の頬だって同じぐらい熱くなっているに違いない。 「おまえが好きだ。……でも、おまえの気持ちがオレと同じじゃないなら、これ以上この生活を続けていくわけにはいかない、と思ってるわけで」 そう言ったみっちゃんの視線はどこまでもまっすぐで、揺らぐことなく私を見据えていた。 「……やだ」 本当は、一年なんて言わずにもっと一緒にいたいと、この気持ちに気づいてからずっと言いたかった。 私と同じような想いをみっちゃんが抱いているわけがないと思いこんでいた。プロのバスケットボール選手としてどんどん輝いていく彼の邪魔になったり、集中の妨げになってしまうようなことは絶対にしたくなかった。 だけど、私の自惚れでないのなら。これが夢ではなくて現実ならば。もう本当の気持ちを隠している理由も、それを伝えられない理由もない。 「やだよ、私もみっちゃんといたいよ……!」 みっちゃんのことを好きだと認めてから、リーグが終わらなければいいのにと思っていた。新しい独身寮なんか出来なければいいのにと、ずっと思っていた。その度に「あるわけないのに」とか「なんでこんな幼稚なこと考えちゃうんだろう」と、自己嫌悪を募らせながら、自分のこころを守るように苦笑して濁し、気持ちを誤魔化し続けていた。 でもそれを吐き出した瞬間、胸の奥がすっきりして、つかえていたものがごっそり溶けて流されていくのを感じた。重くて苦しくて、飲み込めないしどかすことも出来なかったものは消えてくれたけれど、それが居なくなったあとで湧いてきたのはどうしようもない羞恥心。 勝手に震える情けない唇を噛み締めながら、じっとこちらを見つめているみっちゃんの視線から逃げないよう、目を逸らさぬよう必死に堪える。 「……んなこと言われたら、もうオレは自分に都合いい解釈しか出来ねーぞ?」 おまえもオレと同じ気持ちでいてくれてる、って思っていいんだな? その言葉に、間髪をいれずにこくんと頷いてみせる。同じ気持ち、ということはまだ信じられないし受け入れられないけれど、私の心だけならばもうずっと前から決まっている。 「ズレてるけど優しくて、努力家でウソがへたくそで、ちょっとヘンなところがあって、かっこよくて面白くてびっくり箱みたいなみっちゃんのことが、大好きです」 やっと言えた、と最後にこぼれた言葉と一緒に、ふたたびじわりじわりと上がってきていた涙が頬を伝う。こんなに泣き上戸じゃなかったはずなのに、どこにそんな水分があったのかと驚くほどに次から次へと涙が溢れてくる。 恥ずかしくて情けなくて、止めたいのに止まらない。自分がどうして泣いているのか、その理由が多すぎてハッキリと「このせいです!」と示すことができない。 どうしたらいいのかわからないうちに、喉の奥が震え出してしゃくりあげていた。鼻をすすりながら、歪む視界をなんとかしたくて手の甲で乱暴に目を拭う。私の隣に座っているみっちゃんは、目をぱちくりさせながら、ぽかんと口を開けたまま硬直してしまっている。 「あ、あの……?」 私が絞り出すように声を発したのと同時に、みっちゃんは体を真っ二つにするようにうずくまった。どうしたらいいのかわからずにいたら、彼はその背中をわなわなと震わせながら拳を作って「ふう……」と深く長く息を吐き出した。 「……ッシャア!」 突然、爆発したかのような声をあげて勢いよく立ち上がったみっちゃんは、握りしめていた両の拳を天井に向かって高々と掲げている。 今度は私がぽかんとする番で、わけもわからず隣でガッツポーズをしている背の高い彼を、首をほぼ垂直にしながら見上げていた。 「びっくりした……! どうしたの!?」 「おい! 抱きしめていいか!?」 「は、はい! どうぞ!」 その勢いに圧されるがまま、弾かれるように返事をすると、座るというよりも落ちるように再びソファーへ腰を下ろしたみっちゃんが、手を大きく広げて私の体を抱き寄せた。それは今まででいちばん強い力だったけれど、とても苦しいのに不思議と全く不快ではなかった。 彼の大声と大袈裟なガッツポーズに驚いたせいで引っ込んでいた涙が、再び私の瞳に膜を張ろうとしている。 あの時、私の部屋で衝動的にされたものとは違う、私はこのあたたかさを素直に享受していいのだ。 そう思ったら、先ほどまでよくない意味で苦しくて仕方なかった胸が、こんどは幸せのキャパシティを超えたせいでいっぱいいっぱいになっている事に気がついてしまった。 「……キス、してえ」 私に覆い被さるように抱きついていたみっちゃんの色気を伴った低い声が、指でなぞるように私の首筋を撫でたせいで、ぞくりとした何かが身体の芯を揺らす。 発された言葉に数秒思考を、それどころか心臓ごと止まっていたような錯覚を覚えていると、顔を上げた彼とばちんと視線がかち合った。 だめなわけないよ、をなんと伝えたらよいのか分からずに、おずおずと小さく頷いてみせる。 「んじゃ、遠慮なく」 私の頬と耳に伸ばされたみっちゃんの手。彼の親指と人差し指が耳の輪郭を確認するように辿るので、私の体はいやしくもわかりやすく反応を示してしまう。それが恥ずかしくてぎゅっと目を閉じた次の瞬間、唇にはふに、というやわらかい触感が重なっていた。 軽く触れては離れていく啄むようなキスが、だんだんと深くなっていく。上唇を彼の唇で挟まれた瞬間、背中を走ったぞぞぞ、という感覚に慄いてしまう。 見つめ合って、額を合わせる。その繰り返しは私の体の力を確実に奪っていく。それは間違いなくお互いをゆるした人間同士が交わし合うもので、この間のそれとは全く違う。 唇が離れて荒くなった呼吸を吐き出すたび、それごと食べられるように食まれる。身体の芯がぞわぞわし始めたのを感じながら、かわいらしかった戯れが湿気を帯びたものに変わってきた事に比例して、心臓の鼓動がどんどん早くなっていく。 「っ、は……! みっちゃ、……ん!」 唇が離れた瞬間になけなしの力で弱々しく彼の胸を押すと、そのままゆっくりと彼の唇が離れた。至近距離で見つめ合いながら、こつんと額がぶつかる。 「……正直言うと、オレぁこのままおまえのことめちゃくちゃ抱きてえ。けど、それはまだ我慢する。この勢いでしちまったら、丁寧に抱いてやれる自信ねえから」 ドキドキのしすぎてグラグラになっている頭の中に「週末からリーグが再開するし、ホームで二連戦あんだよな……」というみっちゃんの声が届く。 私の肩に手を置きながら、らしくもなくゆっくりとした口調で話すみっちゃんの意図。それはおそらく、私に伝えようとしているのが半分、もう半分はおそらく自分に言い聞かせているのだろう。 なぜって、みっちゃんの表情がものすごくギラギラしていて、加えてその瞳には欲情の色が濃く浮かび、炎のようにゆらゆらと揺れていたからだ。 「……けど、それが終わったら」 私はその数秒間、呼吸すら忘れてしまっていた。 熱っぽい視線で見つめられ、意識すら飛びそうになる。その後の言葉は、言われなくてもわかっていた。 「おまえのこと抱きしめてキスしただけですっげー胸ン中いっぱいなのに、次から次へとしょーもねえ欲が沸いてきやがる」 チッと短い舌打ちをしたみっちゃんは、眉間にシワを寄せて視線を横に流し、唇を尖らせている。そのままやけくそみたいに頭をガシガシと掻いた彼は、その視線を再びこちらに向けると「だからよ」と声を発した。 「マジで覚悟しとけ」 まだギラギラを残したまま息を吐いて立ち上がったみっちゃんは、ふるふると首を振ってから私の頭をぽんと撫でて「明日起きて、今のこと全部忘れてっとかナシだかんな!」と眉を吊り上げながら言った。 [*前] | [次#] |