5-4. (After a Hang out) 報酬諸々についてはまた後日ということになり、僕たちはホテル街で解散することになった。 駅方面に向かおうとする名前さんに「送るよ」と声を掛けると、彼女は微かに疲労をにじませた表情で「じゃあお言葉に甘えて」と笑んだ。 そこで僕はさも当然のように、そして無意識に自分の腕を差し出してしまっていた。ふと我に返り、即座にその腕を引っ込める。 既に前を向いていた名前さんがそんな僕のおかしな挙動に気づいた様子は無く、心の中で見えない冷汗をかきながら何事もなかったかの様に歩き出す。 今日一日、それも細かくいうならば昼過ぎからこの夕暮れまでのたった半日だけだったはずなのに、すっかり自分の中に沁みついてしまった彼氏役の動きに動揺してしまう。 何度か実行しなければいけないだろうと思われていたシンプルすぎる作戦が、まさかこんなにも上手くいってしまうなんて。 犯人は釣れた、無事に逮捕出来た。そして名前さんに被害が及ぶようなことも無く、僕と八神さんが実力行使に出るような状況にもならなかった。もしこの仕事にリザルトが付くとするならば、間違いなく高得点だろう。 思い出せば、らしくない発言が多々あったと思う。犯人らしき人物が釣れたという報告を八神さんから受けた時、うっかり口からこぼれてしまった「デートするのもこれっきりだね」というセリフ。しかもそのあとに「残念かも」なんて言葉まで吐いてしまう始末。そして、それが自分の口から飛び出たものだと把握するまでに時間が掛かってしまったのも事実で。 ダメだな、入り込みすぎちゃってるかも。 仕事であるという意識と、何かあればすぐ対応しなければという緊張感。待ち合わせをして落ち合うまでは確かに存在していたそれが、この作戦が始まって自分の中で主張をしなくなっていったのは果たしていつ頃だっただろうか。それを明確に思い出すことは最早不可能だ。 「名前さん」 名前を呼ぶと、隣を歩いている彼女は「はい?」とこちらに顔を向けてくれる。 「僕、ちゃんとデートっぽいことできてた?」 思わず口に出してしまったそんな問いは、すこしだけ女々しいと受け取られてしまうようなものだったかもしれない。 しかし、名前さんはゆっくりとまばたきをすると、その瞳を柔らかく細めながら「完璧すぎて困っちゃうぐらいでした」とはにかむような表情で言った。 「あんまり良くないことなんですけど、白状すると何度かドキドキしちゃったりして」 どこか照れを孕んだ表情で伝えられた彼女からの評価で、少しだけ胸の奥がむずむずとした。 うれしいという単純明快な感情と、なかなかに複雑な自分の中の面倒くさい部分が混ざり合い、この感情を果たしてどのように表現するのが正解なのかわからない。 おっとりしていて危なっかしい彼女のコロコロと変わる眩しい表情に、そのまっすぐな感情表現に、今日は何度つられてしまいそうになったんだっけ。 もう認めるしかない。端的に言えば、自分は明確に今日という日を楽しんでしまっていたのだ。 いつの間にか当然の様に組むようになっていた腕とか、東さんに遭遇して駆け出した時咄嗟に掴んだ彼女の手のひらのあたたかさとか、そんなのは現実では無いところで起きていたことだったんじゃないかと思えてきてしまう。 だってもう、今の僕たちはそんな距離感でくっつく必要など無く、そして今後も起こりえないことだからだ。 「本当にデートしてるみたいで、すごく楽しかったです」 「僕も楽しかったよ。仕事ってこと、途中からホントに忘れてた」 だからいよいよホテルに入る、って場面でふと現実に引き戻されたのだ。もちろん、あの場で「本当は入りたくないです」と拒否を示されてしまったら、それまでの作戦は水の泡になっていただろう。 それでも、彼女の素直さと純粋さに不安と、行き場のないやるせなさなんかを覚えてしまったのは事実で。 「ホテル出る時、エレベーターの中で意地悪なこと言っちゃってごめん」 そんな僕の言葉を聞いた名前さんは驚いた様に目を丸くして、それから少しの間を開けてから「実はちょっと意地悪だなって思ってました」と何故だか微かにいたずらっぽい笑みを浮かべながら言った。 「でもいいんです、杉浦さんに対する私の認識は間違ってないんだなってわかったから」 それはつまり、どういう意味なのか。 その言葉の続きを待つ意図で視線を送ると、名前さんはどこか企むような笑みを浮かべてから「秘密です」と人差し指を口元に当てた。不意を突くようなあざとい仕草に揺らいでしまいそうになったのだが、それがうっかり表に出ていなかった事を祈る。 彼女と一緒にいると、自覚したくない感情が知らず知らずのうちに大きく膨らんで顔を出そうとしてくるのがわかる。それが何に成ろうとしているのかなんとなく察しがついていても、情けないことに今の僕にはその存在を認める勇気も、心の中にその為のスペースを与えている余裕も無い。 どんな会話をしながら歩いていたのかわからないまま、駅の改札口に辿り着いてしまっていた。平日も休日も変わらず人で溢れている駅構内の、少しだけ空いていたスペースで名前さんが立ち止まる。 「そうだ、これなんですけど」 そう言って彼女が差し出してきたのは、クレーンゲームで獲得したピンク色のぬいぐるみだった。ころにゃんというタグがつけられたままのそれは、最後に彼女が落としたものに間違いない。 「ほとんど杉浦さんがとったようなものですけど、楽しく過ごさせていただいたお礼に」 「……うん、ありがとう」 両手で差し出されたぬいぐるみを受け取って小脇に抱えながら、そんなシンプルな言葉しか出てこないことに歯がゆさを感じてしまう。 今日という日が本当に有って、そして終わった証みたいだな、なんて思いながら、気の抜けるようなゆるい表情のぬいぐるみをじっと見つめる。 「それじゃあ、また。今日は本当にありがとうございました!」 ぺこりと頭を下げてから手を振る名前さんに「疲れただろうし、ゆっくり休んでね」と声をかけ、ぬいぐるみを抱えていない方の手を小さく振り返す。 人混みに紛れていく彼女の背中を見送ってから、半ば無意識に吐き出してしまったため息には、自分でも把握しきれないほど様々な感情が混ざっていたに違いない。 *** 「名前さん、駅まで送ってきたよ」 彼女を駅まで送ってから、結局八神探偵事務所に寄ってしまった僕の姿を確認した八神さんの表情に驚きが無いところを見ると、どうやら僕の行動は予想の範疇だったようだ。 「ん、改めて今日はありがとな」 いえいえ、と返事をしながら崩れるようにソファーへと腰を下ろす。小脇に抱えていた今日の戦利品、もとい四角いネコのぬいぐるみをなんとなく膝の上に乗せる。 座ったらどっと疲れが押し寄せてきた。万が一にでも名前さんに危害が加えられないようにしないととか、彼氏らしい対応ってなんだろうとか、そんな諸々でいっぱいだった脳みそはもう働くのをやめて今にもバッテリー切れを起こしそうだ。なんなら、体の方は既にスリープモードに入りかけている。 絡まれてやむを得ず戦闘になっちゃったり、窃盗団に属していた時に警察から逃げ回ったり、それはそれで疲れたなあと思うことも多かったけど、それは単に体の疲れだけだった。 今日は自分でも思っていた以上に気を張っていたらしい。はあ、とひとつ息を吐いてソファーの背に首を預けながら天井を見上げる。膝に置いたぬいぐるみに触れると、今日のあれそれが頭の中に反芻した。 「あー、なんかすっごい疲れた」 「でもおまえ、楽しそうだったじゃん」 八神さんは口元に笑みを浮かべながらトントン、と自分の耳を示している。そうだ、この人は僕と名前さんの今日のやりとりをインカムで全部聞いていたんだった。 「楽しかったよ、正直自分でも驚いてる。……あのさ八神さん」 煙草に火をつけようとしていた八神さんは「ん?」と言いながらこちらに視線を向けてくる。 「今日のこと、海藤さんに聞かれても詳細は言わないでおいてくれる?」 「……了解。ふーん、なるほどねえ」 「ちょっと、なに笑ってんの」 「別になんでもないよ」 なんでもない顔してないじゃん、という僕の言葉に八神さんは軽く笑っただけで、その後は何も言ってこなかった。茶化してこないのは助かるけど、含んだ表情されるのもそれはそれで解せないというかなんというか。 再び僕の口から深いため息が漏れるのとほぼ同時に、突然バン! と大きな音を立てながら八神探偵事務所の扉が開く。 うわ、と思わず驚いた声を出しながら振り返ると、さながらカチコミでもかけるかのような勢いで入ってきたのは東さんだった。 「おい杉浦ァ! なんだおまえさっきの態度は!」 「驚かさないでよ……僕、疲れてんだってば」 「東さあ、ウチ賃貸なんだからそういうのやめてよ。ドア壊したら弁償だから」 そんな八神さんの発言に「え、そっち?」と漏らすと、そんな言葉は聞こえていない様子の東さんが肩をいからせながらにじり寄ってきた。 そして、乱暴に開けられたドアの心配をしている八神さんに向かって「八神、おまえは知ってたのか!?」と噛みつくように言う。 「こいつ、ついこないだまでオレらに散々迷惑かけてたクセに女出来た報告もねえときた!」 「そういう人できたら報告しなきゃいけないなんて初耳なんだけど……。ていうかあれ、フェイクなんだ。八神さんの手伝いで偽のカップル演じてただけ」 そう言うと、東さんはサングラスの奥の目を何度もパチパチさせながら「なに言ってんだコイツ」みたいな表情で硬直してしまった。 「はあ!? えー、えーと……つまりどういう……どういうことだ! わかるように説明しろ!」 だからいま説明しようとしてるのに東さんが怒鳴るから、と反論すると、東さんは再び「うるせえ!」と声を張った。 助けを求めるべく八神さんにヘルプの気持ちを込めまくった視線を送ってみたが、八神さんは煙草の煙を吐き出しながら苦笑いをしてるだけ。 おかしいなあ、あとでフォローしてよねってちゃんとお願いしといた筈なんだけど。 *** 帰宅して手洗いを済ませた私は、着ていたワンピースを雑に脱ぎ捨て、そのままの勢いでベッドに飛び込んだ。買ったばかりのマットレスは私の飛び込んだ勢いなんて無かったかのように相殺してしまう。 楽しかったといっても、やはり根底にはちゃんと「仕事である」という意識も「誰かに見られている」という緊張感もしっかりとあったようだ。 自分が驚くほど疲弊していることに気づいたのは、杉浦さんと別れて自宅方面へ向かう電車に乗った時だった。 それにしても、ちゃんとカップルに見えたみたいで本当に良かったと思う。そして、杉浦さんの彼氏役っぷりは点数にするならば満点以外の何物でもなかった。 困ったように笑う優しい表情、クレーンゲームに向かっていた時に見せたちょっと子どもっぽいところ、真面目で誠実なのが如実に現れたホテルでの言葉。 今日一日で見た杉浦さんの表情や仕草なんかを思い出しながら、私は枕に顔を押し付けて深く息を吐き出した。 億劫な気持ちを押しのけてむくりと起き上がり、服と一緒に放置してしまっていた二体のぬいぐるみを取り出す。それを抱えながら、そのままベッドに仰向けになる。 やっぱり私、現金でチョロすぎる女だ。 キャミソールに下着姿というだらけきった格好でベッドに寝そべりながら、止めどなく頭の中に浮かんでくる杉浦さんの顔に「うわあああ……」と思わずうめき声のようなものをあげてしまう。 カバンの中に入れっぱなしにしていた携帯が短い通知音を鳴らしたのはそんな時だった。もぞもぞと体を動かして、寝そべったままカバンの方に手を伸ばし、指先に触れた携帯を手に取る。 メッセージアプリの通知は、八神さんからのものだった。 『名前ちゃん。今日はホント助かった、ありがとう。ゆっくり休んでね』 その文章のあとで続けて送られてきた画像を開くと、それは八神探偵事務所のソファーで目を閉じている杉浦さんの写真だった。どうやら、疲れ果てて眠ってしまっているらしい。 杉浦さん、この間もそこで寝ちゃってたけど、もしかしてあのソファーは見た目のわりに寝心地がいいのだろうか。 そんな彼の膝の上には先ほど私が手渡したピンク色のころにゃんが鎮座しており、さらに彼の手のひらが重ねられていた。 「えっ、なにこれ! かわいい……!」 部屋でひとり、思わずそんな声を出してしまっていた。口元を押さえながら取り急ぎ「お役に立ててよかったです」とだけ返信をする。写真についての感想を送るべきかほんの少し悩んだが、ちょうど良い言葉が見つからなかったので「お疲れ様でした」と頭を下げているキャラクターのスタンプを押して濁してしまった。 その写真をしっかりと保存してしまったことは、私だけの秘密である。 [*前] | [次#] |