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★ ☆ ★




「ごめんなさい…俺…、あ、の…ごめんなさい…」

全部、自分の勘違いだった。
赤井さんに靴を拾ってもらって助手席に座り直した俺は、何度も謝りながら深く頭を下げた。
そもそも、俺の名前を知っている時点で知り合いだと思うべきだったのだ。
あまりにも意識がはっきりしているせいか、自分の記憶が無いことをすっかり忘れてしまっていた。
記憶喪失だということまで忘れてしまったうえに、家まで送ってくれようとした相手にお礼を言うどころか誘拐犯扱いなんて。
恥ずかしさと申し訳なさに押し潰されてしまいそうだ。

「ごめんなさい…」
「晶太」
「は、はい…」

赤井さんは組んでいた長い足を元に戻すと、ハンドルに両腕を置いて体重をかけた。
彼の指に挟まれた煙草から立ち上った煙が車内を漂う。
名前を呼ばれて顔を上げたけれど、目を合わせる勇気が俺にはなかった。
この胸に残るもやもやとした気分は赤井さんを犯人扱いしたことと、それともう一つ。
一度持ち上げた頭を下ろして、膝の上に置いていた手を弱々しく握りしめた。
そうして黙っていると、頭にもう一度大きな手が乗せられる。
軽いはずのその手も何故だか酷く重くて、一刻も早くこの場からいなくなってしまいたくなった。

「晶太」
「ごめんなさい」
「それは、もういい。顔を上げろ」

その低くて落ち着いた声に従って顔を上げると、隈の目立つ鋭い瞳と目が合った。
すぐに逸らしたくて堪らないのに、彼の視線に捕らえられた途端体が固まって、指先すらも動かすことができなくなってしまった。
怒っているに違いない。
眉間に寄った皺がそれを物語っていた。
どうしたら許してくれるだろうか。俺ができることなんて少なすぎて、その答えを導き出すことができない。
鼻の奥が痛くなって、目の前がじわじわと潤んだ。
すると、俺のことを真っ直ぐに見つめたままだった彼の視線が逸らされる。
それから赤井さんは気まずそうに彼の頬を掻くと、俺の涙を乱暴に拭った。

「ほら、泣くな…」
「ご、め…なさ…」
「…安室くんと喧嘩でもしたのか?」
「へっ…?…な…んで分かる…の」
「他にも、悩んでるんだろ」
「…う、ん…」

喧嘩と言うか、ただ俺が馬鹿でどうしようもない人間だったというだけ。
瞳からもう一粒だけ涙が零れ落ちる。
乱暴に擦られた頬と、転んで擦りむいた膝がほんのちょっぴり、ひりひりと痛んだ。
彼に優しくされるたび、俺の中の悩みは増えていく。
幸せなはずなのに、その裏側で心にできた小さな沢山の傷が存在を主張してくるのだ。
暫く黙ったまま俯いていると、赤井さんは足を組み直してから俺の肩に手を置いた。

「それで?」
「…?」
「お前はどうしたいんだ?」

彼の強い瞳は、俺の全てを見透かすようだった。
ずっと悩んでいたこと。
そんなの、一体どれから処理したらいいのかわからない程ある。
どうするのが正解なのかすら分からない。
思えば、俺は彼のことを何も知らない。
なのに、どうしてこんなに彼のことが気になっているのか。
どうしてこんなに彼に嫌われたくないのか。
ただ記憶がなくても分かるのは、彼が眩しいほど綺麗で、自分にとってとても大切な存在だということ。

「安室さん…笑ってくれなくて…」
「…、…」
「俺といると、…辛そうな、顔…」

自分で言いながら心臓を握られるような気分になった。
彼はきっと、何もかも忘れてしまった俺を怒っているのだと思う。
怒っていないにしても、失望しているかもしれない。
どうにかして笑って欲しかったけれど、どうにもならなかった。
失敗するのが怖くて目も合わせられなかった。
俺には人を幸せにする力なんか無いんだと、この数日で痛いほど思い知らされたのだ。
それどころか、さっきも助けてくれようとした彼に酷いことを言った。
彼の中にもう俺の居場所は無いに違いない。
気を抜いたらまた泣いてしまいそうで、なんとか我慢しようと太腿に爪を立てた。

「晶太…」
「え…?」
「…お前はどうしたいんだ?」

彼はもう一度、さっきと同じ質問を繰り返した。
タバコの煙をゆっくりと吐き出しながらまっすぐこちらを見据える彼の瞳は、まるで俺ではない誰かに語りかけているようだった。

「笑って、欲しい…」

それが自分の望みだと思っていた。
けれど、さっきお店であれほど彼の笑った顔を見たのにどうしてこんなにも気持ちが晴れないのか。
いつも俺の心に残っているのは、彼が初めて見せた、困ったような優しい笑顔。
笑って欲しい。もう一度彼に、俺のためだけに笑って欲しい。

「…俺が、幸せに…したい」

自信がないまま呟いたその声は、自分が思っていたよりも消え入りそうだった。
そんな俺の言葉を聞き逃さなかったのか、赤井さんは一瞬だけ目を見開いたあと、嬉しそうにほんの少しだけ表情を緩めた。
それから、何も言わずに俺の髪の毛を乱暴に撫でる。
絡まった髪の毛が彼の指に引っかかって少し痛かったけれど、なんだか誇らしい気持ちになった。
あんなに体に圧し掛かって苦しかったはずの煙草の匂いも、いつの間にか軽くなっていた。

「赤井さん、俺…がん、ばりたい…」
「…」
「でも…どうしたら…。俺、…できること…なんて…」

俺なんて、なんの取り柄もないし、暗くて面白みもなくて、人と会話することすらうまくできない。
あんなに素敵な人に知ってもらえているだけでも奇跡に近いことだ。
一体俺なんかに何ができるというのか。
だんだん自信がなくなってきた俺は、じっとこちらを見つめる赤井さんから目を逸らして視線を彷徨わせた。
すると彼はタバコの煙と一緒に、ゆっくりと息を吐き出した。
その煙は少しの間車内を漂ってから、すぐに消えて無くなっていく。

「ホー…なら、諦めるか?」
「嫌だ」

誰が諦めるもんか。
考える前に口から言葉が出てきて、挑発的な赤井さんに反発するように彼の台詞を遮った。
手を伸ばして、赤井さんの服の袖を握る。
ねぇ、安室さん。どうしてコナンくんや他のお客さんには笑ってくれるのに、俺には笑ってくれないの?
俺が暗いから?
もう、友達じゃ無いから?
それなら、悪いところ全部直すから。思い出すから。
初めて会ったあの日みたいに、優しく笑ってよ。

「俺、…負けたくない…」
「…、…お前は、変わらないな」

赤井さんは何故だか嬉しそうに目を細めると、短くなった煙草を灰皿に押し付けた。


振り返ったその先で 

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