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★ ☆ ★




「晶太お兄さん。ボク、江戸川コナン。よろしくね?」
「ぁ…は、じめまして…」

俺を見下ろしたお兄さんは、恥ずかしそうに前髪を抑えると、直ぐに目を逸らしてしまった。

場所はポアロ前。
安室さんに頼まれてお兄さんと待ち合わせした俺は、はぐれないようにと控えめに繋がれた手を見てからもう一度お兄さんを見上げる。
記憶喪失だと聞いた時はなんの冗談かと思った。
けれど、不安そうに辺りを見渡すお兄さんはなんだか前よりさらに小さく見えて、記憶が無いというのが嘘ではないことを教えてくれた。

「お兄さん。何か思い出せる?」
「え、と…ごめん…」
「…そっか。ゆっくりでいいから頑張ろうね!」

ポアロの中に入って席に座る間、お兄さんは初めて来たかのように周りをキョロキョロと見回していた。
あんなに毎日来ていたのだから何か思い出せるかもしれないと思ったのだけれど、そう簡単にはいかないようだ。

お兄さんは最近のことを本当に全部忘れてしまっているようで、鏡を見た彼は前髪が短くなっていることにも物凄く驚いていたらしい。
話しながら寂しそうに苦笑する安室さんの顔を思い出した。
過度のストレスが原因らしいけれど、それ以上はわからないそうだ。

「ぁ、の…ご、めんね…」
「え?」
「俺、なんにも…分、からなくて…」
「そんなに焦らなくても、ゆっくりでいいんだよ?」

不安そうな声に反射的に顔を上げると、お兄さんはずっと黙って考え込んでいた俺の顔色を伺っていた。
初めて会う人に向けられる、不安そうな瞳。
悪気がないと分かっているけれど、胸が痛くなった。
俺ですらこんな気分になるのに。
安室さんは、一体どんな気持ちで彼に向き合ったのだろうか。

「で、も俺、外…ほとんど出ない…から、」
「お兄さん?」
「だから…早く、帰りたい…こ、わい…」

目を合わせずに漏らした本音。
お兄さんは中に入ってからずっと居心地が悪そうに体を縮めながら、周りからの視線を気にしている。
それが何だか痛々しくて、彼の気を紛らわせようとメニューを差し出した。

「せっかく来たんだし、何か食べよう?」
「あ…んまり…いらない…」
「でも、ちょっとでも食べないとダメだよ」
「食べたく…ない」

消え入りそうな声で拒否するお兄さんの体は、なんだか前より痩せたように見える。
この調子では安室さんの言うことも聞かずにあまり食事も取っていないのだろう。
ポアロでの食事も取らないとなったら正直お手上げなのだけれど。

「あんまり、安室さんのこと困らせないであげてね」
「っ、…!」
「お兄さん?」

思わず漏れてしまった俺の言葉を聞いたお兄さんは勢いよく顔を上げてこちらを向いたあと、直ぐに目を逸らした。
そして、何度か口を開け閉めしてから何も言わずに俯く。
しばらくしてからその濃紺の瞳にじわじわと涙が浮かぶのを見て思わずギクリと心臓が音を立てた。

「お、お兄さん…!?」
「ご、め…俺、迷惑、ばっかりで、…頑張れなくて…」
「へっ…!?」
「約束も、守れなくて…こ、のままじゃ…ダメだって…わかって…」

しまった。
安室さんの名前を出せばやる気になってくれるかと思ったのだけれど、どうやら逆効果だったようだ。
突然記憶を失ったことで知らない環境に置かれて、ずっと限界だったのかもしれない。
余計な事を言ってしまった。
大きなその瞳に溜めきれなかった涙が止めどなく流れては、重力に従って落ちていく。

「あの、お兄さんごめんね。ボク、言い過ぎちゃった」
「っ違…俺が…」
「安室さんもボクも、お兄さんのこと迷惑だなんて思ってないよ」
「っ…でも!」

お兄さんは俺の言葉を振り払うように、少しだけ大きな声を出した。
それから、自分の行動を後悔したのか固く口を噤んで下を向く。
そういえば、会ったばかりのお兄さんもこんな風にいつも何かに怖がっていた。
なんだか懐かしくなって、不安そうなお兄さんに笑いかけた。

「お兄さんだって、ずっと一緒にいてくれる安室さんのこと迷惑だなんて思わないでしょ?」
「ぇ…あ…うん、嬉し…けど…」
「ね?安室さんだって、迷惑なんかじゃないよ」
「でも俺、…あの…ち、が…、…ぁ、」

何かを打ち明けようとしたお兄さんは、俺の後ろを見たまま固まった。
振り返ってその視線を追った先に見えたのは、忙しなく働く安室さんの姿。
それを焼き付けるように見たお兄さんは、しばらくすると眩しそうに目を細めてから眉を下げて、ゆっくりと視線を下ろした。

「…っ、」
「…お兄さん?」
「やっぱり…なんでも、ない…」

小さく呟きながら伏せられたまつ毛が彼の顔に影を落とす。
なんでもないとは到底思えない表情のお兄さんは、誤魔化すように手渡したメニューを開いた。
一体何を言おうとしたのだろうか。
じわじわと自分の中の探究心か膨らんでいって、抑えられなくなった。

「ねえ、晶太お兄さん?」
「…え?」
「何か悩みがあるの?僕にだけ内緒で教えてくれないかな?」

俺は子供特有の笑顔を彼に向けると、内緒話をしようと自分の耳に手を当てる。
お兄さんは涙が溜まったままの瞳で瞬きを繰り返した後、おずおずと口に手を当ててこちらに近づいてきた。
子供になら話してもいいと思ったのだろうか。
限界まで近寄ったお兄さんの口が開いて、何かを言おうとした、その時。
ストップと言わんばかりに俺たちに声がかけられた。

「2人で内緒話ですか?」
「え、ぁ…」
「安室さん…」

狙ったようなタイミングで現れた安室さんは、俺の注文したオレンジジュースをテーブルの真ん中に置いた。
大人気ない人だ。
安室さんは慌てて離れた俺たちに向かって目を細めてにっこりと微笑むと、お兄さんの顔をのぞき込む。
対するお兄さんは、目を丸くして固まってしまっていた。
それを気にすることなく、お兄さんの目に溜まったままの涙を親指で拭った安室さんは、その頭を優しく撫でた。
それからお兄さんが開いたまま持て余していたメニュー表を見て、嬉しそうに笑う。

「何か注文してくれるんですか?」
「え…?」
「ハムサンド、僕が作ってるので良かったら食べてくださいね」
「ぇ、あ…」
「安室さん!こっちお願いします!」
「わかりました!…それじゃ、僕は行きますね」

安室さんは梓さんに呼ばれると、返事をしながら足早にいなくなった。
嵐のような人だ。
お兄さんは撫でられた頭を手で触りながら、遠くなる背中を眺める。
それからゆっくりと俺に視線を移して口を開いた。

「あ、安室さん、笑ってた…」
「…?そうだね」
「あのね…言おうとした事…」
「え?」
「最近、安室さん笑って、くれなくて…つらそう、だったから…、でも、笑ってたから…良かった…」

良かった。と言う割には思い詰めた様子のお兄さんは俯いたまま机に広げられたメニューをぼんやり眺める。
彼の指がハムサンドの文字をなぞるのを眺めながら、俺は目の前のオレンジジュースを口に含むと、どうしようもなく手のかかる2人に溜息をついたのだ。


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