81 失敗


リーマスとの噂が出てからシュティールの訪問はピタリと止んだ。そしてスネイプ教授は夜遅くまで私を引き止めてはくれなくなった。

指輪は切ないほどに効果的で、その切なさはすべてスネイプ教授から来るものだった。


宝石のような顔をして指輪に嵌め込まれている灰色がかった淡水色には、妨害呪文が封じ込まれている。接近戦でしか使えないがこの間のような時には一番役に立つ。

そう思うと途端に誇らしげに輝いて見えた。くすんで見えたのは、単に私の心が沈み目が濁っているだけにすぎない。奥底に封じ込めたいものが、まざまざと炙り出されたようだった。

スネイプ教授は今何を思っているのだろう。リーマスとの噂を信じただろうか。リーマスがいながら教授を誘った碌でもない女だと。


湧き出す思いのまま吐露できたならどんなにいいか


リーマスとはそんな仲ではないと弁解することがどんな意味を持つか、考えずにはいられなかった。「我輩には関係ない」と切り捨てられるのが、「それがどうした」とあしらわれるのが怖かった。

単なる都合のいい存在になろうとしたのは私からだったのに。それを彼から突きつけられて平然としていられるほど、私の神経は図太くできてはくれてない。


「はぁ……」


何度目かのため息をついて、右手で大鍋をゆっくりかき混ぜる。腕をパンパンに張らしてでも自分で撹拌していたい気分だった。

落ち着くほどに慣れたはずの地下研究室も、近頃は瓶詰めの目玉という目玉に睨まれている気がする。従順だった催眠豆もツルリと逃げ出しナイフで指した。

一続きの隣の部屋にスネイプ教授がいる。ぽっかりと口を開けた壁を見つめてもその姿は見えないが、大鍋を見つめていても意識はついついそちらに向いた。いつもは苦悩を忘れさせてくれる調合も、ため息の理由を連想させる今回ばかりは役に立たない。






スネイプは私室の事務机に向かいながら、一年生の出鱈目な魔法薬理論と格闘していた。しかし頬の引きつる文字の羅列を前に、意識が向くのは先日のホグズミード日のこと。

意外ではなかった。エバンズとルーピンの間には並々ならぬものがある。シュティールだとか言う生徒に絆されながらも靡くはずがないと彼女が言っていたのはこのため。噂などではなくホグズミードでの二人を見た。生徒の前で恥ずかしげもなく手を取り合い談笑していた姿を。


ならば何故、彼女は私と?


それだけが疑問だった。ただそれだけの疑問が妙に残ってブスブスと燃え尽きる前の暖炉のように煙を吐く。思う相手がいないならともかく――


いや、それに関しては私もとやかく言えまい


事が終わればさっさと別れ、翌日には何事もなく振る舞ってはみても、この1ヶ月ほどが異常だったのだ。正気に、正常に戻る良い機会だった。


本来ならば、こんなことに思考を割いている暇はない。トーナメント、何かと厄介事を引き付けるポッター、毒ツルヘビの皮の盗難、そして両肩にはカルカロフとムーディがずっしりとのし掛かっている。

スネイプは息をついて身体を起こした。羊皮紙に向かっていたせいで凝り固まった節々が悲鳴をあげる。嫌な軋みを感じながら椅子に背をつけると、目頭の窪みを揉み解しながら杖を振った。

カチャカチャと陶器の擦れる高い音をたてながらティーセットが滑り来る。ポットからカップへと澄んだ濃い鮮紅色を注ぎ淹れると、香りと共に波紋に誘われカップを摘まみ上げた。

顔の高さまで近付けて、水面に揺れる闇色と目が合った。ジリと熱を孕む視線にハッとカップを引き離す。長々と洩れるため息を抑えることはできなかった。


「スネイプ教授?」


ため息の元凶の声にスネイプは口をぎゅっと結び、手付かずの紅茶を消し去った。彼の様子はお世辞にも機嫌が良いとは言えない。しかしいつも通りだと言われればいつも通りだと思い込むことにして、リリーは申し訳なさに目を伏せる。


「調合を失敗してしまいまして」


『失敗』という単語にスネイプの眉間が一気に深まった。


「失敗と言っても使用する上では許容範囲内かと思うのですが、私としては是非やり直しを希望したく……ただ時間も材料もいただいてしまうので、教授の許可をいただこうと……」


エバンズらしくなかった。

口籠もる尻すぼみな言い回しもだが失敗自体が珍しい。脱狼薬の調合は別として、NEWTレベルを超える調合にも彼女は成功させて見せた。自分と同じレベルを求めるのは酷だと思っていたが、彼女は遜色ないものをいつも持ってきている。


だというのに、乱す何があった?


スネイプは横目で時計を確認した。寝るには早いがまた一から調合を始めるとなると遅い時間だった。自分がする分には構わず手を付けるが、彼女にまでそれを求めるのは憚られる。


「見せろ」


右手を差し出すと、彼女は足に鉄球でもついているかのような嫌々の足取りで数歩寄る。辛酸を舐めた顔は私にも理解できた。自分で納得のいっていないものを渡さなければならないのは苦痛を伴う。多くの、魔法薬に関心のない人間には、到底理解し得ないものであろうが。

今日提出させた散々たる魔法薬とも呼びたくない汚泥を思い出し、またため息をついた。

彼女はそれをどう解釈したのか、口元を歪ませ先程とは打って変わって俊敏な動作で小瓶を私の手へと乗せた。

彼女の寄越した魔法薬は失敗というには純度の高いものだった。日頃の彼女の手腕と照らし成功と呼べるかはまた別として、生徒が授業でこの程度のものが完成したなら、鼻高々で提出しただろう。


「今回はこれで構わん」

「しかしっ!」

「我輩が、良いと言っている。君は我輩の指示を仰ぎに来たのではなかったかね?」


スネイプが抑えつけるように射竦めれば、リリーは肩を窄ませる。そして戦意を失い「はい」と項垂れた。

片付けようと踵を返したリリーをスネイプが引き止める。


「他に何かご用ですか?」


調合の失敗は一旦忘れることにしたリリーが瞬き二つでいつもの調子を作り出した。

取り繕うことも忘れて塞ぎ込む彼女を知っている。だから今のこの状態はそれほど取り立てることでもないのだろう。だがそんなときでも彼女が調合を違えることはなかった。これは興味本意に近い行為だ。


「何かあったのは君の方だろう」


リリーはすべてをうやむやにしてしまう笑みを浮かべ首を傾げるが、スネイプには通じない。真っ直ぐ見据える黒の目に抉る鋭さはなかった。だが確かに真実を欲していることは、リリーにも分かる。


「君が調合を失敗するに至った理由は何だ?」


再度スネイプからの要求があって、リリーは考えを巡らせる。言うか言うまいかではない、どう嘘をつくかの思案だった。だが結局は目の前の男に見抜かれてしまうだろうことを、リリーは言う前から予感していた。


「単なる寝不足です。今後こういったことが起こらないよう気を付けます。申し訳ありませんでした」


『単なる寝不足』がスネイプには嘘だと分かった。寝不足に至った理由へと話題を移すこともできるが、あらゆるものを退ける意思を持つ後頭部に何を言えるだろうか。

リリーは深々と頭を下げることでスネイプの口を封じることに成功した。彼の顔にはありありと不満が滲み出ているが、彼女はそれを見ずに済む。

再び二人の視線が混じり合ったとき、スネイプの手にはなみなみとゴブレット一杯分の水薬が注がれた瓶が握られていた。


「飲んでおけ」


コトリと事務机の端に置かれた瓶には『安らぎの水薬』のラベルが貼り付いていた。彼が眠り薬を選ばなかったのは、かつてリリーが安らぎを必要とした経緯があったから。

彼女は一瞬迷う手付きを見せて、その瓶を受け取った。そして眉尻を下げ、緩んだ頬に仄かに口角を引き上げる。


「ありがとうございます」


心からの礼を言って、リリーは大事に瓶を抱えて研究室へと立ち戻った。彼女の背を追いながら、スネイプは口端に安堵を滲ませる。


少しして、片付けを終えた彼女が私室へ顔を出した。


「おやすみなさい、スネイプ教授」

「おやすみ」


彼女の律儀な就寝の挨拶に躊躇いや戸惑いはとうにない。当たり前のものとして身に染み付いてしまった彼女の言葉は糸となり私を繭の中に包んでいく。そうして仕事に取り組む気をすっかりなくしてしまうのだ。

スネイプは脱力した身体を無理矢理奮い立たせた。ズルズルと事務机にすがり付いたところで無意味だと身をもって知っている。だが気だるさのどっと押し寄せる身体をシャワーや寝室に運ぶのも並大抵の労力ではなかった。

いつの間にか思考が脇に退けたはずの彼女一色になっていたことに気づかない振りをして、スネイプは首元を緩め席を立った。







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