62 居眠り


結局リーマスに協力してもらう話は流れてしまった。スネイプ教授の様子からまた蒸し返す気にはならなかったし、拘るつもりもなかった。

私の空論はスネイプ教授と煮詰めて一考する価値のあるものへと変わった。スラグホーン教授を介してダモクレス氏へ手紙を送ることで合意し、先日ふくろうを飛ばした。


「気乗りしない」


スラグホーン教授への手紙を書き終えたスネイプ教授がぼやいていた。

遠回しに、しかし的確に苦手だと溢す彼が可愛く思えた。ボガートが化けるほど生徒を恐怖に陥れる魔法薬教授にも苦手なものがあるのだと、こそりと笑ったつもりが見つかった。


「私もあまり。スラグ・クラブの誘いもすべて断ってました」

「すべて?」

「すべてです。可愛くない生徒でしょう?」


過去の自分を懐かしむというよりは呆れたようにリリーが同意を求める。スネイプは「そうだな」とだけ返して、絶対的な存在である恩師を数多のコネと共にはね除け続けた勇気ある生徒にひっそりと称賛の笑みを浮かべた。




リリーは地下で過ごすことが多かった。

スネイプの近くにいたいという邪な気持ちもなくはないが、誓って研究のためだった。実際部屋は別で、彼が今何をしているかも分からない。

リリーは地下牢教室を借りて自分の思うままの実験を進める。午後の実験は微睡みとの戦いでもあった。負けそうな日は思いきって手を止める。ここには爆発から助けてくれる人はいない。

大きく伸びをして、大鍋の活動を停止させる。ひょいと覗けば空色に半目の自分が写り込んでいた。


「スネイプ教授?」


ノックは控えめにしてスネイプの研究室を訪れる。薄く開いた扉からは煮立つ大鍋も刻むナイフも聞こえてこない。リリーは不審に思って扉を大きく開けた。


「教、授……」


丸椅子に座った黒衣の彼は頬杖をついて羽根ペンを握りしめていた。リリーが近くへ寄っても深くゆっくりとした呼吸が続いている。


「休暇中だからって張り切りすぎですよ」


囁くように言って、テーブル越しの向かいに陣取る。いつもの厳しい漆黒の眼差しは瞼の奥に隠れて、開く素振りはない。


よっぽどお疲れなんだな……


リリーはスネイプの手から優しく羽根ペンを抜き取った。几帳面な彼の文字が徐々に乱れ乱暴に跳ねた『W』にきゅんと胸が甘酸っぱさで満たされる。

シリウスの話はあれから出ていない。岩のようにカチカチになった確執を晒したところで、精々風通しが良くなったくらいで、壊せやしない。

こうして研究に没頭して、飲み込めないでいるわだかまりを誤魔化しているのかも。

気持ちはよく分かる。私も魔法薬にのめり込めば《本》の予言を忘れていられた。調合している間は余計なものすべてを頭から追い出してしまえる。


テーブルの上で腕を組み、それを枕に頭を横たえる。少し仰ぎ見て、腕を伸ばせば届いてしまう彼との距離。


伸ばしては、いけない


反抗的な両手を頭で押さえつけて、そっと寝顔を観察する。時折瞼がピクピクと震え、下に眠る眼球の動きを伝えた。


彼は今どんな夢を見ているのだろう?


幸せな夢なら良い。きっと――いや、確実にそこに私は存在していないけど、彼が笑っているなら構わない。在り来たりな善人ぶったイイ子チャンの願い。でも本当に、そう思う。

私は現実で彼の側にいられるのだから。


また、笑ってほしい


「スネイプ教授、そろそろ目を開けてくださっても構いませんよ」


たっぷりと寝顔を堪能してからクスクスとリリーが笑う。


「気付いていたなら言え。趣味の悪いことを……」

「ですから今言いました。まさか寝た振りを続けられるとは思いませんでしたよ」


パチリと開いた漆黒の目を、横向いた頭のままで迎える。ばつが悪そうに口を曲げてすぐさまぎゅっと寄る眉間を名残惜しく見上げた。


「カゴをお借りしに来たんです」


スクッと立ち上がったリリーがいつもの場所からピクニックバスケットを持ち出す。


「何が足りない?」


それを目で追いながらスネイプが問うた。


「特に何も。眠気覚ましです」

「……我輩も行こう」


羊皮紙に残された記憶のないのたくった文字にしかめっ面をして、スネイプもあとに続いた。




「何かほしい薬草はありますか?」


二人は足場の悪い森の小道を歩いていた。いつもは颯爽と移動するスネイプが今日は少し遅れてリリーに付き従う。

リリーは親鳥にでもなった気分だった。彼の目はパッチリと開いて足取りも確かだが、まだ眠いのかもしれない。


「ない。君に任せる」


リリーが研究の進捗を話しながら足を向けたのはセストラルの縄張り近くにある薬草の群生地だった。大広間より一回り大きく拓けたその場所は邪魔な木々もなく、まだ高い位置にある太陽の輝きを浴びて恍惚としている。

森を歩き暗がりに慣れた目を細めてスネイプが首元を僅かに緩めた。リリーはその所作一つ一つに心を奪われるが、暖かな陽に照らされて尚青白い彼の顔に一瞬で浮わついた心が萎む。




「カゴを」

「どうぞ」


たまに会話とも呼べないやり取りをしながら薬草を摘む。黙々と、淡々と。他愛ない話の切り出し方を学校で教われていたら、私は今こんなに歯痒い思いをせずに済んだだろうに。子供だってもっと上手くやる。

内心ため息をつきながら、リリーは手を動かした。


ガサリと後方から草を踏み分ける音がして、スネイプ教授がまたカゴを求めて来たのかと振り返る。しかしそこには同じ黒い姿でも黒衣の彼とは似ても似つかない生き物がいた。


「テネブルス?」


リリーはぴたりと張り付いた皮に骨のラインを浮かばせた有翼の天馬に手を伸ばす。あと5センチまで近づいて、彼の方から擦り寄った。白く濁った目の下にリリーの指が触れる。愛情たっぷりに撫でれば気持ち良さげな鼻息が聞こえた。


スネイプはその様子を僅かに上がった片眉と共に見ていた。


『誰もセストラルが見えないままなら』


苦しげに眉を潜めたかつての彼女が脳裏を過る。あの日彼女は感情を消し去ったような表情をした。だというのに、セストラルに寄り添う彼女は慈しむようにその黒い体に触れている。


セストラルを無駄に怖がり忌避する他の魔法使い以上の意味が、あの言葉に隠されていたのか


スネイプは戯れる一人と一頭に近づいた。


「群れから抜け出してきたみたいです。こんな明るい場所に……」


気配に気づいたリリーがスネイプを見上げる。セストラルは細長い足を器用に畳み、リリーの膝へと頭を乗せていた。


「これを」


差し出された葉をスネイプが受け取ると、リリーの視線はセストラルへと戻る。かじられた葉は魔法薬でも使われる。どちらかと言えばマダム・ポンフリーの方が使い慣れた物。スネイプは顔色どころか個体判別もままならないその生き物が、途端にぐったりとして見えた。


「病気か?」

「変なものを食べただけかも。ハグリッドを呼んできますので、スネイプ教授はこの子についていてあげてください」


スネイプは瞳のないセストラルの目と合ったような気がした。どこを見ているかも分からないその目にじっと見据えられ、拒むような意図を感じる。


「我輩が行く。君がここに残れば良い」

「でも――」

「その状態では立つのも面倒だろう」


セストラルがモゾモゾと頭を揺らし首をリリーの太ももへと擦り付ける。


「ありがとうございます。ハグリッドにテネブルスかもしれないと伝えておいてください」

「名前が付いていたのか」

「はい。恐らくは、全頭に」


ハグリッドに教わった名前を指折り挙げるリリーをおいて、スネイプは横たわる黒い影の全身を隈無く観察する。


「これがその、テネブルスだと分かるとは思えんが……」


斑もなければ体に目立つ特徴もない。釈然とせず已然とセストラルに向けられたスネイプの視線を見てリリーが声をあげて笑う。


「違いが分かるのはハグリッドくらいですよ」


「では何故?」スネイプが眉の動きだけで問い直す。


「テネブルスは初めてここで生まれた個体で、一番人懐っこいんです。要は勘ですよ」


イタズラが見つかった子供のように肩を竦めてリリーがネタばらしをした。それならば、とスネイプが頷き城の方へと足を向ける。


だが人に馴れていると言っても、生まれたときから世話を焼いているハグリッド以外にあそこまで懐くものだろうか。

私は何年もこの場所へ通っているがここでセストラルを見たのは初めてだ。況してや弱って警戒心の強まった獣が人に寄ってくるなど、通常ならばあり得ない。

ヒッポグリフのときもそうだ。彼女はいとも容易くヒッポグリフの集団を率いて見せた。蛇ですら彼女への威嚇を避けるように動いた。

尋ねたところで答えてはもらえないのだろう。先程のように肩を竦め、なんてことのないカラクリなのだとは。


答え?尋ねる?

私は教えてほしいのか、彼女に?


あれほど暴いてやると躍起になっていたというのに、今や自発的なカミングアウトを願うだけ。


いつからだ?

私はいつからこんなに受け身になっていた?

何故?


どれだけ疑問が浮かぼうと、私の中に答えはなかった。最近研究に根を詰めていたから疲れが出たにすぎない。明日には馬鹿なことを考えたものだと呆れている。

態と踏みつけた小枝が容易く折れた。彼女の見えない位置まで戻ってきたというのに振り返ろうとした無意識下の行動を寸前で止める。ぐっと力を入れた身体をため息と共に解放して、だらんと視界で揺れる前髪を掻き上げた。







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