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★ ☆ ★




画面の中で簡単に見つけることができた彼の名前に指先で触れようとして、俺はすぐに踏みとどまった。
彼に助けを求めたりして、もし危険な目に遭わせたら。
もし、自分のせいで彼に何かあったら。
そう思った途端ずっと耳に響いて騒がしかったはずの車の走行音が聞こえなくなって、口の中が乾きはじめた。
心臓の音が煩くて、これでは一体何に怯えているのか自分でも分からない。
やっぱり、やめよう。
そう思って電源を切ろうとしたその時、狙ったかのようなタイミングで握っていた携帯が勝手に震え出した。

「っ…っ!」

肩が大袈裟に跳ねて、口から飛び出そうになった悲鳴をなんとか飲み込む。
驚いた弾みで指が通話ボタンに触れて、誰から掛かってきたのかを確認する暇もなく繋がってしまった。
慌てて携帯に耳を近づけると、向こうからは皿がぶつかるような音と誰かの息遣い。

「…ぁ、」
「晶太くん…?」
「っへ…?ぇ、ぁ…あ…むろさ…っ」
「無事に帰れましたか?」

ここ数日ですっかり聞きなれた、優しい彼の声。
運転席の男の人に見られないように車のドアに体を押し付けながら、彼の名前を呟いた。
なるべく小さく発した声は枯れていて、相手に届いたのかどうかさえも分からない。
喋らないのを不審に思ったのか、安室さんは怪訝そうに俺の名前をもう一度呼んだ。
何か言わなければ。
でも、一体何を伝えればいいのか。伝えてもいいのだろうか。
車内に充満する煙草の匂いが身体に纏わりついて、思考を奪っていく。

「…?まだ外ですか?今、どこにいるんですか?」
「…え、と…」
「僕には、…言えませんか?」
「く、るま…あ、むろさ…、俺…ど、うしよ…う」
「車…?何があったのか話せますか?落ち着いて」
「っ…っ…、あの…俺…、お店の前で…知らない、人の車に…乗せられて…、でも…心配な…い…っ」

結局俺は、その優しい声色に促されるように、誘われるように。喋るつもりのなかった自分の現状を全て喋ってしまった。
全部話し終わる前に、彼の方から息を呑む気配と何かが壊れる様な大きな物音がして。
ほらやっぱり、迷惑をかけた。
俯くと、何時の間に脱げたのか、靴が片方だけ足元に転がっているのが見える。
電話口からは布が擦れる音、そしてお店のドアを開けたベルの音が聞こえた。
彼を呼び止める声は、きっともう一人の女性の店員さんで。

「晶太くん。大丈夫ですから」

彼の声を聞きながら、ゆっくりと目を閉じた。
こんな俺を助けようとしてお仕事中に無理矢理お店を飛び出したのだろう。
走るリズムに合わせて弾む彼の声を聞きながら、綺麗な髪が揺れる様子を想像した。
色素の薄い髪が、光を浴びながら跳ねて、踊って。
車の中で膝を抱えてうずくまりながら見た彼の幻想に、心臓が握られるような気分になった。

「今向かいます。どのあたりにいるのか分かりますか?」
「やっぱり、なんでもないです…お、れ…大丈夫、だから」
「何言ってるんですか!大丈夫じゃないでしょう!」
「っ…っ!大丈夫だから!!来ちゃダメだ!!」

助けて助けて。でもやっぱり、危ないから助けないで。
自分の中で渦巻いていた葛藤に決着がついた。
興奮する彼の声に対抗するように出した声は、自分が思っていたよりも遥かに大きくて、静かな車の中に煩すぎるくらいに響き渡った。
それと同時に、ずっと聞こえていた彼の足音がぴたりと聞こえなくなった。
聞こえてくるのは彼の静かな息遣いだけで。
顔が熱い。でも頭は凄く冷静で、じわじわと背筋が凍るように冷たくなっていく。
怒らせてしまった。彼の好意を踏みにじった。
自分で選んだくせに、抱えきれないほどの絶望が圧し掛かって重くて苦しくて仕方がない。
俺達のやり取りは全部運転席にまで聞こえているだろうけれど、もう全部どうでもよくなってしまった。

「…どうした?何を騒いでいるんだ」
「ぁ…、の…ぁ、あ、むろ…さ…」
「おい。晶太、貸せ…。…安室くん?」

休まず動き続けていたはずの車はいつの間にか止まっていて、こちらに伸びてきた男の人の手が俺から携帯を奪い取った。
力が抜けて、背もたれに寄りかかった体がずるずると傾いていく。
何も考えられない。
今更になって、転んで擦りむいた膝がひりひりと痛み出した。
視界に映るのは、男の人の真っ黒な後ろ姿。
彼が耳に当てている俺の携帯から、安室さんの怒鳴るような大声が微かに聞こえてくる。

「…一体何を怒っているんだ…?…あぁ、…記憶がない?…何の話だ?」
「ぁ…の、俺…、ご、め…なさ…」
「…は?晶太が?」

しばらく安室さんと話していた男の人は驚いた顔をしながら振り返って、怯えて縮こまる俺を見据えた。
鋭いエメラルドグリーンに射抜かれて、頭の後ろが痺れる。
手足が冷えてうまく動かない、怖い。
いろんな感情が絡み合って処理しきれない。
何とか目を逸らした視線の先では、男の人が吸っている煙草の煙が揺らめいていた。
もうこれ以上、惨めな俺を見ないで。

「…晶太」
「っひ、…っ、」

どのくらい経ったのだろう。自分はこのままどうなってしまうのか。
そんなことを考え出したその時、いつの間にか通話を終えていた彼の手がこちらに伸びてきて、思わず小さく悲鳴が漏れた。
体を縮めながら思い切り目を瞑る。
しばらく体を強張らせていると、髪の毛に優しく触れる感触があった。
想像と違う彼の行動に恐る恐る目を開ける。
すると、何とも言えない困った顔の彼と目が合うのだった。


「すまなかった」
「ぁ…の、ごめんなさい」

彼は、赤井さんと言うらしい。
何もわからない俺と同じように、彼も俺の現状を何も聞かされていなかったのだ。
全部、俺の勘違い。
俯きながら何度も謝る俺の頭を優しく数回叩いた赤井さんの手は、先程よりも少しだけ温かいような気がした。


ご名答 

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