78 クリスマス


らしくないドレスに「綺麗だ」なんて言ってもらえるとは期待していない。どれだけ多くの人に褒められても、たった一人、彼からの言葉でなければ意味がないのに。大広間に着いてからというもの、彼はぎゅっと口を結び、手を後ろで組んだまま動こうとしない。

脇に飾られた甲冑だって今日は口が軽やかだ。だというのに、漆黒の石像はダンスフロアを避け時が過ぎるのを耐え凌ぐだけ。


「スネイプ教授」


リリーがシャンパングラスを差し出せば、フロアを一瞥した後スネイプがグラスを受け取った。


「みんな楽しそうですね。準備した甲斐があります」

「君も交じって来れば良い。我輩に気でも使っているつもりか?」


壁を背にしてリリーが隣に並ぶと、スネイプはスイっと半歩分距離をあけた。話すには支障なく、パートナーだと捉えるには遠い距離。リリーは僅かに表情を曇らせる。


「いえ、私がここにいたいだけですので」


意外にも、ムーディはずっとダンスフロアにいた。シニストラ教授と半端に身体を揺らしながらぐるぐると魔法の目を回す。そんな中で踊る気になれるはずもない。

一曲だけダンブルドア校長のお相手を務めたあとは、バグマンやフリットウィック教授と話し、落ち着ける場所を探してさ迷っていた。そしてここを見つけたのだ。

続かない会話にリリーがグッとシャンパンを煽る。


「おい、一気に飲むな。シャンパンは酔いやすい。生徒の前で介抱させる気か」


呆れたような、世話のやける子供をたしなめるような声だった。


「教授が介抱してくださるんですか?」


なら酔うのも悪くない。また二日酔いになってマダム・ポンフリーに怒られるとしても、スネイプ教授に介抱してもらう方が貴重だ。

「馬鹿なことを」とか「誰が我輩がしてやると言った」とか、すぐ返されると思ったのに、スネイプ教授は黙り込んだままだった。

心配になって隣を向くと、飛び込む穴を探すように目を走らせぎこちなくグラスを玩ぶ彼がいる。先程私に言った台詞は何だったか。彼は嫌なものを押し流すように、グラス半分ほどのシャンパンを一気に飲み干した。


もしかして、もしかすると、

本当に介抱してくれる気だった?


「スネイプ教授――」

「君のお迎えが来たようだぞ」


スッと周りの温度が一気に下がった。軽蔑の滲む闇色の目に促され振り向いた先にはダームストラング生お揃いの深紅のドレスローブ。


「エバンズ先生!」


シュティールは駆け出したいのを無理矢理押さえ込んだ足取りで、完璧な笑顔を作り出す。リリーはそれをクリスマスに相応しい表情で迎え入れた。


「こんばんは、シュティール」

「先生、すごく綺麗。僕の中で一番です」

「どうもありがとう」

「僕が何を言いに来たか、分かるはずですね?」


手をとられ曖昧に笑い返す。横目で見た隣に、既にスネイプ教授の姿はなかった。恐らく外へ行ったのだろう。何事もなく進めば、彼はバラの園でカルカロフと話し、ポッターとウィーズリーに遭遇する。


「クリスマスプレゼントがほしいです。一曲だけ、踊ってください」


取られた手に込められた力が強くなる。仕方ないと息をつき、私はその手を握り返した。


「一曲だけね」


生徒たちの好奇の目に加え、ダンブルドア校長の茶化すようなブルーの目に頬が引き吊りそうになった。




懸命なシュティールのアピールやムーディのぐるぐる回る魔法の目。色々と耐えられなくなって、私は早々に大広間を離脱した。一旦は部屋に戻ったものの、置きっぱなしの行き場のないワインが目に止まり、それを持って地下まで下りた。

酔っ払いの衝動的な行き当たりばったりの行動。

ノックをしても部屋の主は戻っていなかった。私はワインを側に置き扉の前で座り込む。抱えた膝に額を付けるほど丸まって、時折遠くに聞こえる足音に耳を澄ませた。


寒い。大広間の暖かさも地下までは届かない。酔いに火照った身体はとうに冷え、鈍い思考では呪文を唱える気にもならなかった。

パーティにきっちり最後までいるタイプじゃないと思ったのに。ルシウス・マルフォイだってそんな風に言っていた。《本》には何とあったっけ。いつまで待てば戻ってくるのだろうか。


一段と多くの足音が遠くに響いて、パーティがお開きになったのだと分かった。スリザリン生が寮へ帰っていく。なら、そろそろ彼も帰ってくるだろう。

一緒に呑み直してくれるとは限らないが、きちんとおやすみが言えればそれで満足だということにする。我ながらいじらしい心がけだ。


コツン、コツン、とこちらへ向かう音がする。耳が覚えてしまったその音に苛立ちは含まれておらず、一先ず安心した。カツンと立ち止まった気配がして、私に気づいたのだろう、カツカツと足早に向かってくる。


「エバンズ!何故ここにいる!」


語尾は強く、とても問いかけとは思えなかった。顔を上げると、スネイプ教授は目を見開き眉をぎゅっと寄せる器用な表情をしていた。それが徐々に吊り上がって、やがてグリンデロー顔負けの唸る顔へと変わる。


「呑み直せないかと思ったのですが、帰った方が良さそうですね」


速やかにこの場を去るべきだ。今にも雷が落ちそうな暗雲に腰を浮かすと、二の腕をグイと乱暴に引き上げられた。


「来い!」


そしてそのまま引きずられて彼の私室へと入る。

廊下と大して変わらない冷えきった部屋は、スネイプ教授の一振りにより暖炉がゴウゴウと燃え盛る。私は暖炉の真ん前へ投げ捨てられるように放たれた。床に打ち付ける痛みを覚悟したが、現れた憐れなクッションが私の下敷きとなる。


「あの――」

「馬鹿者!いつからあそこにいた!」


頭から湯気を立てる勢いで、とうとうスネイプが吼えた。リリーは反射的に身を竦め、ぎゅっと目を閉じる。上から押さえ付けるような怒号に反論の隙はなく、ただ彼の爆発した感情が収まるのを待った。


「スネイプ教授……申し訳ありませんでした」


冷えきっていた身体が暖炉により溶かされ、心配してくれたことに内側からも熱が広がった。ジンジンと疼く鼻や耳に負けないくらい、心臓が打つ。


「……少しは温まったようだな」


ジロリとリリーを睨み付け、スネイプが大袈裟にため息をつく。どかりとリリーの隣に腰を下ろすと、どこからともなくワインボトルを取り出した。


「それ、私が持ってきた……」

「呑み直すのだろう?身体も温まる」


あなたのお陰で心身共にポカポカです。とは言えず、黙ってコクリと頷いた。

ぷかぷかと浮いたワイングラスに深紅が注がれる。


「「クリスマスに」」


日付はとうに変わったというのに声が重なる。リリーがくすりと笑うと、倣うようにスネイプもまた呆れ顔で口角を引き上げた。

ポツリ、ポツリと会話が続く。まるで2年前の再現だと思った。あの時はすぐに酔いが回って覚えていない会話も多いけど、今日は膝が触れあうほどの距離にしっかりと彼を感じる。


「来年も、こうして呑めたら良いのに」


意識は混濁せずともしっかり酔ってはいるようで、軽くなった口からポロリと願望が零れ出た。フン、と鼻を鳴らした彼の真意を知ろうと首を回すと、彼もまた、私を見ていた。

バチッと、乾いた冬に金属に手を伸ばしたときのような衝撃がして、私は彼の漆黒から逃げられなくなる。チロチロと暖炉の炎が映えるその瞳に、私がいた。

手を伸ばすまでもなく、届いてしまう距離。


触れてはいけないのに――


薄い彼の唇が震え、瞳に艶やかな熱が灯ったとき、私は引きずり込まれるように彼の唇へと口付けた。

一度、二度、回数を重ねても、深まっても、彼は拒否を示さない。そっと肩に触れ、撓垂れかかるように体重を移していく。


どうか、このまま流されてほしい

気持ちもなんて欲張らないから、どうか


不意にワイングラスを取り上げられた。そちらに気を取られた一瞬の隙に、彼がグッと身を乗り出す。咄嗟に触れていただけの肩を掴むと、私の腰はいつの間にか彼によって支えられていた。

彼の意思表示に淡く微笑んで、空いた両手を甘えるように彼の首へ回せば、ふわりと身体が浮く。背中と膝裏で掬い上げる体勢にどっと羞恥が押し寄せて、緊張に身を固くした。


「余程大胆なことをしておいて、これだけで?」

「ス、スネイプ教授っ」

「教授は無粋だと思わないか?」

「え、あ……セブルス?」

「馬鹿者、飛躍しすぎだ」


同じ言葉なのに今はうんと甘い響きを伴って、撥ね付けられたわけではないと分かる。

とさりと優しく下ろされたのは彼のベッドで、初めて入った寝室にキョロキョロと物珍しさが先立った。サイドテーブルに意識が向きそうになったとき、頬に彼の長い指が添えられる。見るべきものはそこにはないと誘われて、私にはスネイプ教授しか見えなくなってしまった。







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