2 転職


『ホグワーツ魔法魔術学校校長 アルバス・ダンブルドア様

ハリー・ポッター少年の多大なるご活躍と今後について、至急お話ししたいことがございます。つきましては、お会いできる日をお教えくださいますよう、お願い申し上げます。

レイブンクロー卒業生 リリー・エバンズ』


タイトルのない十数冊の《本》を読み終え、そう手紙を認めたのは、3日前のことだった。至急という単語を真摯に受け止めてくださった校長から返事が届いたのがその翌日。

そして今日、こうして会うこととなった。

彼おすすめのマグルの喫茶店は、珍しく個室のある造り。外界から遮断された空間が私たちを静かに包んでくれる。


「今日はお時間をいただきありがとうございます」

「ちょうどお茶の相手を探しておったとこでのう」


にこにこと読めない笑顔は10年前から何も変わらず、私を安心させてくれる。しかしそのブルーの瞳に見るのは、彼の呆気なくも計画された最期。《本》が未来を示すなら、目の前の好好爺に残された時間は、あと5年。


「ここのスコーンは絶品じゃ。だがチョコレートは……ちと他に負ける」


茶目っけたっぷりのウインクを受け、リリーも菓子に手をつける。至急、と手紙に書いておきながらすぐには切り出せないでいる私への配慮なのだろう。近況はどうだとか、最近お気に入りのキャンディーがどうだとかの世間話がいくつか続いた。

リリーの緊張が解れてきた頃、ダンブルドアの目がスッと痩せた。


「――して、レイブンクロー首席卒業生の至急、とは?」

「はい、実は――」


彼女は突如現れた《本》のこと、十数冊あるそれは全て生き残った男の子――ハリー・ポッターが語るホグワーツでの物語だったこと、第一巻と今日までの1年間、知る限りの現実と《本》が全て一致することを話した。


「その予言の書、一巻がこちらです」


リリーは鞄から取り出した硬表紙本をテーブルに置き、ダンブルドアへと寄せる。彼はそれをじっくりと眺めたあと、以前彼女がしたようにコツコツと杖を当ていくつかの呪文を唱えた。


「どこにでもある本じゃ。中を見ても?」

「どうぞ」


少し読んではペラペラと飛ばしてを何度か繰り返すうちに、ほんの僅かだが彼の表情が固くなったような気がした。瞬きの間に僅かな違和感も消え失せてしまったため、恐らく私の心が見せた幻だろう。


「確かにみぞの鏡やドラゴンのことは、誰しもが知る事実ではない」


閉じた本を撫でながら、校長は私を越えて遠くを見ているようだった。


「書は、全て読み終えたかね?」

「はい」

「今年度も、本の通りになると思うかの?」

「はい」

「ハッピーエンドかね?」


淡々と続いた問答は、そこで途絶えた。

果たしてアレはハッピーエンドと言えるのだろうか。多すぎる犠牲を出し、この偉大な恩師でさえも亡くしてしまう結末が。リリーの陰りに呼応するように、ダンブルドアの瞳もまた揺れていた。


「ダンブルドア校長の先見の明に曇りはありません。ハリー・ポッターは、闇に打ち勝ちます」


言えるのは、それだけだった。


「それで十分じゃ」


やがて何かを、或いは全てを悟ったように、彼は大きく頷いた。柔らかな眼差しが、言い淀むリリーの肩から少しずつ力を抜いていく。


「ダンブルドア校長、私はすべての本を引き取っていただきに参りました。あなたならきっと、役立ててくださる。恥ずかしながら、私は怖くて仕方がない。万が一、闇に知られたりしたら、結末が変わってしまったらと!」


リリーはテーブルに頭を擦り付けるほど近づけ、ひたすらに乞うた。

彼に託して、それで終わると思った。暫定的な未来を垣間見てしまった重荷。それを下ろし、また日常に戻れると。だがダンブルドアの答えは、彼女の期待を裏切るものだった。


「引き取るつもりはない。そして最後まで読むこともない。――静かに聞くのじゃ――誰の仕業か目的すら分からずとも、本は他でもないきみの元に現れた。良い結末へ進む未来を無闇に弄くり回すのは、ちとリスクが高いしの。それに予言を知る者は少ない方が良いはずじゃ」

「ですが校長!」


冷水を被ったように、リリーの身体からサッと熱が消える。当てが外れ動揺を隠せずにいるリリーに構うことなく、ダンブルドアは残酷な言葉を吐ききった。既に冷たくなった紅茶を勧め、少し間を置いて、もやもやとしたものを呑み込んだ彼女に続ける。


「わしは予言によって失われた命を知っておる」

「はい。そしてそれに関わったことで深い悔恨に苛まれ、死を願った男がいることも」


ダンブルドアは彼らしくもなく半月形の奥に光る目を見開いた。《本》が確かなものであると、また一つ証明される。

名前を言わずとも通じたその男は、現在、ホグワーツで魔法薬学の教授となっている。首席であったリリー・エバンズとジェームズ・ポッターとは、リリーが監督生に選ばれた年に知り合った。しかし同級生だという彼――セブルス・スネイプは、彼女の記憶に見つからない。


「きみを蔑ろにするつもりはない。つまり、本を引き取りはせんが、保護する必要はあると思うておる」

「保護、ですか?」


グリンゴッツに預けるとでも言うのだろうか。強盗が入ったと記憶に新しい、あの銀行に。


「これは老いぼれ爺の思い付きじゃが……リリー、もう一度ホグワーツへ来る気はないかね?」

「へ?」


リリーから随分と素っ頓狂な声が出た。思ってもみない提案にだらしなく口は開き、瞬きだけを繰り返す。


私が、ホグワーツへ?


「本をどうするかはきみの自由。じゃがの、リリー。その中身を知るのは本だけではあるまい?」


あぁ、あぁそうだ。そうだった


次々と迫る非日常にすっかり失念していた。私は《本》を読んだのだ。ここにきてようやくその事実に行き当たる。《本》が狙われるのなら、私だって危ない。ハリー・ポッターと例のあの人に関わる予言をした女性も、ホグワーツで教鞭を取っているはず。


「幸いホグワーツでは助手を探しておる。先生方はみな多忙でな。きみなら満遍なくどの教科の助けにもなれるじゃろう。言わば、何でも屋じゃ」


ダンブルドアが懐かしい笑い声をあげながら楽しげに目を細めた。彼のそんな様子に、リリーは人生の重大な選択を迫られている気がしなかった。


「忠誠の術、という選択肢もある」


ある、とは言いながらも彼乗り気でないのは明らかだった。その理由は彼女にも見当が付く。彼が守人となり繰り返さずに済むとしても、苦すぎる過去。


「今ここで答えを出す必要はない。何を選ぶことになろうと、くれぐれも用心するのじゃ。」

「はい、ありがとうございます」

「このことは誰にも言うでないぞ。きみの身のために」

「えぇ、理解しております」


ホグワーツへ行くにしても、忠誠の術を選んでも、祖父から受け継いだ店を続けることはできない。閉めたとして祖父は怒るような人ではないし、迷いなく命を取れと言うだろう。それでも即答できなかったのは、これが私にとって非日常の夢の続きだと思えるからだ。

《本》は確かに現れた。手元にある。一冊は細かな予言そのものだった。でもそれ以外に何の確証もない。何故《本》は現れた?何故私の元に?何者が?

荷を下ろしたい一心で、今後も《本》は予言し続けるだろう、と彼に返答した。しかし私はそれを確信できずにいる。一体誰が確信など出来ようか。頭の中はぐちゃぐちゃと絡まり合い、何を考えるべきかも分からなくなってしまっていた。






再び手紙を出したのは、数週間後のことだった。

キャビネットの奥へと隠していた《本》を取り出し、ダンブルドアの発言を掬い取っていく中で、私の内に使命感のようなものが芽生えていた。

選ばれた男の子――ハリー・ポッターの行く末を見守るため、私もまた、選ばれたのではないかと。

私はホグワーツで、新たな職を得る。







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