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★ ☆ ★




水族館は休日ということもあってかそれなりに賑わっていた。
入場の時に千切って渡されたチケットを宝物のように財布にしまい込む。
空調の効いた少し薄暗い通路はお客さんでいっぱいで、家族連れやカップルが楽しそうに笑いながら、魚が自由に泳ぐ水槽を物珍しそうに眺めている。
それを真似するように俺たちも立ち止まっては水槽を覗き込んでいった。

「ちゃんとついて来てくださいね」

姿勢の良い彼の広い背中が周りの人にぶつからないようにと俺を先導してくれる。
沢山の人の中ではぐれないように。なんて尤もらしい理由をつけて、俺は安室さんのその背中をぼうっと眺めた。
格好良い。
溜め込んだ感情を出し切るようにバレないように小さく息を吐くと、不意に彼がこちらを振り返った。

「晶太くん」
「な、んですか?」
「大丈夫ですか?人酔いとかしてない?」
「あ、…大丈夫。楽しい、です」

ほとんど魚を見ていなかったのがバレてしまったかと思った。
咄嗟に返した俺の言葉を聞いた彼はいつもより暗い紺碧を細めて嬉しそうに微笑んだ。
宝石のようなそれが水槽の照明を取り込んで暗闇の中でも煌めく。
夢でも見ているみたいだ。まさか一緒に出掛けられるなんて。
順番に魚を指差しながら説明書きを読む彼の横顔を焼き付けるように眺める。
薄暗いはずの展示室で彼だけが眩しいほどに輝いて見えた。

「あ。晶太くん、笑った」
「…え?」
「どの魚がお気に召しました?」
「あ、え、…えっと…」

彼の言葉にはっと我に返る。
気が付くとずっと水槽を見ていたはずの安室さんがこちらを嬉しそうに眺めていた。
慌てて水槽に目を向けながら魚を指で示していく。
隣から小さく笑う声が聞こえてきて、じわじわと顔に熱が集まった。
変な奴だと思われただろうか。
どんな顔をしているのか見てみたいけれど、こちらの顔を見られてしまわないように、目の前のガラスの壁を見つめ続けた。

「安室さん」
「…ん?」
「…あ、りがと…しあわせです…」

歩きながら小さく呟いたその声は周りの人たちの声に掻き消されてしまった。
安室さんは不思議そうに俺を見た後、頭を優しく撫でつけた。
知れば知るほど、自分には勿体ない人だ。
一緒に思い出を作ることができた。
それだけで胸がいっぱいになって、なんだか少しだけ泣いてしまいそうになった。
こんなに素敵な彼なら、いつ俺から離れていってしまってもおかしくはないのだから。

「わあ…!」

歩いていくと狭かった通路から、突然ひらけた場所に出た。
そこには一際大きな水槽が吹き抜けの天井まで広がっていて、大きな魚から小さな魚まで、数え切れない程沢山の魚達が本物の海の中のように悠然と泳いでいた。
まるで海をそのまま切り取ってしまったかのよう。
順路通りに歩いて来た他の人達と同じように近くで見ようと俺は慌てて一歩を踏み出した。
魚は逃げないと分かっていても、この時間を無駄にしてはいけないような気がしたのだ。

「あ、ちょっと!晶太くん!?」
「安室さんも…!はやく!」

安室さんの慌てたような声を背中に受けながら水槽に近づいて中を覗き込むと、天井まで広がる海は俺たちの足元のさらに下まで広がっていた。
手を伸ばして分厚いガラスに指先だけ触れるとひんやりとした感触が伝わってくる。
魚達は自分たちが捕えられているなんて、夢にも思っていないのだろう。
人間達が見ている目の前でいつも通りに泳いでみせた。
本当に吸い込まれてしまいそうな、一面の青色。
群れを作って泳ぐ小さな魚も、孤高な大きな魚も、岩の上でたゆたう海藻だって、ここでは全てがただ一色に支配されていた。

「綺麗…」
「そうですね」

遅れて隣にやって来た安室さんを見上げるとやっぱり彼も青色に染まっていた。
見惚れるように細められた瞳が広大な海を眺め続ける。
のんびりと優雅に泳ぐ魚たちを見つめながら、本物の彼は俺の想像の中の彼よりもずっと綺麗に笑って見せた。
無防備なその手を握ることができたらどんなに幸せだろうか。
俺がその姿をぼうっと見つめていると、前を向いたままの彼が小さく俺の名前を呼んだ。

「晶太くん?」
「あ、えと…」
「大丈夫ですか?無理してない?」

体調が悪いと思われたのだろうか。
少し心配そうに俺の名前を呼び直すと、恐る恐るといった様子で頬に触れた。
冷たくなった頬から感じる彼の体温がゆっくりと染み込んでいく。
確かにいつもの自分とは思えないくらいはしゃいでしまっているけれど、疲れを感じている暇もないくらい幸せだった。
それを伝えようと口を開いたその時、彼の携帯が震えて着信を伝えた。

「おっと…」
「電話…ですか?俺、ここにいる…から…」
「本当にすみません…」

携帯の画面を見た安室さんは少し眉を寄せた後、こちらに申し訳なさそうに謝った。
それから、水槽から少し離れた場所に立っている大きな柱に背中を預けて携帯を耳に当てる。
お仕事の電話だろうか。
睫毛を伏せた真面目な顔の彼がなんだか新鮮で目が離せない。
しばらく見ているとふと視線が絡み合って、真剣な顔から一転、ふんわりとこちらに微笑んだ。
電話の相手と話しながらこちらに笑う仕草がまるで恋人のようで、その考えが恥ずかしくなった俺は慌てて彼から視線を逸らして目の前の海に集中することにした。
子供みたいにその場にしゃがみ込んだ俺は夢中になって煌めく青い世界を記憶に焼付けた。


「あ、れ…?」

気が付くと、周りは人で溢れ返っていた。
俺と同じように水槽に張り付いて中を見る子供達と、少し遠くからそれを眺める両親。
それから隣同士で立っている恋人たち。
どうやらこれからこの水槽で飼育員の人が魚たちにエサを与えるショーをやるようだ。
それを見ようと集まった人たちに、自分はいつの間にか囲まれてしまっていた。
まさかこんなになるまで気が付かないなんて。
慌てて後ろを向いたけれど、人混みのせいで安室さんのいる柱はこちらから確認できない。

「ぁ…ぁ、え…?」

心臓が煩く波打って周りの音が聞こえなくなった。
急に時間が進んでしまったみたいだった。
自分の置かれた状況についていくことができない。
頭の奥が痺れて思考がうまく回らなくなる。
急いで立ち上がって視線を滑らせていくと、ちょうどこちらに歩いてくる安室さんの姿が見えた。
随分長い要件だったらしい。
携帯をポケットにしまい込む彼の視線はこちらを向いていなかったけれど、硬直させていた体から一気に力が抜けた。
良かった。ここは現実だ。
ほっと胸を撫で下ろしてから、彼の方に歩み寄った。

「ぁ、むろさ…わっ!?」

けれど鈍臭い俺が人混みの中1人でうまく動くことができるはずもなく、団体のお客さんにのまれて体のバランスが崩れた。
俺の声に反応したのか彼の瞳と一瞬だけ目が合った気がしたのは都合の良い思い違いかもしれない。
何故なら慌てて体勢を立て直してから顔を上げた時には、さっきまでいたはずの場所から彼の姿が消えて無くなってしまっていたから。

「え…?あれ…?」

安室さんから絶対に離れない。
その約束が頭の中を埋め尽くすように何度も反響する。
ついさっきまでそこに居たはずなのに。
首を動かして必死に周りを見渡したけれど、彼の姿を確認することが出来なかった。
代わりに知らない人達に囲まれた自分の現状に気が付いてしまった。
水槽の前にいるせいだろうか、沢山の顔と目がこちらを向いているような気がして全身から一気に血の気が引いていった。
こんなに人の多い場所で、いつの間にかひとりぼっち。

「ぁ…むろさ…」

彼の名前を呼ぼうにも、こんな場所で大きな声を出す勇気はない。
まるでかかっていた魔法がとけていくかのように、自分の性格を思い出した。
知らない人達が怖い。心細い。
今まで感じなかったはずのその感情達が体の中で少しずつ膨れ上がっていく。
何も考えられなくなった俺はとにかくたくさんの目から逃げようと、夢中になって地面を蹴って人の居ない方向に走り出した。
目の前に広がるのは、真っ暗な狭い通路。


それはどこに繋がるのか 

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