ルシウス・マルフォイからの不幸の手紙は驚くことにクィディッチ・ワールドカップへの誘いだった。妻のナルシッサが行けなくなったため代わりに来ないかと言うのだ。
ホグワーツの外で変化が起きるのは初めてだった。
クリスマスに彼のパーティへ参加した。それだけで私の存在が影響を及ぼしたのだろうか?《本》を知る者だからか、母による《呪い》の影響か、どちらにしても厄介だ。
行くべきではない。
しかし行きたいと思った。試合当日の夜に混乱が生じると知った上で、行きたい。私がこれから立ち向かおうとしているもの、その一部をこの目で見ておきたい。
ダンブルドア校長が少しでも難色を示せば行くのを止めよう。私は行きたいとは告げずに相談した。答えは『君の思うままにすることが一番』だった。
マルフォイ氏とは現地集合となった。彼らのテントは絢爛で謙遜の欠片もない。
元々家族での観戦予定だったため同じテントになってしまうと詫びられたが、そんなことどうでもいい。どうせ寝られやしないのだ。
「エバンズ先生、クィディッチには興味がないのでは?」
ルシウスがテントを離れた隙に、ドラコがリリーに問いかけた。父親譲りのその目には確信が宿っている。
呼ばれたからにはと付け焼き刃のクィディッチ知識とワールドカップの流れを頭に入れてきたが、どうしても熱は籠らない。主にマルフォイ親子の話に微笑んで相槌を打つことで場を取り持っていたが、バレてしまっていたようだ。
「鋭いね」
「父上は気付いてらっしゃらないと思います。僕は学校で試合を観戦されていない先生を知っているだけです」
そういえば、とリリーが記憶を呼び起こす。昨年度のグリフィンドール対レイブンクロー戦。吸魂鬼の振りをしてポッターを妨害した彼がマクゴナガル教授に引きずられ地下に籠るスネイプ教授を訪ねた際に、私は居合わせた。
「何故来たんだって思ってる?」
「えぇ、まぁ」
「強いて言うなら……貴賓席に興味があった、かな。もう二度とこんな機会ないだろうし、それなりに楽しませてもらってるよ」
私はニヤリと笑って、これは二人の秘密だと、立てた人差し指で唇を縫い付ける。ぎこちなく彼が首を縦に振ったタイミングでルシウスがテントに戻ってきた。
「では競技場へ移動しよう」
道中、人の多さに酔いかけたが、最上階の貴賓席は圧巻だった。これが人の上に立つ者の見る景色かと、困惑を隠しきれていないポッターたちを無視してしばらく見入ってしまった。
ルシウスの口から自分の名前が出て、ようやく意識を手元に戻す。魔法省大臣のコーネリウス・ファッジの食えない瞳とぶつかった。私が魔法省にいた頃はまだ魔法事故惨事部にいた男だ。
得意な人好きのする笑顔を見せれば、大臣は上機嫌でブルガリアの魔法大臣を紹介し始める。
「――アーサー・ウィーズリー氏はご存知でしょうな?」
何も知らないファッジの言葉にピリリと空気が引き締まる。気付かないのは呑気に話し続けるファッジだけだった。
睨み合うルシウスとアーサーを数秒静観し、リリーは然り気無くルシウスの腕に触れる。気を引くことに成功すると、にこりと口角を上げて合わせた目を席へと流した。リリーの意図を理解して、ルシウスはグイと形だけの会釈をすると奥の席へと向かった。
「生徒たちの保護者ですし、ご挨拶だけしてきます」と席を離れたリリーに冷ややかな灰色の目が後を追う。
「アーサー・ウィーズリーさん」
「あー、エバンズ先生」
「改めてご挨拶に参りました」
「これはこれはご丁寧にどうも。いつも子供たちがお世話になっています。特にこの双子に手を焼いていませんか?」
「僕らはただ」
「楽しいことが好きなだけ!」
フレッドとジョージがアーサーに「心外だ!」と大袈裟にブーイングしてみせた。彼らの後ろではポッターたちが肩を震わせ笑いを堪えている。
「こんなに学校を楽しんでいる生徒は他にいませんよ」
「「エバンズ先生は分かってる!」」
調子の良い双子にクスリと笑う。アーサーはやれやれといったように呆れ、でも優しく息子たちを見つめた。
これが子供を愛する父の姿……
ルシウスもドラコを愛しているのだろうが、それとはまた違う温もり。
私は父に愛された記憶こそないが、去年スネイプ教授が見付けてくれた手紙で父の愛を知った。父が生きていたなら、側にいてくれたなら、私にもこんな目で語りかけてくれただろうか。
「先生が魔法省にいた頃、何度か名前を小耳に挟んだことがありますよ。久々に神秘部適正者が出たとかで」
アーサーの声に意識を戻す。
「結局はお役に立てないまま辞職することになってしまいました」
話したこともない女の名を覚えているとは。覚えのいいアーサーにピクリと眉を上げ、リリーは曖昧に微笑んだ。
「神秘部?今、神秘部と言ったかね、アーサー?」
ブルガリア魔法大臣へのパントマイムに辟易していたファッジがそれは興味深いと食い付いた。アーサーが簡潔に説明する。
「あそこはいつも人員不足だ。君さえその気があれば再就職も可能だろう!」
「いつかご縁があれば、是非」
ファッジのよく通る声のお陰で周りの視線がチクチクと刺さり、リリーは早々に会話を打ち切った。神秘部という少々風変わりな部署にいた風変わりな女に好奇が集まる。
間をあけず飛び込んできたルード・バグマンの姿がリリーには輝いて見えた。
たまにルシウスに話しかけられる以外は基本的に静かに観戦した。ルシウスが喜べば喜ぶし、悪態をつけば頷く。ドラコの視線は相変わらず冷たかったが、私の視線は別の場所も捉えていた。
後列奥から二席目。そこには顔を手で覆った屋敷しもべ妖精がいる。そして隣の空席には――。
ゾクリと肌が粟立つ。思わずマントの下で自分を抱きしめた。
試合が終わり、リリーはルシウスと祝杯をあげていた。と言ってもクィディッチの話題はなく、殆んどがリリー自身に対する質問攻め。ドラコはとうにベッドへ行った。俗な言い方をすれば「大人の時間」だろうか。
「神秘部は興味深い部署だと聞く。秘密主義で何をしているかも分からない、と」
「退職後も口封じの呪文と魔法契約によって守られていますので、それも仕方のないことです」
案に語ることは何もないと、私は「無言者」に徹する。
「セブルスから私のことは何か聞いているかな?」
何の脈絡もなくルシウスが言った。突然出た名前にリリーは口に含んだワインがスルリと勝手に喉を滑り、眉間にシワを寄せる。
「スネイプ教授からですか?どうしてまた」
「気づいているだろうが、我々は昔からの顔馴染みでね。同寮でよく面倒を見ていたものだ」
「プライベートなことはあまり話しませんので……」
スネイプ教授に迷惑をかけまいと出た言葉だったが、これは真実だった。
ホグワーツで多くの時間を共にし休暇までも家で共に過ごしたが、未だ私は彼から彼自身について何も聞いていない。踏み込ませない壁が強固に立ち塞がったまま高く高く聳えている。
「何度かセブルスをパーティに誘ったが彼は滅多に来なくてね。来ても一人で、私に挨拶をしてすぐ帰る。だが去年のクリスマスは私が拐うまで君を連れて離さなかった。珍しいものを見させてもらったよ」
正しくは、離さなかったのは私だ。
クツクツと喉の奥で笑う彼はとても様になっている。サラリと肩を滑るプラチナブロンドや高いワインを惜し気もなく空ける姿はきっと多くの女性が惹かれるのだろう。
でも私は、彼の口から名が出たその時から、会いたくてたまらない人がいる。
彼はなかなか笑ってくれないし、すべてを吸い込む真っ黒な髪は風に靡いたりしない。ワインはたぶん好き。でもよく飲むのは紅茶で――。
その時、来客を知らせる音がした。遅い時間ではあるがまだまだ外はお祭り騒ぎ。ルシウスは何かやり取りをしたあと戻ってきた。
「ミス・エバンズ、顔を出す場所ができたので私はこれで」
「では先に休ませていただきます」
嫌な笑みを残してルシウスがテントを空けた。
とうとうだ。趣味の悪い行進が始まる。宛がわれたベッドへ潜っても、寝付けるはずがなかった。酔いも回らずただその時を待つ。
1時間ほどぼんやりとして、外の騒ぎの毛色が変わり始めた。悲鳴が聞こえ始めた頃、私はようやくベッドから下りる。
着替える手間を省いたためにシワの付いたローブを整えてドラコのベッドを窺うと、そこはもぬけの殻だった。1時間前には身体があったその場所に手を当てればまだほんのりと温かい。
どんどん外は慌ただしくなるが、私は至って冷静だった。どれだけ魔法省が駆け回ろうと、闇の印一つでこれが収まってしまう。そう思うと馬鹿らしくなって笑えてくる。
一歩テントから出れば、想像通りの混乱の真っ只中だった。宙を漂う四人のマグルが遠くに見える。その下にはプラチナブロンドを揺らして笑う男がいるのだろう。
このままここで静観しても良い。しかし私は立場上抜け出したドラコを探しに行かなくてはならない。会える気なんて到底しないが、杖を握りしめ、喧騒へと飛び込んだ。
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