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★ ☆ ★




「赤井さん…俺、そろそろ…帰、らない…と」
「あぁ、…心配するな。迎えが来る」
「…え?」

赤井さんと会えて嬉しいけれど、このままここにいる訳にもいかない。
俺のその言葉を遮った彼から予想とは違う返事が返ってきて、言っている意味が分からなくて首を傾げた。
その途端、後ろから窓を叩くような大きな音がして、肩が震える。
驚いて赤井さんの服を握りながら縮こまった俺の上で大きなため息が聞こえた。
そうしているうちに、もう一度同じ音と共に車が揺れた。
恐る恐る振り返ると、安室さんが怖い顔をしながら窓に拳を叩きつけていた。

「…ひ、…あ、むろさ…?」

彼の瞳は、まっすぐ赤井さんを睨みつけていた。
赤井さんはもう一度ため息を吐くと、俺の方に体を寄せて車のドアを内側から開けた。
赤井さんのぬくもりと共に煙草の香りが強くなる。
ドアが開いて外の空気が入ってきたその途端、腕を引っ張られて安室さんの方に体が傾いた。
赤井さんの服を掴んでいた手は抵抗することなく離れていく。
うまくバランスが取れずに倒れそうな俺の体を片腕で支えてから、彼は直ぐに歩き出した。

「わ、っわ…、…安室さん…?」
「…」
「晶太、気を付けろよ」
「赤井さん…!ありがとうございましたっ!」

名前を呼んでも安室さんは答えてくれなかった。
俺の手を掴んだまま歩みを止めない。
車の中でこちらを見ずに煙草に火をつける赤井さんに向かって、手を引かれながら必死にお礼を言った。
相変わらず前を見ながらこちらに向かって片手を上げた彼を確認してこちらも小さく振り返す。
何故だか、手首を掴む安室さんの力が強くなって、それが気になった俺は彼の方に視線を移した。

「あむろさ…?」
「…」
「あ、の…俺」

こちらに背を向けた彼は俺が何を言っても反応を示さない。
怒っている。そんなの、馬鹿な俺にも簡単に理解できる。
泣きそうな顔を見られないように俯いた俺は、抵抗することもせずに重い足を必死に動かして、黙って彼に付いて行った。
少しの沈黙が終わりがないくらい長く感じた。
それから少し進むと、近い位置に停めてあった彼の真っ白な車に乗せられる。

「あ、むろさ…俺…ごめ、なさ…」
「どうして頼ってくれなかったんですか」
「…え?」

彼の呟くような声は、車のエンジンの音に掻き消されてしまった。
うまく聞き取れなくて聞き返したけれど、その時には既に車は動き出していて彼の視線は真っ直ぐ窓の外を見つめていた。
車内の空気がいつもより冷たい。
ずっと冷たいままの手を小さく擦り合わてみたけれどなんの効果もない。
罪悪感からか息を吸うのもなんだか苦しくて、喉にずっと何かが詰まっているかのようだった。


やがて走り続けていた車は止まり、彼の家に着いたことを教えてくれた。
恐る恐る外に出ると待ち構えていた彼に手を握られて、引っ張られる。
きっと、家に帰ったら怒られるんだ。
追い出されるかもしれない。
苦しい。上手く呼吸ができなくて、頭が痛い。
抵抗しようと足を止めようとしたけれど、彼の力には敵わなくてそのまま引きずられるように家に押し込められた。

「あ、むろさ…っご、め…ごめ、なさ…!」

玄関にあがると、静かな部屋に二人分の足音が大きく響く。
いくら抵抗しても強い力で引っ張られては足を止めることは出来なかった。
心臓が嫌に音を立てる。煩い。
自分でも怖いほど早く動く心臓を落ち着かせるために、思い切り胸元を握りしめた。
そのままベッドルームのドアを開けた安室さんに付いて行くと、強く体を押された俺は抵抗する暇もなくベッドに倒れ込んだ。

「わ、ぁ…っ!ご、め…なさ…安室…さん…俺、…ご、め…」

頭が追い付かない。
そのまま、息を吸う暇もなく彼がベッドに乗り上げた。
2人分の体重にスプリングが悲鳴をあげるように音を立て、体がシーツに沈み込んだ。
真っ直ぐにこちらを見つめる彼の紺碧の瞳は少しずつ色を変え、ガラス玉のように透き通って見えた。
俺の顔の横に手をついた彼がシーツを殴りつけたことで俺の体ごとベッドが揺れる。
驚いた体が硬直して、息が詰まった。
煩い。心臓が、うるさい。

「あいつだったから良かったものの、違ったら君が危なかったんだぞ」
「あ…むろさ…お、れ…ご、めんなさ…」
「…僕は」
「ご、め…さ…」
「僕はそんなに頼りないですか?」

絞り出したような低い声は俺に向けられていた。
嫌われたくない。ひとりにしないで。
いつもと違う彼から視線を外すため、思い切り目を瞑った俺は首を緩く振りながら何度も謝った。
胸の前で握りしめた手の感覚ももうわからない。
なにを言われているのか上手く聞き取れない。
話を聞かない俺に痺れを切らせたのか、手首が彼に強く引っ張られた。

「…っ…嫌っ」

パニック状態で手を引かれる。それが引き金だったかのように、ずっと背中にあった寒気が一気に存在を強くした。
その瞬間。
知らない記憶が、隙間を埋めるように無理矢理脳に流れ込んできた。
知らない景色、知らない人。
わからない。怖い。息が苦しい。

「あ…ご、め…も、助け…」
「…晶太くん?」
「…っ…っ」

それは突然のことだった。
目を閉じて真っ暗な視界の中、自分の見たことがない景色が映る。
知らない男の人に手を引かれて、全力で抵抗する自分の姿。
何度も何度も俺が呼ぶのは他でもない安室さんの名前。
頭が混乱して、自分が今どうなってしまっているのか分からない。
彼の腕の下で体の向きを横に変えた俺は、体を折り曲げて強く自分を抱きしめた。
怖い。知らない。寒い。
上手に息ができなくてもがくたび、真っ白なシーツに皺が寄っていく。

「…くん!…晶太くん!落ち着いて、晶太くん。聞こえますか?」
「ぁ…むろ…っ…さ…嫌…」
「ごめんなさい。ちゃんと息吸って…、できますか…?」
「は、…ふ…っ…」

俺は大丈夫。苦しくない、辛くない。
横向きだった体が仰向けに倒されて、冷たくなった頬に彼のあたたかい手が添えられた。
うっすら目を開けると、涙でぼやけた視界には焦りを含んだ心配そうな彼の顔が映る。
体温を分けるように動く彼の手に擦り寄って目を細めた。
優しい。いつもの安室さんだ。
苦しいけれど、安心する。
言う通りに呼吸をすると、酸素をゆっくり取り入れた脳が少しずつ冷静になってくる。
近くにいる彼からいつもと違う香りがした。
お店で何か作っていたのだろうか、生クリーム?…バニラの香りもする。
甘い。溺れそうなほど、甘い。

「も、…だいじょ、ぶ…です…」
「でも…まだ苦しいですよね?…顔色が」
「え?…うっ…あ、…吐、きます…」
「…へ?」

彼に言われて初めて自分の体調に気がついた。
意識した途端視界がぐらぐらと揺れて、彼の顔もうまく見られない。
内側からこみあげてくる何かを止めようと思い切り口を両手で押さえる。
それから、ベッドから落ちるように転がって勢いよく立ち上がると、俺の名前を呼ぶ彼の声を振り切るように冷たい廊下を走り抜けた。


甘い誘惑 

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