翌日に持ち越さないルールは強力だった。
シャワーすら浴びず魔法だけで身体を清めて、現実に立ち戻る前にスネイプ教授の部屋を後にする。それだけで良かった。彼もさっさと帰ろうとする私に何も言わない。
お互い酒とクリスマスムードに酔っていた。愛を囁きあったわけでもない。忘れろとも次の約束もない曖昧な関係。でもwin-winに違いなかった。彼は発散出来るし、私は募る一方だがその間だけは彼が私を求めてくれる。
たとえ素面に戻っても、一度飛び越えてしまったハードルはうんと下がる。関係は一度きりではなかった。私が部屋を訪ねて、彼が紅茶を振る舞って、私が居座り続ければ、気の向いた彼の手が私に触れる。
もっと雑に扱ってくれて構わないのに、彼は勘違いしてしまいそうなほど甘く心地好い。その度に私は胸が押し潰されそうになるのを耐え、涙を誤魔化さなければならなかった。
冬休みが終わり、新たな問題がやって来た。ハグリッドだ。リータ・スキーターによってハグリッドの素性が大々的に報じられ、彼はすっかり塞ぎ込んでしまっていた。
急遽呼ばれたグラブリー-プランク教授は教師として申し分のない人だった。私とも上手くやってくれたが、それでもハグリッドほどではない。彼女は私の扱いに遠慮がなかった。
ユニコーンを用意したのは私だ。たとえ《呪い》によって魔法生物に懐かれやすくなろうとも、クリスマス以降、度々密度の高い夜を過ごす私にユニコーンが靡くはずもない。相当な苦労を要した。もちろんグラブリー-プランク教授も森を歩き回ったが、小屋に籠りきりのハグリッドに代わり森番を兼任する私に敵うはずもない。
私は新学期が始まってから初めてハグリッドの小屋を訪れていた。依然として反応を返さない彼に痺れを切らし、無理矢理抉じ開けて乗り込んだのだ。
《本》をなぞるだけならここで私が出しゃばる必要はない。下手な私の言葉よりもダンブルドア校長やポッターたちの言葉の方が効くだろう。それでも私は彼にお節介を焼きたかった。かつて狼人間のリーマスにそうしたように。
数日振りの小屋は酒気に満ちていて、私はまず換気からしなければならなかった。ハグリッドからお酒を取り上げて、腫れぼったい充血した目に冷やしたタオルを押し付ける。彼はされるがままだった。
「ハグリッド、お願い、戻ってきて。みんなあなたを待ってる」
「そんなはずなかろうが?俺の母親は巨人だぞ!やつらは……残忍だ。みんなそう思っちょる。俺にもその血が流れとるんだ……」
「お父様は?あなたのお父様はどんな方だった?私の父は幼い私と母を置いて出ていくような男だし、母だって……私の母が死んだとき、母は私に杖を向けてた。良くない意味でね」
父は私たちに愛想を尽かし捨てたわけではなかったけれど。心の中でそう付け足して、リリーはハグリッドを仰ぎ見る。彼はモゴモゴと絡まりあった髭をざわめかせた。
「そうか……それは……俺は、ちっとも……」
「私が言いたいのは、問題は親でも血筋でもないってこと。それに、リーマスのことどう思う?彼だって世間に良い顔されない狼人間だよ。怖い?」
「ルーピンはなぁんも怖かねぇ!そりゃあ、ちっと問題は起こしちまったが……」
「そうだね。でも私、初めてリーマスと会ったとき、とっても怖かったのを覚えてるよ。手なんか震えちゃってさ」
あの日を思い出しながら手を見つめる。目の前にあるのは、あの日とは違うものだった。ハグリッドの大きくごつごつとした手に、そっとそれを重ねる。
「でもそれは杞憂だったし、私が馬鹿だった。結局、狼人間だ巨人だって、一纏めにするのは馬鹿らしいことなんだよ。魔法族もマグルも等しく糞野郎は存在する。大切なのは、あなたがどんな人で、どうありたいか」
ボロボロと大粒の涙を滴らせながらも、私の普段使わない下品な言葉に彼はピクリと反応した。クスリと笑って、再度彼の目元にタオルを押し当てる。
「私からはこのくらいかな。ねぇ、ハグリッド。あなたが籠ってから、ここを訪れたのは私だけだった?」
ハグリッドは大きく何度も首を横に振る。
「ハグリッドが半巨人だろうとなんだろうと気にしないのは、私だけじゃないみたいだね。きっとまた訪ねてくれるよ。……じゃあ、ハグリッド。また城でね」
タオルからチラリと覗いたハグリッドの目にはまだ迷いと恐れが滲んでいた。それでも彼は立ち直る。彼を愛する偉大な恩師と友がいるのだから。
翌日、リーマスから手紙が届いた。ハグリッドを心配していること、クリスマスの礼はお互い様だということ、でもお茶の誘いは喜んで受けるということが書かれており、次のホグズミード日に待ち合わせることになった。
「頬が緩みきっていますよ、リリー」
職員室でそう話しかけてきたのはマクゴナガル教授だった。授業に向かう途中の彼女は何冊かの古めかしい本を抱えている。
「リーマスから手紙が来たんです」
緩んでいるらしい頬をそのままに答えると、マクゴナガル教授は厳格な彼女からは想像がつかないほど柔らかに微笑んだ。
「まぁ、そう!あなた方はよく一緒にいましたからね。彼は元気にしているのですか?」
「はい。来週の土曜日にホグズミードで会うことになりました。マクゴナガル教授もご一緒にお茶しませんか?」
「いいえ、結構。楽しんでらっしゃい」
「はい。ありがとうございます」
揺れるタータンチェックを見送ると、ゴツリと頭に固いものが降ってきた。「うっ」と無様に呻く。背後で尊大に鼻を鳴らしたのが聞こえた。
「次は我輩の魔法薬学だ。気を引き締めたまえ」
「はい。気を散らして怪我をするのは、私ではなく生徒たちですから」
キリリと目に力を入れてリリーが答えた。スネイプは「本当に分かっているのか?」と片眉を上げ、「行くぞ」とだけ口にする。
バタバタと本をかき集めポケットへ手紙を突っ込むリリーを置き去りにして、スネイプが扉に手をかけた。そしてそのまま廊下に出るとチラリと後ろを確認し、置いてかれまいと小走りになる助手の姿にほくそ笑む。その間、排他的な彼の左手は開けた扉に添えられ続けていた。それがリリーの前だけであることに彼女自身が気付けるはずもなく、スネイプもまた、意識しない自分の行動を深く考えることはなかった。
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