「じゃあ、準備してくるわ。出るときに声をかけるから、返事をしてね? 父様」
振り返って父に声をかける。
「あ、そうそう。本に夢中になってたら、怒るからね」
「ああ、わかっているよ。私の愛しい娘、リーシェ」
「もうっ! 恥ずかしいからそんなこと平然と言わないで!!」
少し目線をずらして、頬を赤らめた。
「愛しい娘」なんて言われたのはいついらいだろうか。
随分と昔だった気がする。
リーシェは「ありがとう」と小さく声にだして、書庫を後にした。
長い間は言っていなかった自室へと向かう。
きっと埃だらけになっているだろう。
「掃除は、次帰ってきたときで良いかな」
そんな風に考える自分は、歴とした父の娘なのだと改めて思った。
「それじゃあ、行ってきます。父様」
「楽しんでおいで」
本日何度目かの同じ言葉をリーシェに父は言った。
戻った自室は、思っていたよりも綺麗で、掃除した後がはっきりと残っていた。
(父様、本当にありがとう。楽しんでくるわ)
誇り一つない部屋。これで掃除道具がなければ完璧なのだけれど、気を抜いたのか、それとも天然故か、箒と塵取が部屋の隅に置いたままだった。
だらしなくて、ダメダメだけど、優しい父。リーシェは大好きだった。
思ったよりも少なかった手荷物を持って、屋敷をあとにする。暫く歩いて振り返ると、父はまだ手を振っていてくれた。
今リーシェが纏っている服は、中の下の布質のワンピースドレスだった。色は薄青色。
これでも精一杯の背伸びだった。
いつも着ているのは下の下。継ぎ接ぎだらけのワンピースだ。姉たちから、「これを着なさい」「あれを着なさい」と色々くれるけれど、勿体ないから姪にあげてと言って受け取らなかった。
仕事を紹介してくれただけでも嬉しいのに、そこまで迷惑をかけれないと思ったからだ。
「よし! まずは、相乗りさせてくれそうな荷馬車を探さなくちゃ」
王都に着くまで余計なお金は使えない。
町を出て、暫く行くと牧場があったはず。そこなら、都会へ商品の納品のために荷馬車がいつも通っている。うきうきと心が弾むのをなんとか抑えて、足早に向かった。
道中、「おやまあ、久しぶりねぇ」と町の人に話しかけられたり、「大変だろうけど、頑張るんだよ」と林檎をもらった。父は愛されているのだと思う。
母が亡くなり、落ちぶれていった家を知っている領民の人たちは、自分たちも大変だと言うのに、色々なものをくれた。家で作った煮物だとか、今朝取れたばかりの魚だとか、本当にたくさん。
牧場付近にたどり着くと、リーシェは「ふう」と息を吐いた。
随分と歩いたものだ。
牧場は小高い丘にあって、は以後を振り返ると眼下に広がる町並み。
「さて、と。もう少し頑張ろうかな」
両手で頬を叩いて気合を入れる。
王都はまだまだ先。荷馬車を捕まえないと。
「あれ? リーシェ様じゃないか。こんなところになにか用かね?」
声をかけられて振り返ってみると、そこには良く知った姿があった。
「ゲンお爺ちゃん!」
白くなった髪、長い髭。この牧場を経営している老人だった。
荷馬車の運転席に座っている。
「ねえ、お爺ちゃん! これからもしかして、王都に向かうところ?」
「ああ、そうじゃよ」
「やったぁー! ねえ、あたしを乗せてってくれないかな」
荷物をドスン、と地面に落としたことにすら気付かず、ぴょんぴょんと跳ねる。
それから荷馬車に近付くと老人の手を握った。
「お願い」と上目遣いで見る。
「うむ、そうじゃのう」
老人は迷っているように見えた。
(もう一声でいけそう)
リーシェは顔を上げると、キラキラと輝いた瞳でもう一度「お願い」と頼んだ。
「しょうがない。良いじゃろう。荷物はそれだけかね?」
「うん、そ―――……。あ――っ!! り、林檎が」
老人の目線を追って、持ってきていた荷物を見てリーシェは悲鳴を上げた。
不自然な形に歪んだ荷物。
道中にもらった荷物は無事なのだろうか。
慌てて荷物に手を伸ばし、中を見る。
(良かった――)
ほっと胸を撫で下ろし、林檎を取りだす。
上から横から林檎を見て、どこも潰れていないことを確認する。
「はっはっは、相変わらず面白いのう。ほれ、さっさと乗りなさい」
老人は、高らかに笑うと、乗るように促した。
「はーい」と返事をして、リーシェはいそいそと荷馬車に乗り込む。
「それじゃあ、行くとするかのう」