53 授業


バレンタイン翌日の木曜日。

日刊予言者新聞の一面でシリウス・ブラックへの吸魂鬼のキス執行許可の見出しが踊った。

鎖に繋がれ暴れる平面の彼をそっと撫でる。現在の彼はもう少し小綺麗で、もっと痩せている。不定期なチキンの配達を今か今かと待ちわびていることだろう。

相変わらずホグワーツ外で起こることは《本》のスケジュール通りだった。






2月の終わり、レイブンクロー対グリフィンドールのクィディッチ戦の日。

私は観戦せず地下牢教室にいた。そしてスネイプ教授もまた、地下牢教室にいる。研究室や私室ではなく教室なのは、今行っているのが正しく授業だからだ。

休暇明けに届けられた論文の批評を読んでからというもの、リリーは魔法薬の研究に本腰を入れ始めていた。

行き当たりばったりの実地よりもまずは理論を固めようと、仕事やシリウスとの密会の隙を見つけては頭を悩ませる。そして疑問点を見つけてはスネイプに意見を聞きに来ていた。

求めよさらば与えられん。スネイプはリリーが質問すれば直接の答え以外は何だって与えたし、反論にも言葉を尽くして納得へ変えさせた。

お互いを高め合うとまではいかなくとも、スネイプにとっては不出来な生徒のくだらないレポートの採点よりはよっぽど有意義な時間であった。


そして今日はお互いに纏まった時間が取れたと言うことで、みっちり魔法薬学理論の特別授業を行うことになったのだった。


「――であるから、原材料となる生物種それぞれの――」


NEWTレベルを遥かに超える授業内容。すんなりとはいかないがそれでも付いていけているのはスネイプ教授の手腕に違いない。

私がほんの少し眉を潜めたり、首を横に倒したり、羽根ペンが動かなかったり、自分でも気付かないほど些細な仕草を汲み取って、スネイプ教授が噛み砕いた説明を付け足してくれる。マンツーマンだからできること。でもマンツーマンだからと言って誰にでもはできないこと。

話しているのはスネイプ教授だけだが、これは授業と言うより対話に近いように感じる。


「生物種において注目すべきは雌雄と成長度合いだけではない。育った環境によっても本来分けられるべきであり、事実、過去の研究では――」

「……紅茶みたい」


頭の中がポロリと口から落ちた。リリーはすぐさま口をキュッと結んだが、スネイプは大きくため息をつく。


「……紅茶だな」


冷ややかなスネイプの相槌に、リリーはばつが悪いと羽根ペンを見つめる。


「昼食にするか」

「はい……」


決して集中力が途切れた訳ではなかったが、言われてしまえば途端に空腹に見舞われた。

移動しようとリリーが立ち上がる。生徒の殆んどが競技場で大広間は閑散としていることだろう。ところがスネイプはそうしようとせず、黙って杖を二度振った。

ふわりと広がるパンとスパイシーなチキン、爽やかなソースの香り。サンドイッチだ。リリーはきちんと盛られた二人分の昼食とスネイプの顔を交互に見る。


「ここは食事厳禁だったのでは?」


確かに去年はそうだった。リリーは廊下でサンドイッチを食べた記憶がある。


「ここのルールは我輩だ」


ニヤリとスネイプが笑った。何か文句があるなら言ってみろと片眉を上げる。


「素敵なルールですね」


嫌味を染み込ませたお礼を言って、リリーはサンドイッチを頬張った。

食事中も二人の話題は魔法薬のことだった。悲しいかな、それ以外に弾みそうな話題がない。

クィディッチはどうなっているだろうかと振ってはみたが、返事は「知らん」。そりゃそうだ。私だって想像がつかない。これで盛り上がれるならそもそも今頃競技場にいる。


授業の延長のような昼食が終わって軽く食休みを取ったあと、またスネイプによる魔法薬理論の解説が始まる。

低く耳に馴染む声。紡がれる言葉がするすると私に入ってくる。目を伏せ軽く閉じれば、一層深く溶け合っていく気がした。

ふわりと顔の近くで空気が身動ぐ。






寝ているのか?


そう思って説明を続けながらも彼女を注視した。午後の授業によくいる姿だ。尤も自分の授業でそれを許すことはない。伏せた顔に止まった手元、舟を漕ぐ素振りはなかった。

一体誰のために時間を割いていると思っているのだと苛立ちながら、叩き起こしてやろうと彼女へ身を寄せた。

飾りっけのない瞳がパチリと開く。

伏せられたリリーの顔が上がり、近距離で目が合った。繰り返される瞬きを見てから、スネイプはぐいっと身を引く。


「ドラゴンの血液使用における注意点は?」

「品種間の差です。オパールアイ種とショートースナウト種が特徴的で、これらは吐く炎の色が違いますが、その原因である物質が血液中に含まれているからであり、これは――」


寝ているわけではなかったのか


つらつらと並べられていく数分前に自分の話した内容を、間違った認識がないか確認しながら耳を傾ける。


「――でもこれって――オパールアイ種の血液ですが。この成分はサラマンダーの血液にも多く含まれていますよね?つまり――」


眉間にシワを寄せながらリリーが考察を捻り出す。そこに本でもあるかのように宙を見つめ羽根ペンを右へ左へ動かして、最後にスネイプを見た。

彼は感心を隠すように片眉を上げるだけ。しかし見下ろす視線に冷たさはなかった。


着眼点は悪くない


かつて先人が目をつけ研究した分野に彼女は降り立った。学生時代から頭角を現して魔法薬にのめり込んでいく者の多いこの分野で、彼女のように三十路を過ぎた者は遅咲きと言える。

そう、彼女は咲いた。

彼女のぶつかる疑問には未だ研究中のものも多い。解明し終えたその先へ歩みを向けていく姿勢に興味が湧いた。


「それについては論文が出されている。用意しておこう」

「ありがとうございます」


普段教科書を読むだけでも嫌がる者たちを相手にしているからか、彼女の嬉しそうな反応は新鮮だった。

自分の好むものを相手と共有することは、こんなにも身体が軽く落ち着きを失うものだっただろうか。最後にこんな風に感じたのは、遥か昔のことだ。

センスと繊細さの問われる魔法薬で、稀に頭角を現し卒業後もその道へ進んだ生徒はいた。しかしそんな人間も進んで私と議論を交わそうとはしなかったし、私も干渉しようとは思わなかった。


彼女が来てから私はペースを乱されてばかりだ


杖を振ったスネイプが黒板に描き出した図式を写しながら、リリーがウンウンと唸る。羽根ペンの先で頬を掻いたり、時折砂糖羽根ペンでもないのに唇をつついたりしていた。

そんな彼女を見ながら、スネイプは過去に思いを馳せる。

私が他人に仕事を任せたのは彼女が初めてだった。頻繁に姿を見せるようになり、追い返すこともなく(追い返したことがないとは言わないが)研究室に入れていた。

仕事を離れた場所でもそうだ。クリスマスに着飾った女を引き連れたことなどないし、何の裏もなく二人で店に入って飲むなどと10年以上はしていなかった。学生時代にかつて――。

スネイプは胸の奥深くが焼け付くようにぎゅっと縮んだ。息を忘れさせる痛みに眉を潜めれば、心配したリリーの瞳とかち合う。


「どうかされましたか?」

「何でもない」


そう、何でもない。こんな痛み、今更だ。癒えることはないが増すこともなかった。何度身を切り焦がしても絶え間なく押し寄せる。


今日はもう切り上げるか


彼女の羊皮紙を覗き、用済みならと黒板を白紙に戻した。未だ様子を窺うような視線に気付かない振りをして、終わりを告げようと口を開く。


トントン


扉を叩く音がする。スネイプは吸った息をそのまま吐いて、口をへの字に曲げた。リリーも振り返って扉を見つめる。


「誰だ?」


こんな日にわざわざ数ある地下牢教室の一つを探し当ててまで自分に用事など確実に厄介事だ。

手をかけただけの扉が勢いよく開かれ、飛び込んできた厳しい顔つきの老齢の魔女にスネイプの顔が引き吊る。マクゴナガルが話せば話すほどスネイプの顔は険しくなり、元の土気色に燃えるような怒りの色が差した。

一頻り怒りを爆発させて満足したマクゴナガルが去った後、残されたのは職員二人と生徒が四人。リリーは部屋を出て行きたくてたまらなかったが、扉は彼らで立ち塞がれており、黙って気配を消すことに徹した。


クィディッチ日和の晴れた空の下。陽も届かない地下で大きな雷が落ちる。関係のないリリーでさえ身をすくませる怒号に四人の男子生徒はばつの悪そうな顔を青白く変えていた。

やっと嵐が去った頃には教室にいる全員が疲弊していて、結局減点も罰則も課されなかったことにリリーが気付くことはなかった。







Main



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -