54 生首


シリウスによる二度目の襲撃はクィディッチ戦の夜に行われた。

マクゴナガルの声に城中が叩き起こされて、リリーは見つかるわけのないシリウスを探して四階から六階までを駆け回る羽目になった。




「シリウス、聞いてる?」


リリーが近頃の寝不足の元凶を指差してたしなめる。静まり返った禁じられた森でリリーの声だけが闇夜に溶けていった。

春めいてきたとはいえ、まだまだ夜は寒い。厚手のマントに身を包み伸ばした指先はすぐに引っ込めて焚き火へと翳す。


「何がしたいかなんてどうでもいい。ただ夜襲は迷惑だって文句言ってるだけ。起こされる身にもなって」


目の前の男はリリーの苦情などどこ吹く風で、数日振りのまともな食事に舌鼓を打つ。ようやくリリーが諦めたようにため息をつくと、シリウスがニヤリと笑った。


「生徒の寝室に殺人鬼が忍び込んだんだぞ。それをどうでもいいなんて、つくづくおかしなやつだな」

「寝てた子供五人に傷ひとつ負わせなかった殺人鬼のことなんて、どうでもいい」


やれやれと面倒臭そうにリリーが言えば、シリウスは今度はケラケラと控えめに声をあげて笑った。


「私のファンなんじゃないかって考えてた」


出し抜けにシリウスが切り出した。焚き火の温かな色に照らされた整った顔。真剣なグレーの瞳でもってリリーを見据える。その目に捕まるとリリーはどうしても背筋がしゃんと伸びてしまう。


「いるだろ?危険な男が好きだって女が。リリーもそれなんじゃないかって」


品定めするようにシリウスの目がリリーの上を行ったり来たりする。下心だらけの気持ち悪い視線ではなかったが、それでもリリーは不快さに顔をしかめてマントを引き寄せた。


「その目!その目なんだよな。それを見て、推測は的外れに違いないって確信した」


自分は一体どんな目をしているのか。覚えのある漆黒の目が射殺さんばかりにギラつく様を思い出し、あれほどではないだろうと想像を取り消す。


「君は私のことを嫌ってる訳じゃないが好いてもいない。ときどきチェスの駒を見るような目で私を見る」


これには覚えがなかった。

《本》をなぞる上でシリウスは重要なピースのひとつに違いないが、それは私も同じこと。《本》の中で動いていた彼らも、現実で一人一人の人間として心を持ち生きている。

そう実感だってした。

なのに彼は私の心が冷えきっているとでも言うのだろうか。


「心外だよ。私たちは友達――いや、運命共同体くらいには思ってる。それに良いように使っているのはお互い様なはずでしょ?私ばかりが利用しているように言うのは止めてほしいね」


ムッとして冷ややかにリリーが言う。


「冗談だよ、冗談!ちょっとばかし探りを入れてみたかっただけだ」


両手を顔の上まで引き上げて、降参だとシリウスが笑ってみせた。上げた口角に見合わず目は少しも笑えていないことに、シリウス本人は気付いているのだろうか。


「帰る」


リリーが立ち上がった。

自分に吸魂鬼のキス執行許可が出たと新聞で読んで、気が立っているのかもしれない。きっとそうだ。

シリウスの探る視線も意味深な言葉もすべて新聞のせいにして、ご機嫌ぶって差し入れのリクエストを並べる彼の話を聞き流した。




リリーは暗闇の中、足元を照らすランプを頼りに城へと足を運ぶ。どこを見ても同じ黒で、どこを踏んでも同じ苔むしてじっとりとした弾力。時折方角を確認しなければ迷子になった。


こんなにも手間をかけているのに


新聞のせいにしたはずの行き場のない燻りが狼煙のように煙を吐き出した。もくもくと立ち込める灰色が、どこを向いても追いかけてくる彼の目のようで余計に苛立ちを煽っていく。

リリーは見えない煙を払うように掻き分けて、道なき森の木々をくぐった。

抜け出た先でリリーを照らすは太りかけの月。雲の邪魔も受けず堂々と夜空に居座る姿が憎らしくて、足早に城へと駆け込んだ。






校庭の雪が溶けきってさわさわと緑が揺れ始めた頃、ホグズミード日が来た。ポッターはきっと透明マントを片手に行くのだろう。私は用事を作りスネイプ教授の私室で成り行きを見守るつもりでいる。

用事はいくらでも作れた。今年に入ってもう何本も魔法薬の論文を読んだし、突き詰めていけば必ず壁が立ちはだかる。学校を卒業して10年以上も経ってから、こんなにも知識欲が強くなるとは思いもしなかった。

《本》以外に熱中できることがあるのはリリーにとって心の支えにもなった。ついつい時間を割きすぎてしまうほどにのめり込み、図書室の禁書の棚にも足繁く通っている。




「本くらい自分の部屋で読めるだろう」


趣味に励もうと分厚い本を取り出したリリーにスネイプがストップをかける。リリーの持ち込んだ本は昨日スネイプが勧めたものだ。早速読もうとする姿勢は好ましいが何もここで読む必要はないだろう、とスネイプは眉間にぎゅっと力を込めた。


「十中八九疑問点が出るのでここにいた方が手っ取り早くて。お邪魔はしません」


いることが既に邪魔だ


そう言ってやれば良かったのに、スネイプは喉まで出かかった台詞を呑み込んだ。『邪魔はしない』と言った彼女は本当に邪魔にならない。空気のように気配を消してみせることをスネイプは身をもって知っている。


「次からは図書室で読んで来い」


とは言え、自分は今から仕事を片付けなければならない。そんな人間の前でよくも堂々と寛げるものだ。彼女が日々図々しくなっているのは気のせいではないだろう。


「はい、次からは」


泰然自若と自分の居場所を整えていった彼女がしてやったりと笑みを浮かべる。機を見るや重苦しい表紙に手をかける彼女に仕事を押し付けてやりたい気になるが、折悪しく譲れる仕事を切らしていた。




お互いの息づかいまでもが聞こえそうなひっそり閑とした空間は、突如終わりを告げる。

バタバタと慌てた足音が近づいたかと思うとバタンと承諾もなしに扉が開け放たれる。

スネイプは即座に立ち上がり厳罰を課してやろうと口を開きかけるが、駆け込んできたプラチナブロンドの青白い顔に辛うじて自分を抑えた。


「スネイプ先生!ポッターです!ポッターの生首がホグズミードに!!――あっ、エバンズ先生……」


スネイプのいる事務机への視線の間にいたにもかかわらず、リリーが突然現れたようにマルフォイが目を見開く。リリーはにこりと笑って気にするなと手を振った。


「エバンズ、今日は終わりだ」


言うが早いかスネイプは二人を残して飛び出していった。

何も始まっていなかったのに、とリリーが肩を落とす。それでも《本》の通りに動いたことに安心した。ホグズミードはホグワーツ外だ。経験上ホグワーツ外での悪化はないためこの流れは当然とも言える。

直にポッターを捕まえたスネイプ教授が戻ってくるだろう。その前に部屋を開けておかなくては。

リリーは分厚い本を閉じ、テーブルに広げた論文や羊皮紙をパタパタと片付ける。さぁ出ようと扉に目を向けると未だ立ち尽くしたままのマルフォイと目が合った。


「マルフォイ?どうかした?」

「あ、いえ、何でもありません」


リリーに声をかけられマルフォイが逃げるように廊下を走り去る。首を傾げながらもリリーは玄関ホールへ上がっていった。

そのまま私室へ向かおうかと思ったが、様子を見に隻眼の魔女の像へ向かうことにする。これは大正解だった。

たどり着いた先にいたのはポッターただ一人、ローブの土を払いながらキョロキョロと周囲を窺っていた。リリーは今にスネイプが来るのではと気配を殺すが誰の足音もない。

像から離れようとするポッターの足音を聞き、リリーは仕方ないと影から身を乗り出す。


「ポッター」


ビクリ、と呼ばれた男の子は疚しい気持ちがいっぱい詰まっている肩を震わせ振り向いた。いたのがリリーだけだと分かるとあからさまに安心してみせる。


「エバンズ先生、何か?」

「スネイプ教授がお探しだよ」


ポッターはみるみるうちに顔色を絶望へと変えた。そして手招きをするリリーへ鉛のような足取りで歩み寄る。


「あの、僕、何故探されているのか……」


しどろもどろで何とか弁解を試みようとするポッターが、上げた手に泥を見つけ慌ててポケットへと突っ込む。追及は自分の役目ではないからとリリーはそれに目を瞑ってやることにした。


「悪いね、ポッター。庇ってあげられないんだ」


これは必要なことだから


絞首台へ向かうような顔でポッターはリリーに従った。スネイプに引き渡すとき、ポッターは恨みがましい目をしていた。


危険はないからと油断をしていた。去年に比べれば概ね順調で、気を張る必要もないからと。私はあと何度ヒヤリとすれば学ぶのだろうか。


私は私がここにいる理由を忘れてはならない








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