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短編|交渉成功率を上げたいコナーの話

 普段、コナーはナマエが目覚めるのに合わせてスリープモードを解除していた。腕の中で彼女が身じろぎするのを感じとって、コナーも目を開ける。ゆっくりと覚醒する彼女を眺めるのがコナーの日課で、彼はその時間を大切にしていた。
 だがその日、コナーはナマエが起床するであろう時刻よりもかなり早くベッドから抜け出した。コナーと入れ替わるようにして毛布の中へ滑り込んだ冷気にナマエが目覚めはしないかと彼は一瞬ひやりとしたものの、彼女はまだ安らかな寝息を立てている。コナーは彼女のその柔らかな頬に優しく唇を落とし、足音を忍ばせて寝室を立ち去った。

 今日は休日で、コナーはこの一日を、彼女と共有できる全ての時間を、完全に自分のものにしたかった。仕事や家事に二人の時間を削られるつもりは微塵もなかった。
 世間は近づきつつあるクリスマスに浮き足立っていて、変異してから二度目のクリスマスを迎えるコナーもその雰囲気に惹かれていた。去年はアンドロイドたちの解放とそれに伴う混乱に、変異体として、そしてデトロイト警察の一員として対応しなければならなかったため、コナーは理解する暇も、楽しむ暇もなくクリスマスを迎え、よく分からないままハンクの家で、家主であるハンクと、それを企画したナマエと共にクリスマスの夜を過ごしたのだった。しかし今年はデトロイト警察署にも人手が増え、コナーにも風景が徐々にクリスマス仕様に移り変わっていく様を楽しむ余裕ができた。特に街がライトやイルミネーションで彩られ、店先からクリスマスソングが流れ聞こえてくるのを眺めるのが彼は好きだった。
 そして今日、コナーはそれをナマエと楽しみたいのだった。
 だが、クリスマス休暇真っ只中のデトロイトはどこも人に溢れていて、人混みが苦手なナマエは外出を嫌がっていた。このまま何もせずにいれば、ナマエは溜まった仕事や家事を言い訳にして一歩も外へ出ないであろうことは火を見るよりも明らかだった。だから彼は先んじて今日の外出を妨げるものを排除していくつもりなのだった。

 昨晩のうちに報告書の提出は済ませ、溜まっていた仕事は全て片付けた。彼女の嫌いな水回りの掃除もした。この時点での交渉成功率は30%、依然として低い数字だが、何もしなければ0だったことを思えば、なかなかの数字だ。ナマエの起きてくる物音を聞き取ったコナーは意気込んで朝食づくりへと取りかかった。
「おはよ、コナー」
 顔を洗ったにも関わらず未だ眠たげなナマエは、もしもコナーがベッドに残っていれば、そのまま二度寝を決め込んでいただろう。
「おはようございます、ナマエ」
 サニーサイドエッグの乗ったフライパンを片手にそう言えば、ナマエはぱっと目を輝かせてそれとダイニングテーブルを交互に見つめる。テーブルの上には暖かな湯気を立てるコーヒーカップと、几帳面に端までしっかりとジャムの塗られたトーストが置かれている。うわー!という彼女の歓声に、コナーは思わず頬を緩ませた。
「朝ご飯作ってくれたの?すごい嬉しい!」
 成功確率が45%に跳ね上がる。コナーがトーストの横に卵を乗せると、既に席に着いていたナマエはその首に片腕を回して頬に軽いキスを送った。彼女からこういったコミュニケーションを図るのは珍しいことだ。ふと魔が差して、コナーは今日の計画をインドアなものへ変更しようかと考えるが、そちらの交渉を持ちかける方がよっぽど困難なことを思い、その誘惑を振り切った。
「コーヒーから飲んではだめですよ。胃が荒れますからね」
 コナーの忠告に、はあいとナマエは大人しく従って、コーヒーに伸ばしかけていた手をトーストに向ける。その機嫌の良さげな様子にコナーはそれとなく外出を仄めかしてみた。
「外はよく晴れていますよ。昨日の雪が嘘のようです」
 その言葉に釣られて、ナマエも晴天の広がる窓の外へ視線を移すが、コナーの受け取った返事は芳しくないものだった。
「こういう日は外に出る人が増えちゃうねえ」
 成功率が微減する。しかし諦めるにはまだまだ早い。
「水回りの掃除は済ませておきました」
 さらりと事もなげにそう伝えてみれば、ナマエは驚きに目を白黒とさせる。
「お皿も洗っておきますので、その間に着替えることをおすすめします」
「なーんか今日、すごく私に甘くない?どしたの?」
 彼女の質問に、つい、デートの誘い文句が口から出そうになるが、未だ50%から上がらない成功率に、コナーはぐっとその口を噤んだ。
「いえ、別に何も。何も企んでなんかいませんよ」
「あーやーしーいー」
 多分、LEDは黄色くなっているのだろうとコナーは自分のこめかみを意識した。彼は変異体になってから、彼女の前では嘘が付けなくなった。心の動揺がどうしてもLEDに反映されてしまうのだ。だが、目前でカップを傾けながらニヤニヤと笑っている彼女のその面白そうな顔を見ると、つい、コミュニケーションツールの一つとして、まだLEDは付けたままにしておこうかと思ってしまうのだった。

「今日はなに着ようかな」
 コーヒーを飲み干したナマエがそう呟くのを聞き取って、ここで部屋着を選ばせてはまずいとコナーはすでに外気温から判断して用意しておいた洋服一式を彼女に手渡す。それを受け取りつつも、なんかごつくないとこぼす彼女は、今日は完全に家の中で過ごす心づもりだったらしい。慌ててそれを着させる口実を考えるコナーだったが、でもせっかくコナーが選んでくれたんだし、と彼女は着替えるためにリビングを出て行く。これで最初の難関は突破したと、コナーは胸のうちで安堵のため息をついた。

「コナーもしかして今日外出したい人?」
「ええ。その……」
 厚手のセーターに身を包んだナマエの言葉に、うっかり、いつものように答えてしまう。しかし彼女の顔に少し嫌そうな影が差すのを見て、コナーは急いで数ある理由のうち1つを付け加えた。
「以前あなたがくれたコートを着たいと思いまして」
 一転して、ナマエの表情は明るいものへと変わる。外出について切り出すのはまだ早かったかと内心冷や汗をかいていたコナーは、好意的な彼女の反応に胸をなで下ろし、衣服についての話題はつかえそうだと判断する。コナーは重ねて彼女のブーツを話題に上げた。
「その服はあなたがお気に入りのブーツに合わせて選んでみたんですよ。どうですか?」
「コナーってセンスいいよね」
 という返事は、玄関に置かれた姿見の前から聞こえた。ファッション雑誌をいくつもダウンロードし、分析に勤しんだコナーの努力は報われたようだ。だが、靴箱が開く音がし、でも、と彼女が発して、コナーはぎくりと身を固めた。
「このブーツお気に入りだから、こういう道が荒れてそうな日にはなあ……」
 先ほど一気に跳ね上がった成功率が徐々に下り坂になっていく。焦ったコナーは続けて最近買った手袋を話題に出した。
「先日買った手袋はどうしたんです?可愛いと褒めていましたよね?」
「あれは最高に可愛いけど、防寒が最悪」
 ナマエの姿は見えないが、どんな表情で言っているのかは、そのイントネーションを聞くだけで手に取るように分かる。コナーは成功率がガクッと下がるのを感じながら次の一手を必死に考えた。いつの間にか捜査モードに入っていたらしく、視界の片隅に制限時間が表示される。これはプログラムが勝手にはじき出した、彼女が外出しないという決断を下すまでのカウントダウンだ。その赤くちらつく数字はどんどんゼロへ近づいていく。色々と策を講じたはずが、どこで間違えたのか、今選べる選択肢はたった一つだけだ。ええい、どうにでもなれとコナーは唯一残されたその選択を全力で選んだ。
「それなら、手を繋ぎましょう!ずっと!家を出てから帰るまでずっとです!」
 自分は大声で何を言っているのだろうかと、コナーは思った。ソフトウェアが大量の異常を感知している。靴箱を閉める音が聞こえ、ナマエが玄関から戻って来た。
 ああ、こんなずさんな説得ではきっと彼女も納得していないだろうと、恐る恐る交渉成功率を確認したコナーは意外な数字に目を見張った。100%。彼女の横に示されている青い数字は確かに100%と、そう彼に伝えていた。
「それで……コナーは私があげたコートを着て、私と手を繋いで出かけたいってわけ」
「……そうです。あなたさえ、よければ、なんですが」
 未だ数字を信じ切れていないコナーが戸惑いながらもそう返すと、ナマエは可笑しそうに、しかしとても嬉しそうに、声を上げて笑った。
「デートしたいなら、最初っから言ってくれればよかったのに。こんな回りくどいことしなくても、デートならいつでも大歓迎」
 コナーは人間のように、ぽかんと口を開け、間の抜けた表情を浮かべることはない。ハンク曰く、そんなことをしなくてもお前の顔はもう十分間抜け面だよ、とのことだが、実際は彼女の前では常に格好を付けていたいからだった。だから今回も、挙動は不自然にビクついてしまったが、表情の方はいつものように曖昧に微笑んでいるかのような唇の形を保ったまま、少しだけ眉を跳ね上げて見せただけだった。
 だが、ナマエはコナーの動揺する心の中までもを見透かしているかのように、依然として面白がるような笑みを浮かべたままで。
「あなたのこういうところが大好き」
 そう言ってナマエはコナーのこめかみにリップ音を立ててキスをする。そしてもちろん彼女は立ち去りぎわ、「私のために色々やってくれて嬉しかった」と付け加えることを忘れない。
「準備してくるから、洗濯機回しといて」
「もちろん、掃除機もかけておきますよ」
 ナマエの気持ちは全く予測不能だ。ビッグデータから弾き出した統計も、彼女の前では役に立たない。何が正解で、何なら彼女の気を惹けるのか、どうすれば彼女は喜ぶのか、未だに分からないことばかりだ。自身のアプローチ下手を棚に上げ、コナーはそんなことを思う。でも彼女のそういうところが好きなのだ。彼女が何を言い、どういう反応を見せるのか、それらを予測することは楽しく、実際の彼女が全くその通りにならないのもまた、楽しい。

 ちらと玄関へ目をやれば、コナーの靴の横には、彼女のお気に入りのブーツが彼女自身の手によって並べられていた。


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