3 就任


新年度の始まる少し前、職員は生徒よりも早く学校に集められると知った。校長室での挨拶を終えると、紳士的なゴーストが宛がわれた私室へと案内してくれる。

扉を潜ると右手には暖炉、正面には大きな事務机とその奥に背凭れの豪華な椅子、左手には更に扉があった。中を覗くと、寝室とシャワールームが併設されていた。

一番嬉しかったのは、暖炉を避けるように設えられた壁一面の本棚。一体何冊置けるのだろう。ダンブルドア校長の粋な計らいに心を震わせ、ようやく荷ほどきに取り掛かる。

服、羊皮紙、お気に入りの本、そして箱。この箱にはもっとも重要な《本》が入れてある。ここに来る理由となった予言の書物だ。両手ほどのこの箱は蓋を開けてもただの空箱にしか見えない。しかし蓋の決められた場所を杖でつつけば、厚底になった部分が引き出しとして機能する仕掛けになっている。見た目以上の容量で、《本》を全冊入れてもまだまだ余裕があった。

問題はこれをどこへ置くかだ。

寝室のクローゼットか、事務机の引き出しに入れて鍵をかけておくのが無難だろうか。そう考えて、まずは事務机へ回り込む。上から順に引き出しを眺め回し、視線が一番下に着いたとき、ふと、床の違和感に気付いた。僅かな引っ掛かりを手繰り寄せるように椅子を脇へとずらす。現れたのは他と変わらない石造りのだった。だが、何かが違う。ピカピカに磨き上げられた床に這いつくばるようにして凝視した。


「あっ!」


それに気付いた瞬間、喜びと達成感が口から突いて出た。椅子の置かれていたちょうど真下に四角く切れ目が見て取れる。取手も凹みも付けられてはいないが、これはマンホールのごとく蓋になっているに違いない。大きさも私1人が通れるくらいだ。

すぐさま杖を取り出しゆっくりと蓋を持ち上げた。ザリザリと擦れる音がして、ポッカリとそこに穴が現れる。螺旋階段の続く薄暗い中に光が一筋差しているのが見えた。


「ルーモス(光よ)」


足元を照らしながら慎重に下りていく。石壁のヒヤリとした空気が充満していた。光の正体は小さな突き出し窓だった。上の部屋程の空間には調度品はおろか暖炉も何もなく、シンと静まり返った四角いスペースは地下牢を彷彿とさせた。

カチコチと腕時計の刻む音だけが耳を支配する。


「あ、時間!」


新学期まではまだ数日ある。あとで部屋の模様替えも合わせて少しずつ進めよう。

結局荷解きは終わらないままで、職員室へと向かった。顔合わせと新学期の説明があると聞いている。

最後に職員室へ入った日は、生徒としてだった。でも今日は違う。ドクドクと落ち着かない音を胸に、扉へ手をかけた。


「失礼します」

「ここはもうあなたの部屋でもあります。畏まる必要はないのですよ、リリー。よく来ましたね、歓迎します」


さぁ、と快く引き入れてくれたのはマクゴナガル教授。昔から厳しいだけの人ではなかったが、同僚へ向ける微笑みはまた違うようだった。

ぐるりと見回せば、懐かしい面々。祝いの言葉やハグをそれぞれと交わしていると、ホグワーツへ帰ってきたのだという実感がじわじわと心に染みて、なんとも温かい気持ちになった。

一通り挨拶が終わった頃、金髪を波打たせたキラキラスマイルが飛び込んできた。一瞬で作り出された静寂は、続いて入室したダンブルドア校長によって破られる。


「今年も、新年度が始まる。それに伴い、何とも嬉しいことに、新しい先生をお二人お招きした。一人はギルデロイ・ロックハート先生。闇の魔術に対する防衛術を担当される」


拍手に応えるように輝く白い歯を見せつけながら、私の数メートル前でロックハートが片手を挙げる。と、彼のブルーの瞳に捕まった。目はその歯以上に煌めいたように見え、一歩距離を詰められる。

どうやら彼は私を覚えているらしい。なるべく目立たないように過ごしていたが、監督生になってからはそうもいかなかった。

私だって朧気ではあるものの彼を覚えている。レイブンクローらしからぬクセの強さだったはず。いや、これに関しては間違いない。今の彼を見れば分かる。

ぎこちない笑みを浮かべながら少し身を引くリリーに助け船を出したのは、ダンブルドアだった。分厚い手がふわりと彼女の肩に乗り、威厳ある声が響く。


「そしてもう一人はリリー・エバンズ先生。殆どの先生方はご存知のことと思う。じゃが、立場は説明せぬばならんの。彼女は全教科において、助手を務めてくださる。レイブンクロー首席卒業に見合う働きをしてくださることじゃろう。彼女のスケジュールは……早い者勝ちじゃ」


パチリと向けられたお茶目な視線に、曖昧な笑みを向ける。フリットウィック教授からの一段と大きな拍手には、自然と顔が綻んだ。


「では、お二人から」


促されるや否や、待ってましたと言わんばかりにロックハートが前へ出る。


「ご紹介ありがとうございました、校長先生。ですが私の魅力を語るには些か言葉が少なすぎる気もします。勲三等マーリン勲章受章。闇の力に対する防衛術連盟の名誉会員であり、週刊魔女のチャーミング・スマイル賞を連続5回――」


覚えのある単語の羅列に右から左へ言葉が抜けていく。チラリと他を窺えば、みんな一様に同じ目をしていて、中には分かりやすく『ウンザリ』と書かれた顔もあった。

放っておけば延々と続きそうなスピーチに勇気ある一人目が拍手をし、一気に広まる。打ち切る音にも彼は気を良くしたようだった。


「きっとみなさんはまだ私の話を聞きたいとお思いでしょう。ええ、分かります。ですがこちらの美しい女性が順番をお待ちですので!さぁリリー、続きは私の部屋へ聞きに来ると良いでしょう。サイン本も進呈しよう!」

「ありがとうございます、ロックハート教授。どうも、ありがとう」


同情の視線を一身に受けながら、話を切り上げる。慣れたはずの愛想笑いは、彼の前では機能不全を起こした。

顔が好みかは置いておいて、著書は読んだし面白いとも思った。同寮出身者の活躍は喜ばしい。けれど《本》で彼の真実――仮にそうだとして――を読んでからは、胡散臭さを感じるようになってしまった。功績が盗品なら、文才も彼のものか怪しい。それでなくとも私は必要以上に語らない彼の本を気に入っていたのだ。彼自身ではなく。


「ダンブルドア校長、ご紹介ありがとうございました。今回こうして母校に戻り恩師であるみなさんと共に働けることを、光栄に思います。暫くは実技から離れておりましたが、腕は衰えておりません。知識も、卒業時以上に備えていると自負しております。授業の助手から下準備、片付けなど何でも申し付けてください。よろしくお願いします」


大きな拍手にリリーはホッと胸を撫で下ろした。ダンブルドアにより解散の合図が出され、全員が思い思いに散っていく。

リリーが荷解きの続きをしようかと入り口に目をやると、隅で腕を組む男と目が合った。ねっとりとした黒髪に真っ黒な服装。離れていても分かる不機嫌さを纏い、すべて見透かさんとする鋭い眼光。


あぁ、彼がセブルス・スネイプか


育ちすぎた蝙蝠とはよく表現したもので、なるほど、確かにその通りだった。零れそうになる笑いを押し留め、彼を見返す。

そんなリリーの様子が気に入らないのか、一層冷えた空気を着込むスネイプは、それが地なのか背負う運命からなのか。


5年後、彼は――


考えて、目を背けた。彼の最期に涙したあの日がフラッシュバックする。なんて定めなのだろう。まだ100%《本》の筋書き通りに行くとは決まっていない。予言を信じきれないままここにいるというのに、何故か彼の運命には確信めいたものを感じた。


私はこれからここで彼らの未来を見届ける。恐らくそれがダンブルドア校長の望みでもあるだろう。


すべては、闇のない世界のために。


「どうかしましたか、リリー?」


心配そうに覗き込んでくれるマクゴナガル教授に我に返ると、蝙蝠は飛び去った後だった。


「少し不安になってしまって」


眉を下げると、背に優しく手が添えられる。《本》を知る不安、その内容を一人抱える不安、身の危険への不安。背から伝わる温もりと混ざり合い溶けてくれればどんなに良いか。


「なら私の部屋へいらっしゃい。フィリウスも呼んで紅茶を淹れましょう。さぁ、彼に捕まらないうちに」


リリーの背後へと視線を移した彼女の目にはあのキラキラスマイルが映っており、リリーは慌てて前へと進み出した。


ただひたすら前へ、前へ







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