夏休みが半分過ぎた頃、ダンブルドアによって教職員全員が集められた。何事かと様々な憶測が飛び交う中で告げられたのは、三大魔法学校対抗試合の開催。魔法省から魔法ゲーム・スポーツ部部長のルード・バグマンがやって来て説明があり、箝口令が敷かれて解散となった。
「よう、よう、リリー!久しぶりじゃないか!」
説明の途中からチラチラと目が合っていたバグマンが解散となるやいなやリリー目掛けて一直線にやって来た。
「ご無沙汰しております、バグマンさん」
あまりの勢いと声量に離れようとした身体を半歩で押し止め、リリーがにこやかに対応する。にこにこと人好きのする笑顔で昔を懐かしむ二人を止めるものはおらず、ダンブルドアがバグマンをお茶に誘いに来るまでそれが続いた。
「君もダンブルドアに誘われたんだろう」
職員室から直接下りた地下で、部屋の主が淹れた紅茶を味わう。
「校長だけなら喜んで行くんですが――」
「ルード・バグマンか」
「距離感がどうも苦手で」
外はまだまだ日射がキツいがここで飲む淹れたての紅茶はホッとする。初めて紅茶を淹れて貰ってから、タイミングが合えば度々こうして一緒に休憩をとった。私のソーサーに咲くのはいつも純白の百合の花。
「君のような者を八方美人と言うんだ」
「子供の頃、他人に無関心だった反動かもしれません」
口角を上げるだけの笑みをして、リリーがカップを降ろす。
「確かにあれなら反動も大きいだろうな」
スネイプがゆっくりと瞬きをして、呆れ混じりの乾いた笑いでリリーに同意する。
「あれ、って?スネイプ教授は昔の私をご存じなんですか?」
彼の瞬きに何か思い出すものがあるように感じて、リリーが平素より大きく開けた目をもってスネイプに問いかける。
「あぁ、いや……」
スネイプは言葉を詰まらせた。話したこともないのに見かけたことを覚えているなどと言えばどんな反応をされるか。スネイプは容易に想像できた。
「前にスラグホーンの誘いを断り続けていたと言っただろう。だから随分と愛想の悪い奴だったのだろうと思ったまでだ」
スネイプの苦しい言い訳にリリーは「ふーん」と納得したのかしていないのか曖昧な相槌を打った。しかし話を掘り下げることはなく、スネイプは乾いた口を冷めかけた紅茶で湿らせる。
「クリスマスの時にも思ったが、君の交友関係は広すぎやしないか?どうなっている」
「私が八方美人なだけですよ」
進んで話題を提供するというらしくなさに縋ってでも、スネイプはこの半端な空気から逃れたかった。急いで引き出しから引っ掴んだだけの問いに、からかうような、嫌味のような、はぐらかすような答えが返され、スネイプの眉間に力が入る。
「バグマンさんは魔法省にいるときに何度かお話しさせていただいて、何故か、気に入ってくださってるんです」
『何故か』を僅かに強調してしまったような気がして、リリーはヒヤリとスネイプを窺う。ほんの些細な変化でも、目敏い彼には致命傷となって切り込まれてしまうことをリリーは知っていた。
しかしリリーの心配などどこ吹く風で、スネイプはゆったりとソファに沈み込んだままだった。些細な変化よりもスネイプには興味を引かれるものがあった。
「魔法省で働いていたのか」
クリスマスに見かけた顔を思い出したスネイプが、合点がいったと声色に滲ませた。呟くような言葉にもリリーは律儀に反応する。
「卒業してから祖父が亡くなるまで勤めていました」
「まさか魔法ゲーム・スポーツ部ではないだろう?」
スネイプの小馬鹿にした笑いに気を悪くする様子もなく、リリーは「まさか」と自分も笑う。
リリーは世界中が熱狂するクィディッチというものにとんと興味が持てなかった。審判を務め上げるだけの知識があるスネイプの方が、よっぽど関心があると言える。
「色々回されましたが、最終的に落ち着いたのは神秘部です。雑用係のようなものでしたけど」
「無言者だと?」
スネイプの眉がピクリと跳ねる。リリーの過去の仕事は秘密主義なこともあり、往々にしてこのような反応を引き起こした。そして決まってどんなことをしているのかと問われるのだ。
「周りはそう呼びますね。私たちも好き好んで無言を貫いているわけではないのですが、仕事柄どうしても必要なことなので」
「そうか。君は本当に……秀逸なんだな」
「えっ?」
いつもと違う反応にリリーは面食らって目をパチクリとさせる。スネイプの口から出たのは仕事への好奇心ではなくリリーそのものに対する賛美だった。その上、彼が嫌味以外で人に褒め言葉を使うところをリリーは初めて見た。
「成績さえ奮えば魔法省に入ることは難くない。だが無言者となると個人の人格や思想も考慮され、就きたくて就ける部署ではないと把握している。闇祓いのように。……違うか?」
「いえ、あの、違わないと思います」
確かに入りたくて入れる部署ではない。無言者を志望していた同期を押し退けて、望んでもいない私が神秘部へ回された。
しかし秀逸かと言われればどうだろうか。同僚たちは優秀だった。それは間違いない。
では私はどうか?
シリウス曰く頭でっかちのイイ子チャン。
配属されてすぐに口に栓をする呪文と魔法契約の書類にサインをさせられた。ゆくゆくは閉心術も習得し本格的に無言者としての仕事を任される予定だった。
でもそれが果たされることはなかったのだ。
配属されてどのくらいの期間をかけて半人前から一人前になれるものなのか聞こうとも思わなかったが、半人前のまま辞職することになった自分が秀逸なはずがない。
私からすれば神秘部は変わり者の集まりだ。人格や思想は鑑みられるのだろうが、どういう人物かではなく、真っ白な人間が選ばれている。そんな印象だった。
人気者でも根暗でも純潔主義でもマグル贔屓でもない「他者に興味のない者」。昔同僚が「神秘部に入れるのは神秘部に入ることを喜びも嘆きもしない者だ」と言っていた。私はこれが枢要だと思っている。
長く誰よりも予言に近い場所で働いて、けれど示された予言に興味もなく淡々と日々を過ごしていた私が、今や予言に振り回されて予言と命運を共にしている。
笑い話にもならない
こんなだから私は一人前になれずに終わったのだろう。色々と精査される無言者も人選に絶対はない。
私がまだ神秘部に配属されていない頃、オーガスタス・ルックウッドという者が神秘部にいた。彼は例のあの人の密偵だった。そして近い未来、死喰い人として再び例のあの人の元に馳せ参じることになる。
私も彼と同じ人選ミスの側だ。これは悲観的ではなく客観的な適評。
深い思考の罠の中にいながら、リリーは湯気を出しきった紅茶を含む。ヒヤリとした舌触りが心地よい。淹れたてのホッとする香りも格別だが、やんわりと現実に引き戻してくれるこの冷めた紅茶もリリーは好きだった。
困惑しながらも同意して、そのまま押し黙ってしまったリリーをスネイプはじっと観察していた。
柄にもなく褒めたというのに彼女は嬉しそうな顔ひとつしない。寧ろ険しく、どんどんと曇っていく。重い沈黙だった。
会話が交互に行われるべきものであるなら、次に口を開くべきは自分だ。しかしそうしようとは思わなかった。
予言
彼女が元無言者で何か重要なものを見てしまったのなら、ここにいる理由にもなり得る予言。私の愚かな人生における愚かな行為の一つに深く係わる予言。
ずぶずぶと黙想の沼に嵌まっていく彼女を見ながら、私もまた、その深く濁った痛みの中へと身を沈めていく。
私が再びカップに触れたとき、カップを下げた彼女と目が合った。冷めきった紅茶を飲み干した彼女が退室を申し出て、私はそれを送り出す。
彼女とはこんな風に曖昧に別れることが何度もあった。それでも次に顔を合わせた時には今日はなかったことになる。
正しくは消えたわけではない。悪臭を放つかのように蓋がされている。私にとっては大差ないことだ。後腐れがない都合のいい状態であれば良い。
鬱憤をぶちまけるにはそれが丁度良い。それだけだ。だからつい、私も口を滑らせる。今日も、そしてシリウス・ブラックとの確執も。
そこに意味は、ない
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