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★ ☆ ★




流れ続けるシャワーが外側から体を温めていく。
勢いよく足元を流れていく水の動きを俯きながらただずっと眺めていた。
浴室内に反響するシャワーの音だけが心臓のうるさい音を消してくれる。

「俺…なんで、あんなこと…」

シャワーで立ち上る湯気が目の前の鏡を曇らせていく。
小さく呟くと、壁に体を預けてそのまましゃがみ込んだ。
目を開けていられなくて目を瞑るその間も、水滴は容赦なく髪や体にぶつかり続ける。
休日だから何でもしたいことを言ってくれと彼に言われたのがつい先程。
暗くて惨めな俺の希望は彼には言えないようなものばかりで、なかなか口に出すことができなかった。
一緒に居ることができるのなら俺にとっては全部幸せなのに。

「水族館、行きたいなんて…言、わなきゃ良かった…」

悩む俺のことを見ながら楽しそうに笑う彼があまりにも綺麗で、無意識に口から出たのがデートの誘いだった。
海が似合いそうだったから。
吸い込まれそうな程の青色に囲まれて、色とりどりの魚が泳ぐ水槽の前で楽しそうに笑う彼を見てみたかったから。
けれど希望を聞いた彼の驚いた顔を見てすぐに現実に引き戻された。
居ても立っても居られなくなった俺は、結局答えも聞かずに逃げるようにここに飛び込んだのだ。
なんて馬鹿なことを言ったのだろうか。
せっかくの休日に俺みたいな人間と出かけるなんてどんな罰ゲームよりも辛いに決まっているのに。

「ど、どうしよう…」

罪悪感だけが心の中を支配していく。
あんなこと言わなければよかった。困らせたかった訳じゃないのに。
馬鹿な自分への怒りが募るたび、シャワーの音がうるさく感じてきて少し乱暴に蛇口を閉めた。
シャワーから数滴ずつ漏れる水滴が床に落ちる音が続いた後、浴室内には俺の唸る声だけが響いた。
早く出て謝ろう。そして彼にはせっかくの休日なのだからしっかり休んでもらおう。
水の滴る音を聞きながら、ゆっくりと立ち上がった。


簡単に水気を拭って部屋に戻った俺が見たのは、エプロンをつけて食事の支度をする彼の姿だった。
片付けの行き届いた清潔感のあるキッチンは彼のイメージ通り。
ドアを開けた体制のまま立ち尽くした俺は、味噌汁の鍋をかき混ぜるその様子をただ見つめた。
睫毛を伏せながら小皿に口を付けて味を確認した後、満足気に目元を緩めて微笑む。
自然体の彼を見ていたら、漏れてしまったため息を隠す気にもならなかった。
幸せってこういうことをいうのだろうか。

「晶太くん」
「へ?…あ、の…」
「ちゃんと乾かさないと、風邪引いちゃいますよ」

安室さんは視線を手元に向けたまま優しく俺の名前を呼んだ。
まな板に当たる包丁の音が心地よく空気を震わせる。
俺はそこでやっと我に返って言う通りに肩にかけていたタオルで頭を拭いた。
毛先から垂れた水が床を濡らしてしまっていないか心配になったけれど、振り返っても閉じてしまった扉で確認することができなかった。

「水族館…でしたっけ」
「あ、えと…そ、の話は…」

彼の口からその話題が出るだろうことは会話が苦手な俺でも予想することはできる。
ただ、予想する事は出来ても心の準備ができていなくて、緊張で喉が塞がって、うまく声が出ない。
自分から切り出すつもりが先を越されてしまった。
俺が口籠っている間もてきぱきと支度を済ませていく彼はそれとは別の質問もこちらに投げかけていった。
どのくらい食べられそうですか?とか、卵焼きと目玉焼き、どっちがいいですか?とか。
その手際の良さはまるで画面越しにドラマのワンシーンでも見ているみたいだった。
そうしているうちにテーブルには綺麗にお皿が並べられていって、いつの間にかお手本のような朝の光景が目の前に広がっている。

「僕から離れないって、約束できますか?」
「え…?」

テーブルの横に立ったまま呆然とする俺に、彼が突然そう投げかけた。
着ていたエプロンを脱ぐと簡単に折り畳んで椅子の背凭れにかける。
それから俺の頭に乗っているタオルを手に取って、優しく水気を取っていった。
朝の白っぽい陽光は彼の魅力を最大限に引き出している。
見上げた彼は薄いカーテンの隙間から漏れる光に負けないくらい柔らかく微笑みながら俺の答えを待っていた。

「約束できるなら、一緒に行きましょう。水族館」
「い、良いの…?」

まさか了承を得られるとは思わなくて、目をまんまるにして驚く俺を彼は変わらずの表情で見つめ返す。
頭の上でタオルが水気を吸い取るたびに柔軟剤のいい香りがした。
迷惑じゃないだろうか。俺のわがままを嫌々聞いてないだろうか?
そんな俺の不安も全て見透かすように彼は完璧に笑った。

「その代わりちゃんとご飯も食べること」
「…!うん!分かりました」
「今日だけじゃなくてこれから先もずっとですよ」

眉を少し上げて怒ったような表情の彼が俺を嗜める。
それから俺の返事を聞いて「いい子です」と表情を崩して笑った彼は、エプロンと同じように椅子の背凭れにタオルをかけた。
また、新しい顔だ。
彼の表情が変わるたびに、体がふわふわと浮かぶような感覚がする。

「君のために、僕が作りますから」

向かい合って座った安室さんが恥ずかしそうにそう呟く。
それは、ずっと一緒にいてもいいってことですか?
その質問を意気地のない俺は声に出すことができないでいた。


ひとくちめの幸福 

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