61 夏休み


夏休みがやって来た。バタバタと生徒の成績が決まりホグワーツ特急を見送る頃には幾分か落ち着いて、一人また一人と教職員も帰省していく。とうとう残ったのはホグワーツが家代わりな人たちだけ。

何か言いたげに眉を潜めるマクゴナガル教授を見送って、私はホグワーツに居残った。傍らには季節外れのサンタ帽を被ったドビー。


「ごめんね、学校にはあまり来ないでほしいなんて頼んで」


《本》の予言を引っ掻き回されてはたまらないと、仕事として私に縛り付けておきながら遠ざけた非礼を詫びる。


「いいえ、リリー・エバンズの家でドビーは快適に過ごしたのでございます!ふくろうとも仲良しになりました!」


ドビーが頻りに頷いてその小さな胸を張る。去年の帰省時に見たドビーを避ける二羽の仕事仲間を思い出し、リリーがクスリと笑った。


「夏休み中は好きに動いてくれて構わないよ」

「ドビーはリリー・エバンズのお世話が好きでございます!」


零れ落ちそうな緑の目を輝かせ、早速とベッドを整えに寝室へ消えていった。

ホグワーツへ戻って2年が経つ。私室の壁一面に設われた本棚はその役割を十二分に発揮して、短く感じた年月を確かなものとして残してくれる。

リリーはそのうちの一つを抜き取りその場で捲った。薬草について記されたその本は、初めて禁じられた森に自生する薬草を採集した数日後に取り寄せたもの。

ポカリと空いた隙間の二つ隣には薬草別のエキス抽出について纏められた本。その段の隅にはこっそりと「上級魔法薬」が並んでいる。隙を見つけてはこそこそと半純血のプリンスによる調合法改善メモと生み出した呪文を書き写した、他人には貸せない代物だ。

他にも魔法薬材料の分厚い辞典のような参考書や狼人間の身体について研究された本、毛色の違うものなら「クィディッチ今昔」が置かれている。一冊一冊が思い出で、記憶だ。

思えば給料の殆んどをここにつぎ込んだ。服も買い足した覚えがない。買ってもドビーへのプレゼント用だった。

リリーは改めて自分の服装を顧みる。いつもはローブやマントで隠れているため気にならないが、よく見るまでもなく毛玉や解れがあちこちにある。ドビーに頼んでしまおうかとも考えて、色褪せまではどうにもならないと思い直した。


「ドビー、出掛けてくるよ」


ベッドメイキングどころではない掃除をしてくれていたのだろう。なかなか戻ってこないドビーに寝室の外から呼び掛ける。律儀に姿を現して「いってらっしゃいませ」と見送ってくれる彼に微笑んで手を振った。




夏の光を感じさせない地下ではスネイプが論文と睨み合っていた。この1年を費やした論文だ。

貴重だが見るたびに苦い思いを噛み締めさせられる実験体を切り捨てて、これ以上の進展は望めないだろうと形にしたその研究成果。一定の評価は得られるだろうが独創性に欠け、ありふれた出来。


納得がいかない


だからといってお蔵入りさせるのも癪に障る。どうしたものかと考えあぐねているとき、私室の扉が叩かれた。

会う予定など何もないが、相手は分かりきっている。リリー・エバンズだ。

いつも通りに名乗りを上げるリリーに「やっぱりな」と杖を取り、スネイプが扉を開ける。突然の訪問に悪びれもせず顔を覗かせたリリーは用件も言わずに奥へと進む。


「それは何ですか?」


遠慮なく入って明け透けに尋ねるくせに、彼女は手元を覗き込めない程度の位置で立ち止まる。持っていた論文を招くように揺らすと、ほんのり顔を綻ばせて彼女が二歩前へ出る。


「脱狼薬の論文を書いた」


スネイプがそう伝えれば、リリーは興味津々といった輝きに包まれた。顔中に「読みたい」と書かれている。スネイプはほんの少し迷ってから、リリーに紙束を渡した。

研究には彼女も参加しているし連名にしてある。当然読む権利があるだろう。ただ自分が納得出来ていないものを渡すことに躊躇った。

その場で読もうとする彼女をソファへ押し付け、自分も向かいに座る。本か紅茶か、待つ間の暇潰しを探す。しかし自分でも驚くことに些か肩に力が入っているようで、どれもしっくり来なかった。

手持ち無沙汰でぼんやりと前を向く。

彼女はこちらを気にする素振りもなく、ひたすらに紙面へと目を走らせていた。

相変わらず化粧っ気のない顔だった。何もしていない訳ではないのだろうが、目や口元は生徒の方が色付いているくらいで、爪も短く切り揃えられただけ。

飾りのない爪も余計な匂いを吹き付けないことも、魔法薬の調合においては必要だ。しかし初めてここに来た日から彼女の様子は変わっていない。元来気にしない質なのだろう。

そんな彼女もクリスマスにドレスとなれば様変わりする。女は化けるとルシウスが愚痴ていたが、なるほど、と思った。彼は「美しい」と平々凡々な評価でもって彼女を褒めたが、普段の彼女を見ればきっと驚くことだろう。

クリスマスに感じた優越感が振り返し、スネイプの片頬に笑みが浮かんだ。


一際大きい紙擦れがして、トントンとリリーが乱れた紙束をテーブルで整える。スネイプは背を少し浮かして座り直した。


「ありがとうございます。スネイプ教授の論文は形として完成されていて勉強になりました。実験中は指示されるままのことも多くて至らない点ばかりでしたが、こうして文章としてスネイプ教授の思考の片鱗を感じることが出来てすごく嬉しいです」


「ただ」と加えたリリーに部屋の空気がずしりと重くなった。機敏に感じ取り、言うべきかと唇を震わせる。チラリとスネイプと目が合って、無言の彼が封殺ではなく続きの催促なのだと分かると、大きく息を吸った。


「1年間頑張ってきても、文に纏めるとこんなものかって思ってしまって」


苦笑いしてリリーが言い切った。スネイプは肺の中が空になるまで空気を吐ききって、ソファに背を付ける。片手を顎へやり、考えるような仕草をした。


「ダモクレス氏がどれだけの時間を開発に充てたかは知らんが、それを1年やそこらで外部の者が偉大な発見をするなど、そうそうない」

「はい……」


戒める口調のスネイプに、リリーが言うべきではなかったと後悔の色を滲ませる。しかしスネイプにその意図はなく、寧ろ自分に言い聞かせていた。

「だが」と前置きをしてスネイプが論文を受け取る。


「君の言いたいことも分かる」


スネイプはまるで論文がルーピンそのものであるような顔をして、パサリとテーブルに投げ出した。


「どうされるんですか?」

「どうもこうも、これ以上はやりようがない」

「ルーピンさんがいないからですか?」


言外に「追い出したのはあなただ」と匂わせて聞こえ、スネイプはぐっと答えを詰まらせる。微かな隙間からやっとのことで「そうだ」とだけ絞り出した。


「なら、呼び戻してはいかがですか?」

「何だと?」

「夏休みの間だけでも、協力をお願いして……」


みるみるうちにスネイプの顔が険しくなり、リリーはそこで提案を打ち切った。


どんな顔をして頼むというのだ


貴重な実験台の参加と差し引いてもそれだけは嫌だった。頭を下げるくらいならばこの論文で満足したことにする方がよっぽど良い。

だが彼女は違う。彼女は奴の胸で涙を流し、クリスマスを共に過ごしたがり、先約を後回しにして仲良く眠りこけるほどに仲が良い。


崇高な魔法薬研究を出しにされるのは面白くない


キッパリ否定してやろう。そう思って彼女を見ると、媚びるように窺う先程の雰囲気とは変わり、顎に手を当て黙考していた。


「スネイプ教授」


ふと名を呼ばれる。彼女の視線は論文に落ちたままで、ルーピンのことなど忘れたように広げた紙の一部を指差す。


「ここ、何か拘りがあるんですか?一貫して固定されているようですけど」


どこのことかとスネイプが真っ直ぐ論文に乗る指を辿る。


「私、脱狼薬を失敗してから考察を続けてて。そのとき――」


スネイプはリリーの言葉に聞き入った。今度の提案は無謀と取れなくもないが興味深いもので、スネイプは「ほう」と感嘆を洩らす。

結局彼女が何故ここに来たのか。スネイプはおろか本人さえも忘れ去って、議論を白熱させることに1日を費やした。


いつの間にか部屋に入り込んでいたドビーが語り合う二人の側でにこにこと体を揺らす。時には言い争うような口調に変わる二人が、それでも楽しげに口元を歪めるのを見て、ドビーはまた嬉しくなって体をピョコピョコと跳ねさせていた。







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