×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

★ ☆ ★




進んでも進んでも薄暗い通路が無限に続いていく。
順路に沿って足を進めると、照明の抑えられた水槽の中で見たことも無い魚達が泳いでいた。
同じような大きさの水槽が一定の間隔で並ぶ展示室は徐々に俺の感覚を鈍らせていった。
止まってしまったら抜け出せなくなってしまいそうで必死になって足を動かし続ける。
安室さんはどこにいるのだろう。
いつの間にか周りには人がいなくなっていて、こちらを見るたくさんの目からは開放されていた。
代わりに付きまとうのは孤独と不安。

「安室さん…」

今は怖いくらいに人がいないけれど、餌やりのショーが終わったらここだって時期に人が沢山集まってくる。
そうなったらまた居場所がなくなってしまう。
安室さんと一緒じゃないと人混みになんて居られない。
安室さんはどこ?…ここは、どこ?
段々自身がなくなってきた俺は、動かしていた足をやっと止めた。

「あれ…?」

気が付くと少し開けた空間にいた。
クラゲの展示をやっているらしい。
色々な大きさの水槽の中で、様々な種類のクラゲが浮いたり沈んだりを繰り返していた。
半透明の体がふわふわと揺れるその姿が綺麗で、俺は自分の状況も忘れてゆっくりと水槽に近づいていく。
クラゲたちは照明の色によって自らの体の色も変えていった。
不思議。妖精みたいだ。

「森山くん…?」
「え、あ…」
「こんなところで、どうしたんですか?」

誘われるまま歩いていく途中で後ろから声をかけられて、一気に夢から覚めたような気分になった。
慌てて振り返った先で、眼鏡をかけた優しそうな男の人が不思議そうに俺を見下ろしていた。
薄い茶髪が空調に当たって揺れる。
相手から距離を取ろうと後ろに下がると、背中が冷たい水槽に触れた。

「あ、あ…」

その人の目は真っ直ぐこちらを見つめていた。
恐怖でうまく声が出せない。
知らない人だ。でも彼は俺の名前を知っている。
赤井さんと同じで俺が忘れているだけかもしれない。
けれど記憶が無い以上、本当に知っている人なのかわからない。
体の震えを抑えようと必死に胸の前で手を握った。

「安室さんは一緒じゃないんですか?」
「…っ!安室さん…は…いなくなっちゃって…」

安室さんの名前も知っているのなら知り合いに違いない。
そう思って少し警戒を解いた俺は彼に数歩近づいた。
暗いし静かで、周りから人が消えてしまったみたいで心細かった。
そんな俺を見た名前も知らない彼はずっと黙っていた口元を少しだけ緩める。
それから周りを何度か確認して俺に向き直った。

「1人じゃ危ないですよ。彼にそう言われませんでしたか?」
「え、と…安室さん、電話してて…人、いっぱいで…怖くて…」
「…そうですか。じゃあ、一緒に戻りましょう」
「…ぇ、あ…」

彼の大きな手がこちらに差し出された。完全に子供扱いだ。
もうすぐ成人する男が、一人でいて危ないことなんてことあるはずがない。
迷子だしちゃんと喋れないし、子供だと思われて当たり前なのだけれど少しだけ悔しくなった。

「森山くん?」

俺が悔しがる間もその手はこちらに差し出され続けた。
彼の顔を確認してから瞬きを数回。
それから、恐る恐る彼の手に自分の手を近づける。
震える指先が触れた瞬間、そこから彼の体温が伝わってきて驚いて手を引っ込めた。

「あっ…」
「どうしました?」
「えと…俺…」
「行かないのですか?」

彷徨わせた視線の先で、深海魚の不気味な瞳が水槽越しにこちらを見つめていた。
知らない人に触るのが怖い。伝わってくる体温が嫌だ。
でも、動かなければずっとこのままだ。
それに他に頼る人もいない。
彼の方を盗み見ると不思議そうに首を傾げながらずっと俺の事を待っていてくれているようだった。

「あの…ちょっと…まって、ください…」
「…?はい。ゆっくりでいいですよ」
「うぅ…」

差し出されたままの手に触れようと重く感じる手を何とか持ち上げた。
さっきは驚いて分からなかったけれど、彼はどうやら想像よりも体温が低いらしく近づけていってもあまり温かさを感じなかった。
眉一つ動かさずに待っていてくれている彼の髪の毛が相変わらず空調の風で揺れ続けた。
ふわふわ、ゆらゆら、自由に動く。

「くらげ…」
「…はい?」

彼の髪の毛はまるでクラゲのように泳いでいた。
突拍子もない俺の言葉に困惑する彼に手を近づける。
視線がクラゲに向いた隙に、やっとの思いで差し出された手に自分の手を重ねた。
初めは指先から、徐々に触れ合う面積を増やしていく。
人肌の感触を体に慣れさせたところで弱々しく手を握った。
もたもたしている間もずっと動かずに待っていてくれている彼は、やっぱり知り合いで間違いなさそうだ。

「大丈夫そうですか?」
「うん…大丈夫…」
「良かったです」

その手は俺の手よりもずっと大きくて硬かった。
何をやっている人なのだろう。
こんなに優しそうなのに、なんだかちょっと強そうだ。

「あの…安室さん…どこにいるか、知ってる…ですか?」
「んー、知りません」
「えっ…?でも、今…」
「だから、一緒に探しに行きましょう」

そう言うと彼は俺の手を優しく握り返して、順路とは反対に歩き始めた。
大きな彼の手に引かれるまま足を動かす。
水槽に閉じこめられた魚が俺達を見ていたけれど、もう心細さは感じなかった。
低めの体温から彼の不器用な優しさが伝わってくるようだった。

「あの…実は…俺、記憶が…なくて…」
「ホー、そうなんですか?じゃあ僕のことも?」
「あ、ごめんなさい…騙した、とかじゃ…」
「沖矢昴です」
「あ…森山晶太…です」
「知ってますよ」

彼が笑いながら名前を教えてくれた。
どうやら怒っていないみたいで、眼鏡の奥の優しそうな目元が緩む。
瞳は見えないけれど、きっと素敵な色をしているんだろうと勝手に想像を膨らませる。
初めて会った気がしないのは何故だろうか。
彼とは何処かで会ったことがある気がする。
こんなに無条件に信頼したら、また安室さんに怒られてしまうかな。

「沖矢さん…」
「昴でいいですよ」
「なんだか、すばるさんとは…何処かで会った気がします」
「…、そう…ですか」
「安室さん…いない、ですね」

あんなに綺麗な髪の色の人はなかなかいないし、目立つはずなのに。
安室さんが幻みたいに消えてしまったのが怖かった。
本当は全部俺の都合の良い妄想だったのではないかと思って。
繋いでいる手に力を込めると、昴さんが不思議そうにこちらを見た。
順路から逆に進んでいくと徐々に照明の色が明るくなっていく。
やがて天井も高くなって吹き抜けの青い海に帰ってきた時、彼の髪の毛はもう泳ぐことをやめていた。


何度でも塗り重ねて 

▲前 / ▼次